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古本屋日誌
有馬頼義の『葉山一色海岸』がなかなか面白かったのでので、『二・二六暗殺の目撃者』も読んでみた。
有馬は当時の内務大臣、斎藤實の縁者で、事件当日は斎藤宅の真向かいで寝ていて、朝早く大騒ぎが起こったその現場に居合わせた。
斎藤は身体に40発を越える銃弾を撃ち込まれて死亡した。
有馬は渡辺錠太郎や高橋是清も同じように惨殺されたことを詳細に書いている。
興味深いのは首相の岡田啓介が助かった話だ。
岡田の妹の夫だった松尾大佐を岡田だと誤認して殺したのだが、首相官邸を襲った部隊はその後も引きあげず居座ったというのだ。
その間、岡田は女中部屋の押し入れに隠れていた。
なんとか岡田を救おうと秘書官が憲兵と連絡をとって、10人の老人(もちろん全員男)を焼香すると偽って、邸内に引き入れて岡田を脱出させた。
それにしても、暗殺しようとしている相手の顔を把握していないとは、陸軍の連中もバカだよな。そのへんのヤクザと変わらない杜撰さだ。
さて、2.26事件についての有馬の見解はこうなっている。「天皇制をくつがえし得ないものは、理論的に、革命とは云いがたい」
「くどいようだが、天皇制を動かさない限り、日本では、革命というものはあり得ない。更にくり返すが、彼等は兵隊や武器弾薬を天皇陛下の御命令と称して僭用している。」
有馬がこの事件を革命なんかではなく人殺しに過ぎないというのは理解できる。
しかし天皇制をくつがえすものが革命なんだという主張はちょっと突飛だな。
今日は体調もだいぶ良くなり、ぐっすり眠れたし、階段を上る時の息切れもマシになった。
そこで嫁と阪神百貨店の地下のバルに出向いて地ビールをいただき、同じ階にある「551」で揚げそばとチャーハンをしめに食べた。
そのあとジュンク堂大阪本店まで歩いて、ミネルヴァ書房から出たばかりの日本評伝選貝塚茂樹の『吉田満』をこうた。
吉田は帝国海軍の予備学生で、戦艦大和に電探担当、つまりレーダー操作の係として乗り組み、九死に一生を得て、例の『戦艦大和の最期」を書いた人物だ。
この本には、出撃前夜の宴会で、なにゆえ撃沈されることがわかっているのに、わざわざ沖縄に出撃するのかを、乗組員があれこれ議論するくだりがあって心打たれる。
また出撃して、沖縄に向かっている最中、艦内に「今晩のメニューは……です」と陽気なアナウンスが流れるところもドキドキする。そんなもんあるわけないからね。
その上で撃沈された大和から放り出されて、洋上を漂う乗組員を僚艦がボートを出して救助するシーンがある。
たくさんの兵隊が手をボートにかけて助かろうとするので、窮した下士官は日本刀で、救助を求める兵隊の手首を切り落としたというのだ。
これに関して「海軍の士官は日本刀を携帯してない」とか「救助活動に対して米軍機の攻撃はなく、整然と行われた」、つまり手首切りなどということはなかったとの反論が加えられた。
この論争の顛末が知りたかった。
貝塚のこの本では、丁寧に論争の過程を振り返り、吉田は自ら目撃したことを書いたのではなく、伝聞でこのくだりを書いていたことや、手首切りについて問われた吉田が「わたしはどこにも、ノンフィクションだとは書いていない」と答えたことがわかった。
つまり手首切りは、事実ではなかったようなのだ。
このところ、ときどき布団に入ってから、息苦しさを感じる。また階段の上りですぐに息が切れる。
昨日の晩は2時間くらい寝て、目を覚ましてからは、息苦しさがつのってなかなか寝付けない。
ネットで「寝ている時 息苦しい」を検索すると、喘息とか心不全の可能性が書いてある。
仕方なく、午後4時にあく萱島駅前の「和田内科」に出向いた。
問診票を書いて、熱を測り(37℃)待っている間に血圧も測定する。最高血圧が194になっているのは不思議だ。
向こうもびっくりしたのか、再度看護婦さんが手ずから測ってくれてそれは150だった。これでもかなり高い。
その後診察室に通されて、症状を聞かれて、既往症(2011年に結核で入院したこと)なども伝えて、胸部レントゲン、心電図の測定をやった。
それを踏まえて、血液中の酸素、レントゲンは問題はない、心電図も少し波形が乱れている感じだ。ただ脈拍数が104で多い。
睡眠時にイビキをかいているようだし、今のところ睡眠時無呼吸症候群を疑っているとのことだった。さらに「血のう検査」もやった。(結果は来週の月曜日)
他にもキッドを使った睡眠時の調査もやることになった。なんでも測定器具を自宅に送付して、それを装着して寝て、データを取るとのことだった。
西村賢太が死んでもう1年以上経った。去年の2月4日だからな。
先日NHKで、むかわりを迎えて特集番組が放送された。
西村の無体な要求で迷惑を被った編集者や古本屋の話は面白かったが、番組の半分くらいは西村賢太に傾倒する愛読者の感想やその恵まれない境遇ネタになっていてつまらなかった。
愛読者の感想など、インタビューしたら終わりで、その感想もみんなおんなじ。
要するに、自分も北町貫多同様の不器用で社会から受け入れられない存在だとして共感した、小説を読んで、救われたみたいな話。そんなことはわかっている。
また西村の小説の朗読もあったが、我々はもう、何回も読んでいる話なので、時間の無駄だった。
しかし興味深い話もあった。
まず「シメのラーメン」だ。『本の雑誌に』日記を連載していたが、毎日のように暴飲暴食をしている。
例えば居酒屋でビール1と酎ハイ7に、あれこれあてを頼んで牛飲した後、シメだとしてラーメン屋に立ち寄って、「塩バターコーンラーメン」を食べているのだ。
酎ハイ7は、飲み過ぎだろう。
その上のラーメンは、健康に極めて悪いのではないか。
西村は53で、亡くなってしまったがいくら身体が丈夫だといっても、シメのラーメンは気をつけないといけない。
さらに興味深かったのは、西村の死後、朝日新聞の読者欄に中学時代に同級生だったという人の投書が載っていたのを発見して、その人を訪ねてインタビューした内容があったことだ。
なんと西村はすでに中学生時代から口癖のように「将来は小説家になりたい‼️」と言っていたというのだ。
これまで我々は例の藤澤清造にかぶれて、その影響で小説家を志したものとばかり考えていたのだから、これにはビックリした。
そうなれば、西村は自らが物書きとして売れていくために、まず私小説のジャンルを選んだらいいだろうと考え、さらに注目されるために藤澤清造という、センセーショナルで、誰も知らないような作家を利用する戦略を考えたともいえるわけだ。
西村は藤澤の『根津権現裏』などの作品を素晴らしいと常々述べていたが、ごく普通に読んでみて、俺には大した作品とは思えない。
妙にゴテゴテした文章で、話もまわりくどく、またストーリーにも必然性や説得力がないのだ。
西村は藤澤の全集を出すと公言して内容見本まで作っていたのだが、結局出さずに逝ってしまった。
芥川賞を取ってからはテレビ出演もたくさんあったし、本もたくさん売れ、映画化もされたのだから、全集を出すくらいの資金など、ありあまっていたのに、やらなかった。
これは西村賢太自身も、藤澤の作品がたいしたものではないことがよくわかっていたからではないのか。
2016年にNHKが放送した『戦艦武蔵の最期』の再放送があった。
フィリピンのシブヤン海の水深1200メートルの深海に沈む武蔵を撮影した100時間を越える未公開映像を分析したものだ。
注目すべきは武蔵が最後の出撃前に艦の色をグレイから明るいグレーに塗り替えていたことだ。
海底に横たわる残骸はバラバラになっていて、前のグレイの塗装の上に明るい色が塗られていることが確認できた。
艦長の猪口敏平の遺書には「武蔵が敵の攻撃を一手に引き受けて、他の艦船に損害がなかったのは喜ばしい」旨記されている。
つまり猪口は意図的に明るい色に艦を塗り替えて、わざと敵艦載機から目立つようにして、攻撃されるように仕向けたということだ。
確かに武蔵は撃沈されたが、大和など他の艦船には特段損害がなかったわけだから、猪口の作戦は成功したわけだ。
レイテ沖海戦の海軍戦略そのものも、空母を囮にして、敵機動部隊を引き付けて、その間に大和や武蔵がレイテ湾に突入して、上陸中の米軍を叩き、同時に陸軍の部隊や武器弾薬を陸上げするというものだった。
レイテ湾の突入はならなかったが、陸軍部隊はかなり上陸に成功したので、作戦は上手くいったのだろう。
それにしても、武蔵からして2700人の乗員のうち1000人以上が戦死しているのだ。
敵艦載機から目立つ塗装などを施せば、攻撃が集中して、たくさんの戦死者が出ることは容易に想像できた。
それにもかかわらず、戦争に勝つためには必要な作戦だと考えて、それを実行する価値観があったわけだ。
(もちろんアメリカも同じだ。ミッドウェーでもまず間違いなく撃墜されることがわかっていたのに、艦載機を次から次へと南雲機動部隊に向けて飛ばしていた)
戦争に勝つためには、必要かつ、合理的な判断であることはわかる。
なんといっても、平和はありがたいものだよなあ。