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古本屋日誌
柴崎友香と岸政彦のエッセイ「大阪」が河出書房から出た。
岸は立命館の社会学者だそうだ。
この本で岸は大阪の大衆が何気ない時にポロリと部落差別や寄せ場への偏見、朝鮮人への差別的言動をこぼすことを書いている。
部落差別については同僚とタクシーに乗って行先に部落だった地名をあげたら運転手は「あそこは普通の人が行くとこちゃいますよ」と言ったとある。
確かにそういうことを何かの折に言ってしまう人は大阪にもいるよなあ。
ただ京都はもっとはっきり人前でも憚らずそういう言動をする人がいる。
京都の人は祇園祭の町衆であり、つまり洛中のほんのわずかな地域に住んでいることに誇りをふかく抱いていて、そうでないと地域の人々におかしな優越感を抱いていることは井上章一が縷々書いている。
ただ京都はその反面プライドの表明として町屋をいつまでも保持したり、祇園祭などの祭礼に気合を入れたりとポジティブな側面を持っている。
料理にしてもにしんそばなんかどこがうまいんだろう。あんなものちゃんとした魚が運搬手段がないために京都に持ってこられず、やむなく作った間に合わせのしろものだよ。
全くうまくない。
しかし京都の方々はそれをありがたがっていまだにお召し上がりになるんだからすごいプライドだよ。
翻って大阪はどうなのか❓
それなりに差別意識は旺盛だがその反面のプライドはないのかな。
うちの近所では伝統的には鮒料理が食べられていた。よく聞いたのは鮒の昆布巻なんだが、今それを食べてる人て果たしているのだろうか❓
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井上章一と磯田道史の対談集「歴史のミカタ」に京都人は避暑に行かない話がある。
東京の人たちは軽井沢やら箱根に酷暑を避けに行くようだが、京都人にそれはない。
鴨川に納涼床なるものを設けて夕涼みと洒落込むのだが、もちろん涼しいわけがない。
井上章一はこれを京都人の洛中へのこだわりだと解釈している。
「なんぼ涼しいとこやゆうたかて、そないなもんちょっともええことあらしまへん。鴨の流れがどこぞにおますか‼️甍の波やら御所様てどっこ探したかてあらしまへんよってな」
京都の人にとっては涼しさなど二の次でやはり京都の素晴らしい景観や雰囲気が何より価値のあるものなんだろう。
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今日もえらい暑さで大変だった。
朝は梅田のお客さんのところにお伺いし、買取をして
「とにかく暑すぎる‼️」と言い合ってその足で天王寺のお客さんのところに伺った。
あれこれして帰ろうかと7時ごろ天満橋に着いたらおりしも千林で事故があったとかで足止めをくった。
今の世の中死にたくなるのはどうしょうもないよな。
やむなく天満橋駅の地下街で串カツなどをきこしめしてと思ったけど「8時閉店」とのことで諦めて元のまっさかや8階にあるジュンク堂に逃げ込んだ。
ブラブラしてたら千葉にあるホキ美術館が「神業の風景画」「静物画」「人物画」と称する画集を出していることに気づいた。
島村信之が風景画も描いているのに気づいた。
「朝靄」なんだが緑なす山々を背景に美しい澄んだ湖が描いてあってみぎわには丸まっこい小石が湖底にびっしりであるのもみてとれる。
湖面には一面赤紫がかった靄がたなびいていて気持ちを落ち着かせてくれる。
現実にもよく似た朝靄たなびく美しい湖はあるに違いない。でも実際は汀にゴミが浮いていたり、無粋な観光客がたむろっていたりして、なかなか世界が完結しない。
また写真はすべてのものを際立たせてしまうので優しさに欠ける。
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井上章一と磯田道史の「歴史のミカタ」が祥伝社新書から出た。
慶喜が鳥羽伏見の戦いに打って出たときの話が面白かった。
初め慶喜に領地を返上させることになったが、松平春嶽らの意見で領地の調査にとどめることが政府決定となった。
慶喜もこれを受け入れ、京都に戻ることになった。新政府では慶喜にポストも用意していた。
ところがなぜか慶喜は幕軍を京都に進軍させて鳥羽伏見の戦いに至ったという。
これまでは主戦を唱える部下に慶喜が「如何様にも好きにせよ」と命じてしまったのが戦いの原因と聞いていたんだけどね。
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「昭和の映画絵看板」という本が出た。
難波にあった「不二工芸」という、映画館のあおり看板を描いていた会社が昭和30年代からの自社の絵看板の写真を大量に保持していて、それを本にしたものだ。
なんでも正月は特に大忙しで40時間ぶっ続けに仕事したとか設置に時間がかかるのはいつものことで徹夜も多かったとのことだ。
さすがは職人魂‼️自分の仕事に誇りを持って取り組んでいるよなあ。
職人のインタビューの中でキタとミナミノ看板を乗り違いについて
「ミナミみたい奥行きのある立体看板はキタにはないよなあ」
その理由として「ミナミの映画館は一階にあるけどキタのはビルテナントの中に入っているから」とか
「ミナミの客はインテリアが少なくて職人なんかが多いから」と述べているがもちろんそんなことはない。
これは徳川時代の道頓堀の芝居小屋に設置されていた立体看板の伝統が映画館に継承されたからなんだよなあ。
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