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古本屋日誌
うちの店がある京阪電車萱島も、元々は寝屋川の自然堤防に出来た集落だ。
乙巳の変より前は、この自然堤防より南側は広大な河内湖が広がっていた。
そのため今も水路がたくさん残っているし、暗渠化されたところも容易にその痕跡を辿ることができる。
こういう「いじ」の研究では大阪の千林で、ずいぶん前から調査がされていて、その成果が書籍化されている。
しかしなんといっても圧巻は東京での研究で、このほど実業之日本社から本田創の、『東京暗渠学、改訂版』が出た。
これはオールカラーで300ページ近くもあって、尾根と谷で構成されている関東平野の埋もれた川の全貌を視覚的に辿ろうという研究書で、大きな地図も付いている。
埋め立てられた川だとか、誰も見向きもしない暗渠を調べるという、こういうどうでもいいような研究に力を注ぐ人がいるというのは興味深い。
これまでは、埋め立てられる前の川の写真や、その周りの街並み、あるいは失われた橋梁にフォーカスした研究書はあった。
大阪では伊勢戸佐一郎が『埋もれた西区の川と橋』を出して、今はもうない川筋の街並みを詳述している。
しかし、この本は街並みでも、橋でもなく、コンクリートの蓋に覆われている流路を考えてみようというものなのだ。その中に面白い話が載っている。
中央線の信濃町近くの鮫河谷にはもと巨大なスラムがあったという。(今の赤坂御用邸の近くだ)
ここにスラムができた理由として「夕刻になると残飯屋が士官学校(陸軍)の残飯を桶に積んで売りに来た。それが彼らの主食であったという。」
「昭和初期の段階でも先の鮫河橋尋常小学校ではまだ生徒の4分の1が残飯を主食としていたという」
残飯が主食というのは驚きだが、それをこうてるわけだから、何か正業に就いてはいるのだろうね。
士官学校の食事だから、かなりいいもんだろうけどね。
それを主食にしてる連中がいるわけだから、帝国陸軍とスラムの民は共存共栄みたいな関係にあったのかもしれない。