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古本屋日誌
ちくま文庫から2年前神藏美子の「たまもの」が出た。神藏は坪内の前妻で、この本は二人のあれこれを綴った写真集なんだが、表紙が泣き崩れる彼女の写真とあって悲しみがよみがえってくる。
神蔵は坪内と離婚して白夜書房の末井昭と結婚したことは知っていたが、この本を読んでみたら2000年の秋に坪内はある女と挙式を一週間後に控えていたというのだ。
ところが坪内は神蔵と路上で再会して意気投合して「30時間くらい」話し続けたと面妖なことが書いてある。
神蔵は直後に友人に「坪内さんといっしょになりたい」と本心をもらして相談したが、友人からは「あんたは人妻でしょ、それに坪内さんだって、1週間後に結婚式なんだから今頃はどこかでセックスにはげんでいるわよ」といさめられるが、坪内は結婚を取りやめ、結局2人は結婚することになる。
末井とのことはこの後で、神蔵が男を女装させて写真を撮る面白さに目覚めて、そのつながりで末井と親しくなったという。別れてからも3人でしばしば会い、坪内と末井をミニスカのOL風に女装させて並んだ写真を撮ったりしていて面白い。
今日は「サンデー毎日」の発売日で坪内はここに「テレビもあるでよ」という連載を持っていたが、今号は坪内の文章ではなく彼を「最後の無頼派」だとする追悼文が掲載してある。
無頼派というからにはその酒量なり、無茶振りなりが詳細に述べてあるかと思いきやそんな話は全くないので拍子抜けしてしまう。なんでも来週号に坪内の最後の原稿を載せるのだそうだ。
また「SPA」も今日が発売日で、この雑誌には長らく、ギネス記録になるほど長期にわたり福田和也との対談が毎号載っていたのだが、今回は匿名の記者座談会で「2日前まではメールでもなんら変わらなくやりとりしていた」とか「まだ書きたいことがいっぱいあると話していた」とか「やはり酒は飲みすぎではないか」とかある。
まああれですね2日前までは元気ということなのか、それとも単に二日間は連絡すべき用事がなかったということなのかわからんなあ。繰り言になるから言っても仕方はないけどね。
坪内祐三は長らく「週刊文春」に「文庫本を狙え」というさすが文庫本のメキキだなあ〜〜といえるコラムを連載している。すでに1000回を超えていて本人も全3巻の単行本にするのが夢だとも書いている。
その最新の単行本が本の雑誌社から出た「文庫本宝船」で、その冒頭に例の2・26事件を扱ったちくま文庫の池田俊彦「生きている二・二六」を取り上げている。
この本は岡田啓介首相宅の襲撃に参加した池田俊彦の回想で、その中に例の「本庄日記」の話も書いてあって昭和天皇が「農民の窮状に同情するは固より、必要事なるも、而も農民亦自ら楽天地あり」と発言していたことを明記している。
坪内はこう書く。「こういう昭和天皇の世間知らずを知ったのちも、池田氏は『気持の軽くなるのを覚えた』とあくまでそれをうらもうとはしない」
まああれですね、昭和天皇が娘の身売りにまで追い込まれている農民の苦しみを理解せず、「百姓には楽しいことがいっぱいあるじゃあない〜〜」などと言ったのを聞いて、池田氏はこんな能天気なやつなら俺も取り立てて悪いことをしたわけではないなと思ったんではないのかね。
今日は「週刊ポスト」の発売日で坪内祐三はいつも最後のページにオールカラーの美術鑑賞のコラムを連載していたが、今日手にしてみたら「最終回」と銘打ってコラムが載っている。目次には「追悼最終回」の表示、コラムの下段には「坪内祐三氏は1月13日に逝去されました、ご冥福をお祈りします」のキャプションがある。
「サンデー毎日」は最新号が1月14日の発売だが坪内はここで「テレビもあるでよ」というコラムを連載しているのだがあ、これも特に問題なく大相撲の話が載っている。
「文藝春秋」に毎月「人声天語」なるコラムを坪内は寄稿しているが、最新号のはこのところ若くして死ぬ人が出てきている話だった。
プロ野球の金田正一やタイガースにいたバッキー、文士の安岡章太郎と比べて大相撲の千代の富士、そして橋本治などの短命ぶりが話題になっている。「ミイラ取りが」みたいな話で切ない。
坪内には扶桑社から出した「アメリカ」という本があってその中で占領中に検閲を行なったアメリカを江藤がひつこくあれこれ調べたて、それを受け入れてしまった日本を批判していたことを書いている。
江藤にとってはアメリカはふざけた輩ではあるのだが、その傘の下で生活が成り立ってしまっているという負い目があった。
坪内は江藤より上の世代の例えば福田恆存は全然アメリカに負い目も何も持っていなかったという。
留学して食事の感想でも、アメリカの食べ物には深みも何もない、味がないと突き放した感想を述べている。福田恆存にとってはアメリカなどというものは西洋の落ちこぼれでしかなく、そんなもの歯牙にもかけないほどの生活の厚みも当時の日本にはあったということなのだ。
坪内祐三は「本の雑誌」に長らく日記を連載していたが、そこで中公文庫の「トウキョーレコード」を取り上げたことがあった。
この本は1941年に東京に滞在していたオーストラリアのジャーナリストが書いたものだがその中に日本海軍が昭和16年の段階で既に潜水艦を使う特攻を想定していた記述があると坪内は書いていた。
これはかなりセンセーショナルな話だと思うのだが世間ではほとんど話題にならなかったな。坪内は「こんなすごい本を誰も書評で取り上げないとは日本の論壇はどうなっているんだ」と最大級の表現で持ち上げていたけどね。
本の雑誌社から出ている「昼夜日記」は上の段に昼間の読書や古本屋巡りの話、下段に居酒屋やバーをへめぐる話が書いてある面白い本だが、56の誕生日の話があって「体調きわめて悪し。血をけっこう吐く」とあるのに、翌日には「夜手巻き寿司を食べながら梅酒を飲む」と書いてある。
まああれですね、数年前から調子悪かったんだなあ。ちゃんと検査するとか入院するとかしたらよかったものなのに、繰り言にはなるがもったいないなあ。
この本にはスポーツライターの玉木正之への激烈な批判もあって2011年7月の例の技量審査場所での白鵬と魁皇の取り組みを玉木が「誰が見ても白鵬が魁皇に手加減したと思える一番」と書いたことを坪内は「二人共に力の入ったまさに大相撲だった。」として「そんなこともわからないオマエこそまさに八百長野郎だ。」と書く。
まあよくわからない話だが、喧嘩っ早い坪内らしいエピソードだよなあ。
玉木正之は2008年のタイガースについて「今シーズンのように余裕があって安心して見ていられるシーズンはいいのだが、タイガースファンには不安がる人も多くいてもっと勝たないといけないなどという」と書いていた。
ご承知のとおり、全然安心できるシーズンではなく、優勝もできなかったよなあ。玉木はどちらかいうと野球が専門だと思うのだが、全くものを見る目がないよなあ。
坪内祐三は早稲田高校の出なんだが、ご承知の通り父親はダイヤモンド社の社長だ。金銭的には裕福だったから、高校時代から父親の行きつけのバーにも出入りしていてカードで払っていたがある時月の支払いが20数万になり父親から電話がかかってきて「おいお前、身体は大丈夫か❓」と心配されたというのは有名な話だ。
本の雑誌社から出ている「酒中日記」には坪内が実際どれくらい酒を飲んでいたかがはしごした店の名前や、あての数々と一緒に記してある。
大相撲観戦に行って枡席で缶ビールのあと冷酒の四合ビンを二本空けたとある。
坪内は感極まって「朝青龍‼️今までありがとう‼️」と大声を上げた。
ある飲み屋で生ハムとカマンベールチーズのサンドイッチをつまみにハイボールを5杯飲んでから次の店でウィスキーの水割りを7杯飲んでさらに次の店に行って飲み続けるという話がずーっと続くので大したものではある。
まああれですね、もう50も近いのに完全に飲み方は学生と同じですな〜〜
喧嘩っ早いのも学生と同じで、紅白歌合戦を見ていたら司会の中居が鶴瓶に「鶴瓶さん、今日はペロンはダメですよ」と品のないことを口にしたのに腹を立てて即座に見るのをやめたのみならずNHKに抗議電話をかけたというのだ。
またバーで矢作俊彦と飲んでいて話の行きがかりで坪内が天皇陛下万歳を矢作の前で連呼したら4回目で矢作俊彦がブチ切れて路上で喧嘩となったとも書く。
確かにアル中みたいな感じなんだが、坪内にはそれなりの体力もあったし、味覚も人並み以上だったからはしごで酒量が上がっていっても、酒がまずくならなかったんだろう。
これは下戸の私からしたら本当に羨ましい、けなるいことなんだよなあ。いつまでも酒を美味しく楽しく飲める、これに優る喜びは少ないのではないか〜〜
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