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古本屋日誌

2019-07-07 13:07:00

重要文化財の「大坂冬の陣図屏風」は未完成で彩色が完了していません。色が付いていない部分には「白六」とか「デイ」とか着色の指示は書いてあってそのままになっていたところが、デジタル技術のおかげで色目を見ながら復元することができるようになり、このほど完成の運びとなり近く名古屋の徳川美術館で公開される。

それに先立ちNHKの「歴史秘話ヒストリア」で特集が組まれた。

それによるとこの屏風には真田丸、本町橋、鴫野の三大戦闘が描いてあり、いずれも豊臣方が有利に戦闘を進めたものだ。総構えの堀の中に敵の侵入を防ぐ木の柵が設けてあって、垂直に堀の水面に立ててある木々が倒れないように結んであるのだが、乗り越えられないように相当上の方で結んでいる。

大坂方からの大筒による狙撃を避けるためにくねった塹壕を掘ったり、小さな築山を築いたりしていた、築山の跡は戦後の焼け野原を撮影した米軍の航空写真からその位置がわかり、屏風と照らしあわせると配置が一致している。

とかまあ面白い話でしたが、その程度なら別に着色しない以前の状態でもわかっていたはずで、今ひとつ復元の価値が見えてこない。

「案内役」と称して渡辺なんとかというアナウンサーが出てくるんだが、例の夏の陣の黒田家屏風を画面に出して、天守閣をアップにして「現在の天守閣はこの屏風を元に再建されています。黒い壁が特色です」と言ってたけど、次に映し出された現在の天守閣はご存知の通り最上階だけが黒塗りで他は白いですから全然違う。どういう神経してしゃべってんねやろ〜〜単なるバカなのかもしれない。

実はちょっと前にヨーロッパの古城から見つかった大阪城下の屏風絵には天守閣は最上階だけが黒く、他の階は白くなっています。不思議ですね。昭和の初めに天守閣を再建した時には黒田の屏風くらいしか参照するものはなかったろうに、なぜか新発見の屏風絵に酷似している。これは実に不思議だ。

大阪市史編纂所から「大坂御陣覚書」が刊行となり久しいけれど、この夏の陣直後に書かれた資料に真田幸村の奮戦の話は全く出てこない。よく引用される島津の文章は徳川時代の末にできたものだから、眉唾とも言えるわけだから、真田のネタは嘘八百だったのかというと、そうでもなく、「近江源氏」なんかを見たら、そういう口承があったことは間違いなさそうだからこれまた本当なの?嘘なの?と不思議だなあ。