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古本屋日誌
昨日は祇園祭の前祭の山鉾巡行だ。
うちは、KBS京都は入ってないので、BS11の生放送を録画しながら見た。
いつものように長刀鉾の稚児の太平の舞から、〆縄切りと見て、順調に巡行が進んでいったが、珍しいことに、鶏鉾の前の車輪が破損してしまい、進めなくなってしまった。
暑い中、あれこれ善後策を講じているようだが、思うようにはいかず、結局鶏鉾を少し横に寄せることも試み、後ろに控える山や鉾を先に通すことになった。
そのため、四条通に巨大な月鉾、鶏鉾が軒を接するまでに近づいてすり抜けていくシーンが見られて素晴らしかった。
この後、鶏鉾は後退して辻まわしも行わなかったと聞いた。
新町通りでこういうアクシデントが起こってしまうと、道幅がないからややこしいことになっただろうから、やはり神さまのお計らいなのかもしれない。
それはさておき、こないだ昭和22年に出た今東光の『稚児』を一読したのだが、延暦寺での稚児の水揚げの話が詳細に書いてあった。
といってもかなり伏字があって、よくわからないところも多々あり、それを復元したものはないのかと気にはなっている。
興味深いのは、初めて高僧の慰みものとなる時、全山を挙げて祝祭が華々しく行われることで、煌びやかな装束に身を包んだたくさんの僧が練り歩いて、お祭りなのだ。
だから長刀鉾の稚児も、伝統的にはそういう目で見られていたのは間違いない。現代の我々はそのことを忘れているし、学んでもいない。
徳川時代の終わり1820年あたりから、各鉾に乗せていた稚児を人形に置き換えるようになった。
この理由について「各町に子どもが少なくなったから」とか「子どもがいても、物入りだし、祭りの期間中は親と会えないから」などと説明しているが、間違いだと思う。
子どもが減っているという話は現代のことであり、そもそも金持ちは元々子沢山だ。(貧乏人に、子供が多いというのは統計的に否定されている)
また物入りだというが、鉾町で、稚児を出そうかという旧家なんだから、負担では全然ないし、むしろ選ばれることが名誉だと考えられている。
だから、そんなことではなく、稚児のもつややこしいイメージが、徳川時代も末期になると、胡散臭いもので、子どもを虐待するものだという考えが主流になってきたためだと思う。
亡くなった鳥山明の『Dr.スランプ』だが、ジャンプコミックスの第7巻だけ、なぜか重版されていなかった。
そのため古書価が高騰して7000円くらいで取引されていた。ところがようやく重版がかかり、新刊書店に7巻が並んでいる。
早速こうてきて、嫁が待っている古い本と比べてみた。
やはり版権の問題なのか、絵に修正が加えられている。まずウルトラマンやウルトラセブンの姿は、一応それとはわからないようにベタの処理がされている。
バルタン星人も目の形などを変えて、ちょっと見たところ、よくわからない怪人になっている。
それに対してゴジラやガンダム関係の絵はそのまま。
重版が遅れた理由など知る由もないが、この辺りの交渉が長引いたせいかもしれない。
確かに前の絵の方が親しみはわくのだが、鳥山の魅力はその程度の改変で損なわれることはない。
シンガーソングライターの中島みゆきは色んなエッセイ集を出しているが、その中でも新潮社から1984年に出した『伝われ愛』はちょっと変わった本だ。
冒頭から、松山千春から電話がかかってきた話なのだ。
千春が「おう、真面目に働いてっか?」と聞くと「そぉりゃあ、もう。あたし、ス・タ・ーだからあ」
『なあーにがスターだよ。おまえ、知ってるか?俺のスケジュール。聞きたいか?東北・九州とんぼ返りだぞ」
てな感じで親しげな会話が続いて、千春が「お前、オールナイトやんないか」とオールナイトニッポンのディスクジョッキーを勧めたとあるのだ。
この後も中島がオールナイトのスタジオに入ろうとすると「『千春に手ェ出さないで!』女の子が、耳もとで叫ぶ。
昼間、街なかで、駆け寄ってきて『あなたのファンをやめます』と泣いた中学生の女の子と、同じくらいの年頃だろうか。」
という話を書いている。
中島はこんな話は聞きたくないという文脈で書いているのだ。
中島は、松山のことが好きで、なんとかしたいと考えていたわけだが、そのへんをエッセイに書いてしまうというのは、書かれた男の方はどうなんだろうか。
亡くなってしまったやしきたかじんが、テレビで松山千春と話すことがあって、
「お前、中島みゆきと話出てたよなあ。」と振ると
「そう、東京のコンサートに中島みゆきの名前で大きな花束がきたり、スタッフにあれこれ差し入れしたりしてたな」
「それで❓」
「俺のコンサート終わってみゆきがやってきて、バーで飲むことになったよ」
「中島て、かなりかわいいやろ、それでどうとかなってまうんちゃうんか❓」
「いや、だから必死やったよ。俺はもう日本経済の話とかまでしたよ」
「なんでや❓」
「そりゃあ中島みゆきだよ、あの、ややこしくなるにきまってるからな」
今回の芥川賞の候補作の一つ尾崎世界観の『転の声』(文藝春秋)を読んでみた。
以前は受賞が決まってから単行本になっていたが、(だから初版が何万部とか出ていて、プレミアはつかない)このところは候補作の段階でもう本になっている。
内容はコンサートのチケットにプレミアが付いて、転売されることが、そのアーティストのスティタスとなっているという話だ。
合同ライブで自分の出番は観客も少なく、ノリも悪い。
それを目の当たりにしながら、楽曲を歌い続けるストレスは大変なものだそうだ。
それで前売りを完売させ、プレミア価格が付いていても、是が非でも手にいれたいコアなファンを増やしたいと思うわけだ。
最後にはチケットは売るが、無観客でライブをするというわけのわからない話になる。
俺としてはアイデア倒れのつまらない小説にみえたな。ただライブ中の焦燥感を表現する比喩は面白かった。そこだけで作品を構成してもらいたかったよ。
先日、阪急の六甲近所のお宅にお邪魔して、蔵書を見せてもらった。
ここは坂の上に神戸大学があって(山口組の本部もあるのだが)いい本を持ってる人がいるのだ。
それにしても駅の北側にはバスやタクシーの発着するロータリーがあるのだが、そのわずかな平らなスペースを除いてものすごい坂が続いている。
神戸の人は何が嬉しゅうてこんなややこしいところに住んでるんやろ。
雪が積もったら、延々と下りのゲレンデとなって、JRの六甲道駅を経て、さらにダラダラと阪神電車の新在家までスキーで滑り降りられるだろう。
その北側にお宅はあって、ご主人(75)が亡くなられたので蔵書を見てほしいということなのだ。
奥さん「もうね、主人のこれはね、病気みたいなもんですわ。
こないこないして、こうてきよった本を本棚に並べられへんようになってもうて、畳の上にね、横に積み上げてまっしゃろ。
そないなことしたら、どこに何があるやらわからんようになってしもて、また本屋でこうてきよりましたんや」
「奥さん〜それはようあることなんですけど、頭痛いこってすな。
でもこのへん積んである本見してもうたら、大江健三郎のがようさんおますな。『死者の奢り』(文藝春秋新社)は初版で、上に油紙もかかった状態で、あんまり見たことないいい本です。
それから『夜よゆるやかに歩め』(中央公論社)は私もほとんど見たことがない珍しい単行本ですよ。初版だし、佐野繁次郎のカバーもきれいだし、上に油紙もついたままというのも好印象。」
「そうなんや、うちは本のことは何もわからんさかい」
「大江はね、私が一番好きな作家なんです。
紫式部に唯一引けを取らない1000年に1人の作家や思うんですわ。そのコレクションで、これだけいい本集めてはる方はなかなかいませんよ。ご主人はすごいセンスのいい方や思いますわ」
「そうですやろか〜」
「そら間違いない。だってほらこの『死者の奢り』やけど、裏に鉛筆で「初版、300円」て書いてあるやろ。この珍しい本が300円で古本屋に並んでたのは昭和30年代半ばだけやから、その時からご主人は大江の素晴らしさをチャーンとわかってはったわけよ」
「そうですやろか、そやったら、嬉しいわ〜」
「他にもこのへんの野呂邦暢の単行本は帯も付いてるし、初版のうえにコンディションもええので欲しいゆう人がようさんおる思いますで。ほんまにセンスのいいお人やった」
「そうですか、そう言うてもうたらうちもなんやら褒められてるような感じになってきますわ」