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古本屋日誌
文藝春秋から李栄薫らの「反日種族主義」が出た。日本帝国主義による植民地支配の神話を解体する本で、韓国ではかなり売れたようだ。
朝鮮併合について私の高校時代は日本史の授業で「土地調査事業」や米の強制的な輸出を習いましたね。なんでも朝鮮総督府は全土の土地の測量をするとともにその所有者を確定させるとして、期限までに土地の所有者であると申し出るように伝えたが、朝鮮人は「土地の所有」という考えに疎くて期限までに申請した人は少なく、ために総督府は労せずして大量の土地を召し上げることにとに成功したというのだ。
また慢性的なコメ不足に陥っていた内地の状態を救うために朝鮮から強制的に大量の米を日本に輸出させた、そのため朝鮮では深刻な飢饉が頻発したとも習ったな。
さてこの本では「土地調査事業」では全国に三角点を設け、番地などを確定し台帳に所有者の名前を記したとある。従って「4割の土地を奪った」などということはなく、日本の敗戦による解放後も自分の土地を取り戻すような動きはなかったとある。
米の話は日本への輸出であり、対価もなく収奪したわけではない。ただ輸出での利益は田んぼを所有する地主に集中して、実際に耕作している小作人には及ばず貧しいままに置かれたとある。
中津にある編集工房ノアが出した杉山平一の「希望」を入手しました。帯、新刊案内、読者カードがついている上に、著者のサインがあります。ぜひお求めください。 「仲間はずれ」と題された詩があって日本橋にかつてあった五階百貨店では靴の片っぽうを売っていた、尼崎にはタバコを2、3本にバラして売ってくれる店があった。また道にきれいなタバコの吸殻があるのを見つけて靴の紐を結ぶふりをして拾い、恥ずかしそうに俯いて歩いて行く人がいたともある。
まああれですね、五階百貨店にせよ余りのタバコ屋にしても自分の商売に恥じるところがないのがいいね。ゴミ屋であろうがクズ屋であろうが古本屋であろうが、世間様に恥じることは何もないというのが潔くて素晴らしい。道に落ちているシケモクをひらって吸うのだってリサイクルだし、道路もきれいになるし、自分も満足するし一石二鳥も三鳥もの立派な行いなんだから、恥ずかしがることはないのに、そこまで人は強くなれないのかね。
さる11日の月曜日、11時から神戸地方裁判所で雇用延長時の時間給に関する裁判の2回目の公判があった。
原告は中学受験の進学塾の社会の先生なのだが、正社員ではなく講師、つまり非正規労働者だ。この会社では定年が60でそれ以降は雇用延長時となるのだが、時間給が2割くらい引き下げられる上に担当の授業時間数も削減されて年収では6割くらいになってしまう。
やる仕事は授業だから、定年前と少しも変わらないだのに時間給が引き下げられるのは不当だと会社を訴えたわけだ。
前回の公判では裁判長から「でも時間給を引き下げる旨書いた契約書にサインをしているわけでしょう、だのにそれを不当だとする根拠を示してもらわないと困る」との話がありました。
今回原告から契約交渉時の模様を録音したものが証拠として提出されました。それによると「この時間給は納得していない、不当だから争う、ただ今契約書にサインをしないと仕事をもらえなくなる可能性があるのでサインはする。ただし時間給には納得していないので保留として今後話をしたい」との内容が残っていました。裁判官も「これは証拠として採用できる」として次回以降実質的な審議に入ることになりました。
まああれですね、契約書を巻くというのはなかなか重いことなんですね、不満があっても一旦サインしてしまうと「納得したでしょう」と解釈されて裁判になっても門前払いされる可能性があるわけですからね。
定年後時間給を下げられたり、勤務時間数を削られたりする人は全国にたくさんいるわけだから、この裁判の帰趨は実に興味深いところですな。
文藝春秋から出た中野孝次の「ガン日記」は文庫本でもいいんですが、今回帯付きの単行本を入手しました、ぜひお求めください。巻末には入院後、亡くなるまでを記した夫人の後書きも収めてあります。
中野はもともと千葉の大工の息子で跡を継ぐことを嘱望されていたのに、一浪して東大に入りドイツ文学者となった。のちに「ブリューゲルへの旅」などの西洋かぶれした作品を書いたのだが、年老いてようあることなんだが地元回帰にとらわれて「清貧の思想」なるエッセイで一世を風靡した。
大都会で至便なアーバンライフに興じるのではなく、田舎でよくから離れた慎ましい暮らしをするのが人としてあるべき姿ではないかなどと説いた。
その中野がガンになり余命一年を宣告されて一時は標準治療である放射線と抗がん剤の併用を「人間らしい生活ができなくなり、無駄に苦痛を生むだけだ」と拒み従容として死に赴こうとした。
中野は近代化がもたらした弊害をいろいろ並び立てて、ブロイラーを取り上げる。以前のような放し飼いができなくなりまるで工場で流れ作業のように生産される卵や鶏肉が安全であるわけがない。ガンという病気もかつてはこんなに多くはなかっただろうと書く。
中野は標準治療は拒否して、痛みが出たらホスピスにでも入り最期を迎えようと思っていたが、家族や医者から「まだ可能性もある」とか「やってみる価値はある」とかいろいろ言われるうちに「自分はともかく、家族のためになるのなら」という理由で大病院に入院して、嫌がっていた抗がん剤と放射線の標準治療を受けることになった。しかし薬石効なく、告知から半年ほどで亡くなってしまった。
まああれですね、中野が本まで書いて嫌がった高度な現代文明にすがって、挙句死ぬことになったのは皮肉な話で、その辛さがこの本の価値だろう。
友人に東京の巣鴨出身の男がいてもう70がらみなんだが父親は亡くなり、実家に住む母親を自分の暮らす神戸に呼び寄せて、施設に入れようかと考えているのがいる。そいつの話では「東京はあまりにも人が多すぎて、のんびり暮らすには向いていない、若い頃は東京は便利で憧れもあったけど、今は自分も帰る気はないな」という。
大学の図書館は時に閉館になってしまうことや、何年かに一度蔵書整理で大量に処分することがある。
われわれが買うのだが蔵書印が控えめに押してあるだけのものもあれば、箱やカバーも取り去られていて、表面には保護の透明なシールがべったり貼りつけてあるもの、背表紙の下に整理ナンバーを記したシールが貼ってあるものとかコンデションはまちまちです。
特に研究室の蔵書は箱もあるし、セロファンのカバーも完全で、月報や読者カードも揃っていて美品であることが多い。
廃棄する際は廃棄印を蔵書印の上から押してあるケースもあるが、ハンコの上からまたハンコというのはきれいでもないし、つまり誰も喜ばないからそのままにしていることもしばしばある。古書価は当然安くなるのでお客さんも買いやすいのだが、「この本は最後のページに〇〇図書館の蔵書印があるんやけど、盗難とかそういうおそれはないのかな?」と問い合わせてくるお客さんもいる。
まああれですね、個人でもコレクションといっていいほどの蔵書を抱えてるお客さんなんかは自分で篆刻したりして蔵書印を工夫して押してる人もいますから、図書館のやつでもまあ少し美的感覚にはかけますけれども大差ないと思いますね。