Welcome
古本屋日誌
「週刊文春」で橘玲がコロナ騒動を経て家族がどう変化していくのかを考察している。
橘によれば日本は一人暮らしがごく当たり前で、ワンルームマンションもたくさんあり、将来の夢をこたえるアンケートでも「自分らしいスタイルで生活したい」とか「自分に合った仕事をしたい」などといった自己実現を目指す答えが多く、逆に「家族の期待に応えたい」「社会に役に立つ人間になりたい」などの答えは皆無だそうだ。
つまり日本人は極めて個人主義的なわけだ。
また男の生存戦略には一夫一婦制が好都合、女には一夫多妻がいいのだという。一夫多妻なら大金持ちのセレブの婦人になれたり、イケメンの女になる可能性が今よりも高まるということだ。確かに今の一夫一婦ではセレブの婦人におさまるためには、極めて熾烈な競争を勝ち抜かなければならないだろう。
現在は富が女まで回らないため、女は結婚して生計を立てる戦略をとっている。それなりに頑張って働いているダンナをさておき、嫁がセレブやイケメンの愛人となって楽しんでいたら、ひがんだダンナに捨てられてしまうかもしれないからだ。
しかしすでに自立した女もいくらもいて、経済的にも精神的にも極めて個人主義的なスタイル取っている。男も自分の好みに応じて選び多夫的になっている。
将来さらに女が経済的に自立することは間違いないから、世間は一夫多妻の方向に流れるのではないかというのが橘玲の考えだ。
なるほど、女にとっては一夫多妻の方がいいのだという主張は蒙を啓かれた。
そういえば身近にもいくつになってもアイドルの追っかけをやったり、映画の聖地巡りをやったりする女がいくらもいるなあ。
現実には単なるおばさんなので、趣味としてやる分には何の問題もないけど、本人は真剣にアイドルやイケメンとの結婚を望んでいるのだから面白い。もちろんかなうわけもなく、馬齢を重ねるばかりとなり、それでも「あのな、こないだなとんぼりの松竹座の前歩いとったらな、『お嬢さん、おひまありませんか❓』いわれたんやで、これてナンパかなあ❓」とか聞いてくるんだから笑わせるぜ〜
iPhoneから送信
今月の「サライ」は付録として帆布のポシェットが付いていて、青い紐を調整することで肩からかけて自転車やバイクに乗ることもできる。
新聞でこの雑誌の広告を見て井上章一がお勧めの10冊を書いてるのを見つけて、そこだけ立ち読みしたいと思って、天下茶屋の田村書店に出向いた。
ところがこれはよくあることなんだが雑誌の中にポシェットが挟み込まれる形で販売していて、太いゴムバンドが雑誌に十文字にかかっていて読むことができない。
まあそれでも表紙に載っている白い帆布のポシェットは魅力的に見えたので買いました。
さて井上章一は「イタリア人が見た日本の家と街の不思議」と題された新書と坂口安吾の「日本文化私観」(講談社文芸文庫)などを挙げていた。
これは井上章一がようゆうてることなんだがイタリアの街並みは屋根の色とか、建物の形などが揃うように規制がかかっていて、上空から見ると非常に統一感があってきれいだが、日本のはてんでバラバラで見苦しい。イタリアは昭和18年にローマが空襲されたら、途端に縮み上がって降伏したが日本は東京大空襲で首都が焼け野原になってもへっちゃらで戦争を続けた。
当時坂口安吾は「日本文化私観」で奈良や京都の文化財など焼けても構わない、法隆寺が焼け落ちても構わない、文化は形ではないんだなどと論じていた。
井上は坂口安吾は時流に媚びた発言をしている上に文化の重みを全く理解していないアホウだと非難するわけだ。
ただ坂口安吾はこの論考の最後で大衆には何もかも焼け落ちてそこから立ち上がるエネルギーのようなものはないから、落ちきることはできないと逃げを打ってるけど、たしかに井上の言うように時流に媚びている感はあるなあ。
iPhoneから送信
編集工房ノアから「山田稔自選集、1」が出ている。
これまで刊行した本から自ら選んだもので白地のカバーに黒い控えめなタイトル印字に帯といつもながらよく考えられた造本だ。
その中に山田が感動した詩の引用があって長年連れ添った妻が癌で亡くなってしまった、闘病中「もうすぐ良くなるといいくるめて」と送ってしまう。
「日に一度哭くことにしている
二度哭くと健康を保てないので、
三度哭くと自殺することになるので」
と引用が続く。
大人向きのいい文章だよなあ。人生で起きるさまざまな事件とその時に抱く感情は一筋縄では捉えきれない。悲しみにくれるときもあれば、周りに配慮しないといけないときもあるし、また自分の人生も考えることがある。
頭の中ではいろんな感情がうずまいてそれでも割り切れなさや後悔の思いを抱えながらも過ごしていかないといけないのが人生だ。
その一瞬の気の迷いをうまく切り取って活字にしているわけだよ。
iPhoneから送信
昭和51年に「月刊タウン誌 大阪ろまん」というのが出た。
創刊号は100ページくらいあって25周年の新梅田食堂街のグラビアを巻頭に天牛新一郎と杉本書店店主らの対談に23人の大阪ゆかりの人物のエッセイが収めてある。
天牛新一郎は仕入れも含めてずっと大阪で、地方に出たことがないというのに対して、杉本書店の店主は地方の新刊書店によくせどりに出向いていた話をしている。なんでも昭和の初め円本がブームの時に地方の本屋にはたくさん転がっていて一挙に買い占めたんだそうで、新刊屋から「そないに200冊もこうていかれたら、棚がスカスカになってもうて、見栄えが悪なるよってちょっと残しといてや」と言われるくらいだったという。
エッセイでは川崎彰彦も書いていてまださほどの年齢でもないのに晩年の「くぬぎヶ丘にて」みたいな枯れた味わいを出していたのには驚いた。それと対照的なのが寺島珠雄のやつで、西淀川区の中島に住む生活を楽しげに書く。
路肩や巷にはゴミが転がり、空き地には黒く汚れた水が溜まっているし、空気はいろんな臭いがする。寺島はそれがいいんだという。
そしてその感性の先駆者として小野十三郎の詩集「大阪」をあげるのだから相当な確信犯だな。
それにしてもこの雑誌、いろいろ調べても創刊号以外に見当たらない。大阪市立図書館のデータベースにも創刊号しか載ってない。
iPhoneから送信
このところのコロナ騒動で買取の依頼は非常に多かった。お客さんも家にいる時間が長いせいか掃除でもしてみるかという気になって見渡してみると、読んでもいない本がいくらでもあるから引き取ってくれということなのだ。
さてご自宅に伺って拝見したら、当たり前のことだがほとんどは商品にならない本ばかりで、つまりは粗大ゴミの処理になってしまう。
これは資源の無駄でもあるし、そもそも商売として問題がある。うちは古本屋なんだから本を売らないといけない。粗大ゴミの処理はその道のプロの仕事であって他人の商売の邪魔をしてはいけないはずだ。
もし店舗がそれなりの立地にあったなら、ダンボールごと廃棄されてしまう本も十分売ることができる。店頭で100円均一や50円均一にしたら問題なくさばけるわけだ。佐伯泰英、宇江佐真理、田辺聖子、司馬遼太郎、黒岩重吾など問題なく売れる。
だだ諸経費が膨大で、賃料、人件費、光熱水費その他とうていありえない金額に上ってしまう。
店舗以外に例えば地元のスーパーの駐車場、駐輪場でちょっと場所を拝借して週に1回とか月に3回とか臨時の古本市を開くことは理屈の上では可能だ。これなら100円均一で流通量の多い本も捌くことができてエコだよなあ。
ただ問題は臨時の古本市を毎週開催するための労力と気合だな。均一本を倉庫から出して段ボールに詰めるか紐でゆわえ、ハイエースに積み込み、えっちらこと運転してスーパーに乗り付けガードマンさん、店長や主任さんにご挨拶差し上げて、おもむろに段ボールを取り出し、その前に本棚を組み立てる、完成したらどんどん販売して残りは「お疲れ様でした〜」の声とともにまたダンボールに詰めてハイエースに運び込み、ブブーと運転して倉庫到着、下ろして整理するという想像しただけで気が遠くなる作業が要求される。
結局コロナ騒動で分かったことは、店を開くとか古本市を開催などしなくても、通販で本はいくらでも売れるということだ。
そもそも本はデータベース化されていて、必要な基本書はちょっとまともな人間なら分かっているわけで、いちいち必要な本がある可能性などゼロに近い実店舗の古本屋や古本市に出かける意味がないのです。
今後は古本屋の通販化の流れは一層激しくなり、店舗を構えた古本屋は特殊な需要に特化した専門化していくことは間違いない。
iPhoneから送信