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古本屋日誌
今日は予報通り降ったりやんだりで、梅雨らしい一日ですな。
ジャニー喜多川が死んで、フォーリーブスの北公次が1980年代に出した暴露本の価格が高騰している。「光GENJIへ」なんだが、喜多川は男色家で、北公次も無理やり行為を強いられた、今一世を風靡している光GENJIも大変だという内容なんだが、まあそりゃそうだろう。でもあまり話題にもならず、ジャニーズ事務所もつつがなく活動が続いているのは、ひとえに喜多川のカリスマ性ゆえだろう。やられた方は被害者だとか思っておらず、まるで教祖様にお情けをいただいたかのように思っているわけだから、そもそも表面化しない。
そういえばかなり前に八坂書房が出した「南方熊楠 男色談義」も人気のある本で、今はお稚児さんというと例の祇園祭の長刀鉾のんとかをイメージしてかわいい印象があるが、伝統的には大人の慰み者にされてきた事実を赤裸々に綴った作品だ。特に高野山の坊主が稚児とやるときの作法とかが面白い。オナラをあることの合図に使うとある、「出物腫れ物」でも歴史的には淫靡なイメージを付与されてきた時代があったのかと興味深い。
私の若い頃インドやらパキスタンはユートピアみたいなところで「行けば人生観も変わるよ」とばかりにバックパッカーとなって旅する人がいた。藤原新也の「東京漂流」やサントリーの新聞広告で犬が路上の死体をむさぼるのを見てショックを受けたわけだ。たいてい赤痢をもらって帰国してうんうんうなるだけに終わりました。
ただ「くそばばの詩」の山松ゆうきちは「そんなもんインドであろうがどこであろうが、何にも変わらない。水洗トイレで快適に過ごしたいけどできてないだけ、世界観なんかおんなじだ」と言っていたがまあその通りですな。山松はさらにこの考えを推し進めて、日本でこれだけ漫画が受けているんだからインドでも評判になるに違いない、受ける漫画は平田弘史の「血だるま剣法」だと確信して自ら乗り込んで路上で販売しました。
山松の読みとしてはインドにもカースト制度といういわれなき差別が根強く残っているわけだから悔しい思いをしている人はごまんといるに違いない、そうなれば部落差別への怒りをテーマにした「血だるま剣法」こそベストマッチだということです。この試みは残念ながら失敗に終わり、ほとんど売れませんでした。
まああれですね、インドは確かに現在もカーストの差別があるから、それを逃れようと出自に関係なく活躍できるIT産業に人材が集まりIT大国となっていますから、今なら確かに山松の主張は的を射たものでしょうな。
室生犀星は金沢の出ですが、幼い頃の思い出をあれこれエッセイに書いていて、子ども同士でよく石合戦をした、「グリマ」と呼ぶのだが自分はこれが得意で本気になったら正確に相手に命中させることができたし、随分遠くから石を飛ばすことができたと自慢する。しかし通常は当てないで「向こうの一番背の高い子の頭の少し上に飛ぶように投げた」とも主張する。
まああれですね本当は大したことないんでしょうけどね。実際に頭をかすめて礫が飛んできたらそれこそびっくりしてすぐに退散するでしょうけどね。
私は1970年の大阪万博には小学校を休んでよく行っていましたが、ご存知の通り三菱未来館やら古河パビリオン、アメリカ館、日本館などは長蛇の列で2時間以上待たなあかんとのことで、嫌気がさしてチェコ館やガーナ館、松下パビリオンなどをみていました。
サンヨー館には人間洗濯機なるものが展示してあって、水着を着たお姉さんがアラジンの魔法のランプを大きくしたみたいな容器に顔だけ出して入り、浴槽の中ではイボイボのついたボールが動き回ってツボを刺激しながら15分程度で全身を洗ってくれるとのことでした。
なかなか合理的で、めんどくさくないので普及するかと思いましたが、全くそういうことにはならず、いつの間にやらサンヨー本社にも現物は見当たらなくなりました。まあ確かに風呂は油断しますよね。湯船に浸かったまま意識がなくなるように居眠りをして、手がシワシワになる頃顔を湯船に埋没させてしまいむせてようやく起きるのは楽しいものですから、あまり合理化されてしまうのもどうかとも思いました。ただ高齢化社会となり足腰の不自由な老人が増加しているわけで、介護する側の負担も大変なものです、この洗ならちゃんと洗ってくれるわけだから今後は需要が伸びるかもしれません。
実はこの人間洗濯機、現在門真市駅近所にあらパナソニックのミュージアムに展示してあります。なんか商売敵のところに逃げ込んで一息ついてるみたいなもんですが、とにかく現物を目にできるとはありがたい〜〜
百舌鳥、古市古墳群が世界遺産に登録となったことで、以前からわかっていたことではあるが、世界遺産そのものが大したものでないことが明らかになったね〜〜
百舌鳥や古市の古墳なんかそもそも入れないし、ゴミゴミした市街地に小山らしきものがあるだけで見る価値など全くないのはタイガースの試合と同じだ。
飛鳥の天武持統の古墳は入ることはできないが、「明月記」に盗掘された話があって巨大なめのおの石棺であったことや副葬品を持って逃げる際に天武のものと思われる骨は打ち捨てて行ったことが書いてある。その上でこの古墳にも陵戸が置かれていて、参道のそうじをしたり、出入りをチェックしたりする役目が与えられていた。この陵戸が現在もなお伝承されていて、古墳の近所に「うちはこの墓の陵戸なんです」という家があって、鴨居の上には先祖伝来の長槍がその地位の証として伝えられている。
まあ天武は8世紀で、仁德は5世紀だから300年くらい不利なんだけど、百舌鳥、古市にはあれだけたくさんの巨大な古墳があるんだから陵戸の50や60は残ってそうなのにそんな話は聞かないな。
堺は刃物や自転車の全国シェアが高いことで知られているが、中世の鉄砲鍛冶の伝統が継承されているとの説明がいつもされているが、信長や秀吉の時代からは500年くらいは経ってるけどね。あれだけの古墳群を制作しても陵戸すら継承していないわけなんだから、そういう現代にしか目が向かない土地に500年もの年月に耐える力なんかあんのかね〜〜
重要文化財の「大坂冬の陣図屏風」は未完成で彩色が完了していません。色が付いていない部分には「白六」とか「デイ」とか着色の指示は書いてあってそのままになっていたところが、デジタル技術のおかげで色目を見ながら復元することができるようになり、このほど完成の運びとなり近く名古屋の徳川美術館で公開される。
それに先立ちNHKの「歴史秘話ヒストリア」で特集が組まれた。
それによるとこの屏風には真田丸、本町橋、鴫野の三大戦闘が描いてあり、いずれも豊臣方が有利に戦闘を進めたものだ。総構えの堀の中に敵の侵入を防ぐ木の柵が設けてあって、垂直に堀の水面に立ててある木々が倒れないように結んであるのだが、乗り越えられないように相当上の方で結んでいる。
大坂方からの大筒による狙撃を避けるためにくねった塹壕を掘ったり、小さな築山を築いたりしていた、築山の跡は戦後の焼け野原を撮影した米軍の航空写真からその位置がわかり、屏風と照らしあわせると配置が一致している。
とかまあ面白い話でしたが、その程度なら別に着色しない以前の状態でもわかっていたはずで、今ひとつ復元の価値が見えてこない。
「案内役」と称して渡辺なんとかというアナウンサーが出てくるんだが、例の夏の陣の黒田家屏風を画面に出して、天守閣をアップにして「現在の天守閣はこの屏風を元に再建されています。黒い壁が特色です」と言ってたけど、次に映し出された現在の天守閣はご存知の通り最上階だけが黒塗りで他は白いですから全然違う。どういう神経してしゃべってんねやろ〜〜単なるバカなのかもしれない。
実はちょっと前にヨーロッパの古城から見つかった大阪城下の屏風絵には天守閣は最上階だけが黒く、他の階は白くなっています。不思議ですね。昭和の初めに天守閣を再建した時には黒田の屏風くらいしか参照するものはなかったろうに、なぜか新発見の屏風絵に酷似している。これは実に不思議だ。
大阪市史編纂所から「大坂御陣覚書」が刊行となり久しいけれど、この夏の陣直後に書かれた資料に真田幸村の奮戦の話は全く出てこない。よく引用される島津の文章は徳川時代の末にできたものだから、眉唾とも言えるわけだから、真田のネタは嘘八百だったのかというと、そうでもなく、「近江源氏」なんかを見たら、そういう口承があったことは間違いなさそうだからこれまた本当なの?嘘なの?と不思議だなあ。