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古本屋日誌
5日優勝の晩は、あれこれ特番があった。
関テレでは岡田と鳥谷が対談する(といっても数分だが)企画があった。
鳥谷は、不調ゆえ、半年くらい一軍で投げてない湯浅をピンチの場面で投げさしたことに触れて、
「あのきつい場面で湯浅を出したのはどうしてですか❓」
岡田は「きつない、きつない、そんなもん。優勝目指してやってきて、シリーズはご褒美なんや。」
「だから負けていいとはいわへんけど、ここで抑えたら場面が変わるなという感じでやったらいいだけや」という。
場面を変えてみようかなくらいの感じですやったらええということだから、ちょっとしたゲーム間隔でかまへんのや、ということだ。
こういう意識はチーム全体にも浸透していたのではなかろうか。
岡田の言うことは至極もっとも。シリーズはご褒美だろうし、われわれファンからしたら楽しいお遊びくらいなものだ。
タイガースはリーグ戦に優勝したわけで、これは偉大な成果だ。
岡田も「われわれはリーグ優勝を目指して戦ってきた」とはっきりとゆうてたのも思い出したな。
タイガースは昨日、バファローズを破り、日本一となった。
その前の試合で山本に14三振して、(なんでもこれはシリーズ記録ということだ)1点しか取れなかったのに、一夜明けたら引きずることも、影響されることもなかった。
昨日のバファローズの宮城は2戦目に、当たり全く打てなかったピッチャーなんだよな。
それにもかかわらず、4回にノイジーが追い込まれながら、内角に落ちてくるチェンジアップをスタンドに放り込んだ。
テレビで見たけど、落差の大きい、内角低めのボールで、それをどう打てばスタンドインするのか不思議だ。
これまでのタイガースでは考えられないことばかりだな。
優勝を決めた9月14日のジャイアンツ戦でも佐藤が低めのスライダーをバックスクリーンに放り込んだことも思い出される。
あのボールも難しい球だったよなあ。
これまでのタイガースは、非力で、才能も能力もない選手ばかりなのに、強力なカーブ打線やドラゴンズの投手陣、ジャイアンツの有名どころに立ち向かわないといけない感じがあった。
ファンの中には「大人の美學」みたいに考えてきた人たちがいる。
小学生の間なら「強いものに憧れるのは構わない(つまり、よく優勝するジャイアンツやスワローズ、カーブなどのファンでもいいということ)が、中学生になってもまだ、それではダメだ」などという意見があった。
これはキリスト教的な、キリスト教原理主義的な考えだ。
ユダヤの民は、出エジプト、バビロン捕囚、ナチスの虐殺など数々の辛酸を舐めた。1番抑圧されているがゆえに、1番美しく素晴らしいというわけだ。(マルクスの労働者階級への捉え方も実はおんなじだ)
でも普通に考えてそんなことがあるわけがない。
そもそも、今年のタイガースを見て、強いものの魅力は強烈だ、と思うよなあ。
強いものこそ美しいし、魅力的だ。
今はキャバレーは廃れてしまった。ミナミにはまだ「ミス大阪」などがあるのだが、以前隆盛を極めた大型キャバレーはもうないよな。
ちくま文庫の『上岡龍太郎かく語りき』は亡くなってから人気の本なんだが、そこに昭和43年の3月か4月のキャバレーでの余興のギャラの話が出てくる。
森進一を「バンド全部組んであごあしつけて東京から呼んで、四百万」とあるのだ。
当時の巨大キャバレーの隆盛ぶりがわかるし、そこに出ることがステイタスと捉えられていたともいえる。それはさておきこの文庫本の解説は立川談志だ。
「あのエキセントリックな少年パンチが、上岡龍太郎なんというごく平凡なTVの司会者になっちまったのは若き談志の誤認だとは思いたくない。」とある。
さらに「追伸」として、「上岡龍太郎、本心から己をまかせる芸種がないんだろう。その言い訳みたいな本である。」と書いているのだ。
談志の上岡への評価はかなり辛辣だよな。
才能など、ほとんどの人はない。人は求めに従って製品を作り出すだけだ。
NHKの朝ドラ『ブギウギ』はそれにしてもひどいね。
脚本家は才能はないどころの話ではなく、不勉強、かつ差別主義者であり、俺は見ていて終始不快だ。
今週はシヅ子が故郷の香川に帰り、法事に出るのだが、実はシヅ子には別の両親がいて、貧しいゆえに育てられず、今の親に託した真実を知ってしまう展開になっている。
世故にたけ、分別もある大人が、一人前になろうとしている子どもに、そんなくだらないことをわざわざゆうという展開が極めて不自然だ。
これは香川の大人への偏見と蔑視ではないか。
そんなバカがいる必然性はどこにあるんだろう。
全く理解できない。
また不勉強も目につく。
この昭和の初めの頃はいわゆる私生児は大阪にも全国にもいくらでもいた。
貧困に喘いで育てられない場合もあったし、いろんな両親の都合で叔母夫婦の子供として届けたり、養子に出したり、と親子関係が入り組んでいることは、ごく普通のことだった。
だから実の親が誰かなど、大袈裟に悩むことなど考えられない。
それをこの脚本家は、バカの上に勉強もせず、今日の価値観そのままに描こうとしているのだからあきれるしかない。
結局この程度のバカでも、朝ドラの脚本を手がけられる世の中だということだよな。
これは世間の人たちには朗報だよ。
世間に認められるのに、才能は不要だし、努力も要らないということが実証されているわけだからね。
ほんとうにありがたいことだ。
昨日甲子園で日本シリーズの5戦目があり、タイガースが勝った。
せっかくのシリーズだし、優勝を成し遂げたわけだし、観に行ってみようかと思ったが、結局チケットを取れなかった。
試合はテレビで観たが、7回にダブルエラーで追加点を取られて、これまでのタイガースならば、間違いなくそのままなすすべなく敗れていたのに、次の回に一挙6点を取って逆転した。
驚くほかない。
こんなに強いタイガースを見た覚えがないよ。今年はジャイアンツを破って優勝した9月14日の試合を甲子園で観戦して、積年の怒りも氷解して、一種の達成感があったな。
18年も優勝していなかったので、その喜びもひとしおなのだが、連覇とか3連覇とかになると、さまで嬉しくはないだろう。
俺は甲子園に埋めかけている人たちのかなりの部分は、タイガースの選手には実力なんかなく、ジャイアンツの内海、ドラゴンズの山本、横浜の三浦、カープの大野の球は打てないことを知っていたと思う。
だからこそ球場に出向いて声を張り上げて応援して、また野次るのだ。
「内海‼️ええ加減に弱いもんいじめやめたれよな‼️ええ死に方さらさへんぞ、お前なんぞなあ‼️」てな具合だ。そういう人たちは今年の圧倒的に強いタイガースを見てどう思ってるんだろうかね。
ひょっとして、「なんか物足りんな」とか「こら、もうタイガースちゃうで」、と少し冷めているのかもしれない。
(おれは素直に嬉しいけどな。ここまで長く優勝できなかったのが、ようやく達成して正味喜びしかない)
さて、今日から四条寺町の藤井大丸で古本市。
地下の催物会場を使い、京都、大阪、神戸のみならず、奈良、彦根、富山、伊勢などからも参加して計21店舗。
おりしも百万遍では京都古書研究会主催の47回目の古本まつりが開催中なのだ。
古書研究会は15の古本屋が参加しているのだが、二代目、三代目の本屋もあって老舗というイメージだな。
それに対して藤井大丸の古本屋は若手(といっても40代やけどな)が比較的多く、つまり新興勢力だ。
新しく京都で古本屋を始めた若手にとって、昔からある古本屋はどう見えてるのだろうか。
そんなことはうかがいもしれないが、俺が邪推してみれば(あの連中は、いい気なもんだ。親の七光で楽にいい本を集められて羨ましいよ。
俺なんぞな、必死こいて本集めよう思ても、お客さんからは『あーすまんな、本は親の代から赤尾に売るて決めてんねや』といわれてしまう。
ほんまあの昔からの古本屋はいちびっとるな)
(また京都の客、大学の連中のことや‼️保守、保守のかたまりやな。昔からの古本屋としか付き合わない。そないに昔がええんやったら、スマホも持つなよ‼️石器時代か平安時代に戻ってまえ‼️)てなことを思ってるのではなかろうか。
知らんけどな。