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古本屋日誌
ちくま新書から吉弘憲介の『検証 大阪維新の会』がでた。
猖獗を極める維新旋風についての実証的な研究書だ。
維新の会は大阪地区では圧倒的な強さを誇っていて、府議会でも市議会でも第一党だ。
しかし東京やその他の地区では大した勢力を持っていない。
ここから大阪の大衆はかなり変わった好みなのではないかとの推測が出てくる。
全国の普通の大衆とは選好が異なっている、大阪風の趣味、性格があるのではないかということだ。
これについて、吉弘は様々な資料を駆使して、大阪の連中もその政治的な好みは全国の人々と変わらないことを明らかにした。
ただ、生活困窮者や弱者へ傾斜的に予算を分配すべきだという考えに否定的な選好が、大阪の大衆に有意に多いこと、全体に幅広く予算を配分すること(これは例えば高校の授業料の無償化、所得制限の撤廃なんかを指しているのだ)への肯定的評価が有意に高いことが明らかになっているいう。
なるほど、生活困窮者に手厚く予算を回すことでは無く、全体に金を出すことを主張しているわけで、要するに弱者に冷たいのが大阪の大衆だということだ。
確かに大阪の生活保護受給世帯は、全国的に見て多い。これに関して「多すぎる」とか「税金で助ける必要はない」という考えもあるわけだ。
しかし厚生年金にせよ、国民年金にせよ3割以上は税金が投入されている。それを見ないふりをして、もしくは知りもしないで話を進めるのは間違いだ。
また予算の分配は、そもそも経済的な再分配機能を果たすことがその大きな目的であるのは、経済学の常識だ。
それにもかかわらず、困窮者に予算を振り向けることを主義主張として否定するのは無知蒙昧であり、認められることではないだろう。
寝屋川市駅近くの古本屋、金箔書房は店主の話では「9月末で店を閉める」とのことだ。この店は俺も以前はよく買取に来てもらっていた。
今は違うがこのお店の入り口は自動ドアになっていた。普通の古本屋で自動ドアは珍しい。
「ここで36年やってるし、その前15年勤めとったしな、もう十分や」
勤めていたというのは、もちろん古本屋にということだから、通算半世紀以上古本の世界に身をおいていたことになる。
金箔書房の店主は週一でブログを書いていて、ときどき俺も読んでいる。
というのも店を構えてたらいろんな、おかしなお客さんが来て困ることもあろうかと思うからだ。
でも、マスターは温厚な人のようで、ややこしい客に困り果てたという話は書いてない。
ただ、面白い客の話はあった。
ある時、レジに数冊の本を中年の男性客が差し出して「これ2200円になるけど、2000円に負からへんか❓」という。
そんなもんなるわけないんだけど、「そんなこと新刊の本屋さんでもゆうてはるんですか❓」と尋ねて、計算してみたら1900円なのだ。
「100円お釣りですわ」と返そうとすると「いや、これは受け取れん」「いや、そういうわけには…」と結局受け取らせたのだが、落語の『強情』みたいな話だ。
「新刊の本屋さんでもゆうてはるんですか❓」という返しはすごいね。俺なら直ちに出禁にするけどね。
向田邦子は基本的にはシナリオライターであり、テレビドラマのシナリオをたくさん書いてきた。
それらは毎週毎週、放送されるものだからスピードが要求されるし、小説のような細かい描写はなくて、メモ書きみたいなものでしかなかったりもする。
向田が人気絶頂で、突然亡くなってしまったので、そのシナリオも岩波現代文庫や新潮文庫からたくさん刊行されている。
その中でも俺は『あうん』が好きなんだが、高島俊男先生は先の著者『メルヘン誕生』では、否定的だ。
このシナリオは、要するにごく仲の良い中年男性2人の話で、2人は同じ会社で働いているのだが、重役になっている方の奥さんに、ヒラの方が惚れている設定になっている。
女の方もそれはわかっていて、長い馴染でもあって、男はしばしばその重役の家にやってくるのだ。
別に不倫めいた事件が起こるわけでも無く、2人の男の友情は続いてゆく、その日常が面白い。
しかし高島先生は「友人の嫁に惚れている段階で、普通その家には二度と行かない。」それが東洋にせよ、西洋にせよ伝統だし、男らしい振る舞いだろうとおっしゃる。
確かに先生のお書きになっていることは、その通りなのだが、女々しい反面、節度も守る生き方もあっていいと思うのだ。
昨日は久しぶりに甲子園に出向いてカープ戦を見た。
若い頃はライトスタンドばかりだったが、このところはグリーンシートやアルプスで見るようになった。
ライトスタンドは試合を見に行くわけでは無く、「応援」するための場所だ。
それにしてもヤンキー好みの野球は、民主主義的で気に食わない。
どう見ても打てそうにないピッチャーやキャッチャーなんかにも、3番、4番と平等に打席が与えられるなどおかしな話だ。
そういう役立たずの打席など金を払ってまで見る価値などない。
セーリーグはDHすら採用していない。観客にとって投手の打席などなんらの価値はないから、直ちに採用するべきだ。
それに、スリーアウトになると、向こうに攻撃権が移るというのも、アメラグふう、民主主義的で好ましくない。
今年のセーリーグなど3割バッターは2人しかおらず、完全な投手天国だ。つまり、ホームランどころかヒットも出ないわけで、当然点も入らない。球場にわざわざ見に来て、投手の華麗な投球術などバックネット裏のわずかな席にいる客しか楽しめない。
だから9回までの27アウトをある程度まで柔軟に行使できるようにすべきだ。
初回にノーアウト満塁となったのに、バカで無能な選手のせいでスリーアウトとなっても、監督の申し出でで、あとスリーアウトまで攻撃できるようにするべきだ。
それがダメなら、同じバッターが続けて打てるようにするべきだ。
昨日の試合でいうと、佐藤、大山、野口とヒットが続いて満塁になって、ここから下位打線になるのだが、佐藤には再び打席に立ってもらい、代わりに次の打順の坂本が三塁に行くのだ。
当然タイムリーヒットか満塁ホームランが出るだろう。
今日から谷町4丁目の古書会館で古本市。今回は矢野書房、古本横丁も参加している。
朝日新聞で樹木希林がこれまでの役者人生を振り返る連載を持っていた。
その中でシナリオライターの向田邦子のことを悪様に書いていた。
とにかく締切を守れない、ようやく出来上がったのも樹木希林から見たらまるでなってないというのだ。
俺は向田邦子の信者なので、悪評の根拠も示されておらず、不快に思っていた。
ところがここに天下の碩学高島俊男先生の『メルヘン誕生』という本があって、これは一冊全て向田邦子論なのだ。
その中で高島先生は彼女の時系列の記述の誤りから、ストーリーの平板さ、言葉の誤りまであれこれ指摘されている。
なるほどそれはおっしゃる通り、樹木希林の代弁をされている感もあった。
では反対に高島先生が評価されている話はというと、『思い出トランプ』の一編で、あるビルのガードマンとそこの事務員の2人の女があれこれとよく揉めている。
ところがその男と女がある時、街で楽しそうに歩いてるのを作者は目撃するのだ。
しかし、その次の日仕事に戻るといつも通り口も聞かないし、疎遠な感じなのだ。
高島先生はこの話を評して、昔の日本の人間関係のあり方を見事に切り取っているという。
また、最後のシーンで男が「顎でタバコを吸っている。」という描写を高島先生は「天才」だという。
このへんがよくわからないんだな。
仕事場の人間関係とプライベートを分かるのが昔の典型的なスタイルだということなんだろうけど、それは今でもそうだし、見事だといわれてもよくわからないな。
ラストシーンの比喩は確かに向田邦子でないと書けないものだというのはわかるけどね。
