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古本屋日誌
昨日の京都はすごく暑くて、観光客の数もいつもよりはましだった。
しかし四条大橋から河原町通り、そして新京極へと向かう四条通はそれなりの人出があったのだ。
観光客は、何が物珍しいのか、クソ暑い中、橋の途中で立ち止まりスマホで北山やら、鴨川を撮っている。
また何人かでつらって歩いてるものだから、歩みもとろとろしている。
われわれは休みだし、この後はビールを飲むだけで、美味しいビールにするために汗をかいたほうが望ましいので、気にもならないけど、もちろんそんなひまじんばかりではない。
驚いたのは四条大橋の車道を、白いシャツと短パンで両手に荷物を持った若者がてくてく歩いていたことだ。
西詰には車が止まっているから、そこに荷物を運び込もうとしているのだろうか、重たいモノなので、テキパキ歩いて、さっさと積み込みたいのかもしれない、と見ていたら、車の方には見向きもせず、さっさと先斗町に入っていった。
地元の人で、先斗町の店になにか品物を運んでいる人なんだろう。トロトロした観光客の歩みが我慢ならない、ちんたら歩くな‼️と思ってるのだろう。
それはもっともだ。
河原町の交差点を渡り、北側の歩道をてくてく歩いていると、この歩道は拡幅されていて、その点では歩きよいのだが、上に差し掛けてくる日除けは、以前の歩道の分しかなく、歩道の左側は強烈な日差しが容赦なく襲ってくるエリアなのだ。
だから多くの人はそこは避けて、日除けエリアに入ろうとするものだから、手や体が接触したり、ぶつかったりしている。
ごった返す繁華街なんだから、普通は気にならない。
しかしすぐ前の70がらみで、赤いTシャツ姿の老人は、せいていて、やはり影と日向の境界線あたりで、反対方向から来た観光客とぶつかってしまった。
向こうは何事もなかったかのように通り過ぎていくのだが、老人は振り向いて「何しとんねん‼️」と怒鳴りつけ、また歩き出そうとしたが、それでも腹に据えかねたのか、再びこちらを振り向いて何か言おうとしていたが、もちろん相手の姿はあるわけないから、手持ち無沙汰でまた歩き出した。
地元の人だろうが、暑さでイライラしてるのだ。
京都の人たちも、観光で潤ってる人はたくさんいるはものの、関係ない人ももちろんたくさんいる。
そういう人にとって、観光客なんかは単に無神経で、迷惑なバカに過ぎないだろう。
いや観光業者にしてからも、「こないにぎょうさんきてもろても、ナーンもありがたいことおまへんわ、ええ加減にしとくなはれや」と思ってる人もいるだろう。
今日は嫁と京都に出向いた。
ものすごい日射で35℃くらいになっていて、オーバーツーリズムで大変な街ではあるが、さすがに観光客は少ない。
三条京阪に大きなブックオフがあるのだが、例の架空買取騒動で、「棚卸し」をしたそうで、その後店内に変化があるのかと見てみたかった。
というのも三ノ宮のブックオフは「リニューアル」と称して店内の本の配置を大幅に変えようとしていたからだ。
それも、営業中に本棚から本を取り出して、バックヤードに収納したり、別の本棚に移動させたりしていた。
三条はそういうことはなかったな。相変わらず特価本のワゴンには大月書店の『レーニン全集』が1冊500円でたくさん並んでいる。
灼熱の三条通をてくてく歩いて東山三条。
以前は東大路を渡った南側にエロ本ばかりを集めた本屋があって、人気を集めていたが、もちろん今はない。
木屋町はもともとヘルスがたくさんあって、客引きが凄かったが今はない。
こういうエロに頼らなくても京都は観光客をいくらでも呼べるようになったのだ。
東大路を下がって「ボローニャ」でデニッシュパンのお得用袋を買う。(990円)午後2時を過ぎていたのでもうないかなと恐れていたけど、そんなことはなく、棚には10個くらい並んでいる。再び灼熱の東大路から川端通りに出て「カカオマーケット」でチョコートを買う。
この店は白川が川端通と交わるへりに昭和の初めに出来たビルの一階にある。いつもはたくさんの客で賑わっているが今日はわれわれだけ。
新京極まで歩いて「キリンシティ」で飲んだ。
今日は朝方は涼しく、しのぎやすかったのだが、次第に日が高くのぼりえらい暑さになった。
1970年代には、街中で行われるコンサートや演劇、映画なんかの情報を記した雑誌があれこれ発行されている。
中でも『プレイガイドジャーナル』は1971年の創刊で、このジャンルの草分けだろう。
イベントの情報は今となっては価値がないように思えるが、この雑誌には色んなアーティストや作家のインタビュー記事や連載もたくさん載っていて、そういうごった煮感がいかにも70年代なのだ。
中でもいしいひさいちはずっと漫画を連載していた。
うちは、その後創刊号(1971年の7月号)から終刊となった1988年ごろまでのほとんどを持っているので、なんとかコンプリートしたいと、この数年努めたきたが、なかなかうまくいかない。
1980年代の半ばに入ると、リニューアルされて判型がかなり大きくなり、ページも増え、著名なアーティストも登場するようになり、何より付録がつくようになった。
とりわけタイガースが優勝、日本一に輝いた1985年は毎月付録がついていた。
当然それを含めてコンプリートしたいのだが、そういういいコンディションなものはなかなかない。
またこの時代京都では『きょうと』(きょうと発行所)や『京都かわらばん』、『きょうとにか』と称するタウン雑誌が発行されている。
『きょうと』は鶴屋八幡が出していた『あまカラ』みたいなやつで、大勢の作家がエッセイを載せていた。
『あまカラ』は今でも人気があるのだが、こっちの方はあまり見かけない。
表紙のデザインが『あまカラ』は凝ったものだが、『きょうと』はサンプルなものだから、その差かもしれない。
『きょうとにか』や『きょうとかわらばん』は繁華街の喫茶店や映画館、スポットのガイドも豊富で読んでいて楽しいのだが、そもそもこの雑誌を知っている人があんまりいない。
山田稔は90を超えても、毎年新刊を出してる興味深い作家だ。
佐藤愛子もそうなんだが、あちらはベストセラーになって、ドラマ化までされているのに、山田の方は今ひとつ知名度が上がらない。
これは、なぜだがわからないが、出版社が、大阪のマイナーな「編集工房ノア」ばかりだということもあろう。
山田は以前は講談社とか河出書房とか、メジャーの出版社から創作集を出していたがこのところは専らノアばかりなのだ。
しかしそのエッセイのような小説はなかなか興味深い。
『幸福へのパスポート』(これも前は講談社文庫に入っていたのだが、今はノア)はフランス留学中のエピソードがあれこれ綴られている。
その中でもフランス人の青年が、アメリカについて山田の思いを聞き出そうとするシーンは面白い。
山田は、初め自分が日本から来たことを紹介する流れで「…今は日本はアメリカとの関係があって…」と話して、意識して「アメリカに占領されていた」と述べることを避けた。
向こうはアメリカに対する感想を聞いてくる。この質問に対しても慎重に対処して、政治的な文脈に流れないようにしたのだが、そのフランス青年は「原爆投下はとんでもないことですよね。私もそう思ってます」と食い下がってくるのだった。
山田によれば、こういうやりとりはフランスでは一般的なもので、質問された日本人がそれを肯定するのが定番の問答になっているというのだ。
連合国の仲間で、ノルマンジー上陸作戦の主力を担い、フランスをナチスから解放するのに尽力したアメリカに対する印象が悪いのは不思議だな。
齋藤なずなの新刊『野菊の墓』が出た。伊藤左千夫の小説を漫画にしたものだ。
2人のデートシーンなんか、叙情たっぷり、野原で戯れる妖精のように描いてあって面白かった。
ただ、女が二つ上で結婚は許されないという小説の展開は、今となっては理解が難しい。従兄弟同士の2人が思い合ってることなど、すぐわかるのに周りが別の男と結婚させる展開もよくわからない。
女の方も辛い姿を見せながらも、従ってしまうし、ラストの産後の肥立が悪くて死んでしまうストーリーも今となってはリアリティに欠ける。