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古本屋日誌
詐欺サイトは閉鎖となっても、次から次出来ている。
お客さんは初めはAmazonやヤフオクといったまともなサイトでお目当ての本を探すのだが、値段が高かったり、品物が見つからないと、Googleや Yahoo!から本のタイトルを入れて検索する。
そうすると結構ヒットするもので、例えばちくま文庫の『チェーホフ全集』全11巻揃が9500円で出ている。また今東光の『稚児』(防長出版社)が9000円で売られていたりするのだ。
ご丁寧にも値段のところははじめに黒字でそれぞれ25000円、40000円と書いた上から赤字でセール価格が記入してあって、購買意欲がそそられる仕組みなのだ。
こういうサイトはまず住所がデタラメだ。Googleマップでチェックしたら埋立地だとか山の中だったりする。
次に電話もデタラメ、電話してみたら通じない。
さらに古本だけでなく、ブランドバッグ、靴、衣装、スマホ、パソコン、ジュエリーなどいろんなものを扱っている、もちろん全てデタラメだ。
古物を扱うには「古物取扱」の免許が必要で、サイトにはその登録番号を記載しなければならない。
そこで「会社概要」からチェックしてみると「必要なし」と書いてある。これはありえないことなんだけどね。
代金は前払いで、払い込んでも何にも送ってこない。慌てて電話しても通じないので、警察に知らせるのだが、その結果はサイトは閉鎖されるが金は戻ってこないで終わってしまう。
これが従来の犯罪の手口だった。
しかしこれではすぐにサイトを閉鎖しなければならず、面倒なんだろう、客から「まだ届かない」旨のクレームが来ても、ちゃんと電話に出で引き延ばしにかかるケースが現れた。
例えば先の今東光の『稚児』の事件だ。これは俺の知り合いが被害におうたので、細かいところを書いてみよう。
この本はもともと、昭和22年に谷崎潤一郎の序文がついて出版されて、その後別の出版社から一度復刻されたことがあるだけで、珍しい本で4万円くらいになる。
これを9000円で売るというから、代金を振り込んで、楽しみに待っていると届かない。電話してみたら「すみません、その本は品切れなんです」というわけだ。
「なんや、それやったら意味あれへんやん、返金してや‼️」となるよね。
「わかりました、申し訳ありませんけどPayPayで返金します。そのためにまずLINEでお友達登録をお願いします」といってくるのだ。
「俺はPayPayやってないし、LINEもそんなんしたら、電話番号がさらされて友だちになってくれ、とかなってしまうから嫌や」というと「それでは上のものに申し伝えます」となって
次に来たメールは「お客さあ、ほんとうにすみませんございます。PayPayで登録願いたくあります」というようなバカげた日本語でらちがあかない。
俺がそいつに「あんたなあ、間違いないは、それは詐欺サイトやで。警察に言わなあかんで」と忠告したら
「それはないやろ」
「せやけど、金戻ってけーへんわけやから、詐欺以外考えられへんやんか」
「とりあえず、お前んとこで『稚児』探してや、見つかったら買うわ」という。
そうなのか、ある層のお客さんはこの程度の金は無くしても気にしないのか、そういうものなのか。
冬場の風呂は危険だよなあ。
ぬくいところから脱衣所で、裸になって血管が収縮したところに、今度は湯船に浸かって一挙に血管が拡大して血圧も上がり倒れてそのままになってしまう人がたくさんいる。
俺の大学時代の友人の久保くんも、まだ62なのに風呂場で亡くなってしまった。
彼は鹿児島の出身で1981年に京都大学農学部に入学し、熊野寮に入った。
宵っぱりで、朝起きることができない学生だった。ファミコンの勃興期で人気のあったドラゴンクエストの研究を夜中ずっとしていたのだ。
ある時、夜中に久保さんの部屋を訪ねてみたら、(彼の部屋にはアラーキーの写真集がたくさんあるのだ)部屋の電気は落としてあって真っ暗な中、彼の机のところだけに、ぼんやり蛍光灯がともり、広げた紙面に一心不乱、何やら書き込んでいる。
「久保さん〜何してはんの❓」
「これ、ダンジョンの見取り図作ってる」という。
モンスターが潜み、落とし穴がたくさんある高層のダンジョンの地図を、試行錯誤しながら作成しているわけだ。
「そないなもん、要らんで。2、3回やったら落とし穴の場所やらなにやら、覚えてしまうやん」
彼は照れ笑いするだけ、凝り性なのだ。
金がないものだから、近くの琵琶湖疏水に出かけてブラックバスを釣ってきていた。
「この魚は、刺身でたべようとしたけど、臭い。焼いたら大丈夫やったわ」という。
金が本当にないなら、普通はアルバイトをしたり、先輩に借りたりする。でも彼は心底、仕事が嫌いなのだよ。
熊野寮の学生には、貧乏なふりをするくだらないやつもたくさんいて、俺はずっと不快だった。
学生は仕事をしていないのだから、金を持たないのは当たり前で、貧乏自慢などそもそもくだらない話だと思っていた。
経済学部の学生の吉村は法経館の大教室の講義に出ていて、終わってから教室で教授も交えて雑談していたが、教授が机の上に置いてある袋に入ったパンの耳の束を手にして
「これ誰のん❓食べもんよのうにも見えるな。吉村くんのんちゃうんか❓」と言いながら、ほーいと彼の方に放り投げた。
吉村くんはえらい怒り出した。「これはわしの昼飯ですわ。それを食べ物みたいとはひつれいだろう。先生はええもん召し上がっておられるやろけど」とバカなことをいう。
パンの耳はパン屋でタダでもらえるから、学生がよく昼メシにしていたことくらい、教授もよく知っている。
冗談も通じないし、おそらくこの先生が共産党のシンパのような本を書いていたのが気に入らなくて、難癖つけようとしたのだろうと思うが、いずれにしても頭が悪いし、全然スマートでもない。
久保さんは真の髄から怠け者だった。根性が入っていた。
夜中に1人懐中電灯を手に叡山登山をしていた。ようそんな怖いことできるよね。
「山ん中で、前を白い服着た女が歩いてんのよ。不思議や思って、早足で追いかけたんよ。でも小走りになっても、走り出しても、全然距離が縮まらへんのよ。あれは不思議やった」という。
あんたが不思議だよ〜
上沼恵美子が先日から『週刊文春』で人生相談の連載を始めた。
『文春』は坪内祐三が死んでしまって、その連載がなくなってからはこうたことがなかったが、例のダウンタウンの松本に関するスクープが載っているので、このところ三週連続でこうた。
俺は松本のような芸人風情がどうなろうと興味はない。芸人などいてもいなくても全然困らないからだ。
農家の人たち、土建屋さん、工場の労働者、トラックの運転手さんや、コンビニの店員さん、郵便局のみなさん、スーパーの店員さん、電車の運転手さんや車掌さんとかこそが、この世の中を根底から支えている立派な人だと思っている。
そもそもどうでもいい仕事をしているからこそ、芸人風情はあんなたくさんの収入があるんだと思う。
それはさておき、今週の相談の中で上沼恵美子は、南座の地下にある「松葉」といううどん屋で若い頃、今の旦那とデートした話を書いている。
なんでも旦那は「にしんそば」をオーダーしたそうで、「私、ハートを鷲づかみにされたんです。それまで私はにしんそばなんか食べたこともなかったんで、「いやぁ、かっこいいな」って。」
これは不思議な話だ。
そもそも京都の連中がありがたがるにしんそばて、全然美味しいことないけどね。徳川時代は流通が発達しておらず、身欠きニシンや鯖寿司なんかをタンパク源とせざるをえかなっただけのことだ。
今のわれわれに必要な食べ物ではないし、そもそも美味くない。
それを上沼恵美子がありがたがるというのは、味音痴なのか、男に溺れてわけがわからなくなったということなのか❓
さらに『松葉』はそもそもにしんそばが名物のお店だ。そこでにしんそばをオーダーするのはごく当たり前のことなんだけどね。、「かっこいいな」とおっしゃってもね、バカじゃないんだろうか。
さらに、さらにいうと『松葉』のそばやうどんが美味いとは思えない。京都は観光客相手のいい加減な店がたくさんある土地なのだ。
今日は芥川賞の発表だ。以前は発表されてから単行本化していたのだが、いつのまにか、候補作の段階で単行本になるようになった。
その中で九段理江の『東京都同情塔』は雑誌『新潮』の12月号に一挙掲載されたものだが、評判がいいのか、その『新潮』は売り切れている。
それで早速ジュンク堂で単行本を手に入れて一読してみた。
犯罪者は今は刑務所に収容されて、当たり前だが不自由な生活を送っている。
しかし犯罪を犯してしまうのは不幸な生い立ちに問題があったからで、犯罪を犯さない人たちは幸せな生い立ちを送っていたからに過ぎない。
その償いとして、東京の一等地に巨大なホテルのような収容施設を建てて、外出はできないものの、何不自由ない暮らしを送ってもらうことになった。
という書き出しなんだが、いやいや、少なくとも殺人を犯すような人物は先天的にそういう質があるんだよとか、いやそれはないだろうみたいな論争や議論とはこの小説は関係ないのだ。
「東京都同情塔」といわれるこの収容施設を設計した主人公は、もともと身の回りに美しいものだけを集めたい切実な慾求を抱く女性なのだ。
男関係も「ママ活」をしてかなり年下のイケメンと付き合っている。
彼女にとっては刑務所や犯罪者も美しく、調和のとれた存在としてあるべきだった。
1985年に三一新書で、立川談志の『現代落語論』が出た。
談志は上岡龍太郎の『上岡龍太郎かく語りき』のちくま文庫版に解説を書いている。
普通は解説を引き受けたのだから、その本の愛読者であるわけだが、談志は辛口で、上岡は才能があると期待していたのに、現状では期待外れだ、とけなしている。
その原因の一つが大阪落語への上岡の評価にあるように思えるのだ。
上岡はすでに高校生の段階で「落語は東京、漫才は大阪だ」と大阪落語のレベルが低いと判断したことを堂々と書いている。
一方、談志は自著の中で上方落語を東京のそれと比べて、軽んじる風潮があるが、そんなことはないと擁護しているのだ。
談志は東京の落語はそもそも上方から移植されたものがかなりあると指摘する。
また大阪のは、話が枝葉を含んで整えられていないこと(饅頭こわい、なんかはその典型だ)、話し方が東京人は受け入れ難いことなどが、低評価の原因だろうと的確に分析している。
そして例えば、松鶴や米朝のネタを東京に比べて大したことがないとは言えないだろうという。
俺は『初天神』なんか、東西両方のを聞いてみて、東京の話の方が明らかに面白いと認めざるをえない。
大阪落語の『初天神』は話が保守的で、明治時代のくすぐりをそのまま使っている。
子どもが飴ちゃんを舐めていて、突然『父ちゃん‼️あめ落とした」と半泣きになる。
「どこ落としたんや❓」となって
「のどの穴」というようなくだりなんだけど、面白いとは言えまい。