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古本屋日誌
スカイAで、平田、掛布、真弓の鼎談があるが昨日2回目の放送があった。
毎回、掛布の発言は首肯できかねる内容が含まれるが、平田の言いにくそうに繰り出す言葉には説得力がある。
その中でも佐藤が7月の横浜戦の後登録抹消(つまり2軍落ちだな)となった件で、佐藤を呼んで、平田が話をしたというやつは興味深い。
初め掛布が「あれ(2軍落ちのことだな)は成績だけなんですか❓」と聞いたところ、平田は
「成績だけ、成績だけ」と早口で答えていたが、掛布が「グランドの外でのことが、態度が問題になったのいうのはないんだね」とたたみかけると、
観念した平田は
「あの、オールスター明けの横浜3連戦の2戦目で、佐藤が打てなかった時、外すとなって、俺が話したのよ。
『試合中、交代となっても、普通はベンチから声出ししたり、拍手したりして応援するものだ。他の選手はちゃんとそうしている』」
なるほど、途中で変えられて不貞腐れていたわけだ。
以前この佐藤の2軍落ちの話が『月刊タイガース』の署名記事で出ていたことがあった。(この話は前に書いておいた)
それは2軍落ちに際して佐藤には「グランドの外のことも見られているぞ」と伝えられたとあった。
ところが肝心の「グランドの外のこと」というのが何を指すのか全然書いてない。練習をさぼるのか、たにまちに誘われて飲み歩いているのか、全然わからない。
書いてあるのは佐藤が練習熱心という話で、要するに真相はぼかして、佐藤に嫌われないようにしたいというさもしい、バカ丸出しの遠慮だな。
金子拓が中公新書から『長篠合戦』を出した。
われわれの教わった長篠合戦は信長、家康連合軍が3000挺の鉄砲で武田の騎馬軍団を打ち破った、陣の前に防御柵をめぐらし、三段構えにした鉄砲で迎えうったというものだ。
しかしすでに1975年には藤本正行がこれに異を唱え、長篠はせばい谷地で、騎馬の突撃は不可能、三段構えといっても距離が短いので、弾込めしている間に突撃されてしまうことなどを指摘していた。
今回の金子の本はこれまでの研究を大成したものだ。
それによれば、戦場である長篠は狭い湿地帯で、騎馬が集団で突撃して出来る環境ではないこと、織田徳川連合軍は陣の前に強固な防御柵を巡らしていて、近づく武田の部隊を鉄砲で攻撃して退けたとのことが書いてある。
つまり野戦というより、城攻めに近かったということで、勝頼は不用意に堅牢な城郭に攻めかかってしまったということのようだ。
金子によれば同時代の記録では、織田方の鉄砲への言及は少ない、それが勝敗を決したとの話はないのに、時代が経つうちに3000挺だの三段構え、騎馬隊だのになってしまったとのことだ。
これは信長が革新的な変革者であったとする価値観の広まりによるものだろうという。