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古本屋日誌
先日「ブラタモリ」でミナミがなぜお笑いの本場になったかという謎を解き明かす放送があった。
道頓堀川が湊町のところで川幅が倍になっているのは周囲がひどい湿地帯で埋め立てるための土砂が大量に必要で、ために川幅を広げて浚渫して盛り上げたからだ。
道頓堀川の浜側は間口がひどく狭くまた、階段で川べりに降りていける構造になっているのに対して陸側は非常に間口の広い大きな建物が建っている。この構造は250年以上変わっていない。その真相は船で浜側の芝居茶屋に乗り付け、ここで酒食を楽しみ、時間になると階段を上がって目の前の芝居小屋で歌舞伎や文楽を楽しんだからだ。
そしてもっとも興味深かったのは、道頓堀の各店舗が突き出した立体的な看板を掲げている由来です。道頓堀にはざっと思い起こしてもかに道楽の巨大な動くカニ、くいだおれ太郎、たこ焼き屋の壁から突き出たかつお節付きのたこ焼き、西道頓堀ではあるが、ホテルの前のモアイめいた石像列などがあるのだが、これらは徳川時代の芝居小屋から来ているというのだ。
中座、角座、大西の芝居などの玄関には地上より少し高まったところにその日の芝居の名シーンをかたどった人形が飾ってあり、またその左右には芝居の絵も掲げてあった。これら人形看板、絵看板こそ道頓堀の象徴とも言える風景であって、今に継承されている。
国語学者の金田一秀穂は京介、春彦と続く三代目で、なかなか茶目っ気のある人物で、NHKで厚切りジェイソンと共演していたこともある。ジェイソンが例の調子で「悪に手を染めているはずなのに、足を洗うはどないなんや〜〜」とか「親切は親を切ると書きます、おかしいんやない〜〜」とかくだらないことをゆうのに対して秀穂は「英語で1月はjanuary、2月はfeburaryとかいうのはおかしくないか‼️日本語は1月、2月なのにひちめんどくさい、くだらなさすぎる」「だいたいお前はジャーパニーズピーポーとかゆうてるけどジャーパニーズだけで日本人だろう、無駄なんだよ」とか笑いながらも頭から湯気を煙らせて突っかかっていって面白かった。
その秀穂が「日本語のへそ ムダなようででも大事なもの」を書いて関西は長らく中国などの大陸の文化が入り込みやすく、首都として発達していた。人が集まるとそれだけストレスも増えるから「笑い」の文化が生まれたのだろう。自分が属している学会でも研究発表で関西の人はうまい、必ず「笑い」の要素を入れてくる。ある関西の大学の先生から「学会ではかならず2つギャグを入れて話すように」指導しているとも聞いたと書いている。
まああれですね、秀穂先生はまんまと騙されてますな。だいたい関西の人間て面白ないですもん、ギャグもつまらないし、だいたいおんなじ受けないダジャレばかり言う。吉本新喜劇のギャグていつもおんなじで、「あ〜〜〜〜まーたおんなじギャグゆうておんなしように倒れてるわ〜〜ほんまアホやな、もう疲れたわ〜〜」て笑ってるだけですからね。
東京の人から「大阪人は面白い、なんかギャグゆうてくれるやろ」とプレッシャーがかかるから、無理してそれに合わせてしょうむないことをゆうてるだけです。まるでお殿様のお顔を伺う僕のようですな。
ダイヤモンド社からファルサキスの「父が娘に語る経済学の話」が出て、このところもてはやされているMMTの概説書かなと思い読んでみた。
銀行が設備投資したいから金を貸してくれた頼みに来た事業者に「わかりました、では3億ご融資しましょう」となった時、その3億円はどこから来るのか?
普通に考えたら銀行に預金している人々の金を回すと考えるだろうが、それは間違いで実は「何にもないところからパッと出す」だ。金融危機が発生し銀行が倒産するかもしれない事態でも、最終的には日本銀行が「何にもないところからパッと金を出す」ことで、銀行を救済して危機を乗り切ることができる。
こういう話で、さらに国債や公債を発行して国が借金を負うのは正常で必要なことだと主張していきます。
なるほどね、将来にわたって個人や国が存続し利潤を残していけると考える、つまり未来の先取りとして融資が行われるということですね。
結局突き詰めたら例えばいわゆるベーシックインカムで個人個人に金を配ったら、大半の人はそれを衣食住に完全に消費してくれるだろうから、需要も増えてひいては生産や輸入が増加しますから、何ら問題はありません。まさか飯も食わずに貯金したり、家賃を払うのをケチって公園で寝ることを選ぶとは通常考えられませんから、需要増加のシナリオは間違いない。是非とも勝つ何もないところから」チョチョイと金を出して配布してもらいたいものですな。
気鋭のルポライター安田峰峻が50回をむかえた大宅壮一ノンフィクション賞を取った。デビューの「中国、電脳大国の嘘」以来綿密な取材と幅広い人脈、旺盛な好奇心は衰えることはなく、何よりセンスがいい。
先のデビュー作も巷に「中国はあと3年で崩壊する」だの「民主化運動の火は止められない」だのデタラメな妄説が跋扈している中で、中国のネット世論は共産党の支配を揺るがすものではないことを論じたもので極めて説得力のある本でした。
大宅賞は天安門事件の関係者のその後を追った「8964」で、起業してそれなりの地位にいたり、新しい政治運動を起こしたり様々な姿が興味深い。また天安門の学生が明確なビジョンも持たず、単に欧米風の民主主義に憧れていただけだったことも含めて問題点も指摘してある。
5月に文春新書から出た「性と欲望の中国」も面白い本で、改革開放によって抑えられていた性欲、欲望が全面的に開花した現状があますところなく捉えられていて面白い。
かなり前に野坂昭如が「エロトピア」を書いてあらぬ妄想をたくましくしていたが、その中にソープランドで男がベットに横たわって、その上にくくりつけた女を吊るして、ロープで上下させて屹立した逸物に出入りさせるというのがあった。野坂の考えはセックスは男が激しく動かないといけないので、不公平だ、逆に女が激しく動いて男は楽をしたいというところから生まれたものだ。
安田のこの本でその妄想が実現していることを知って仰天したが、まあバカだよなあ。
作品社から「現代語訳 墨夷応接録」が出た。安政のペリー来航時、幕府の責任者として交渉にあたった林大学頭によるものだ。編者の森田健司もいう通りアメリカ側の「ペリー来航記」は岩波文庫や角川文庫でも昔から容易に読むことができていたのに、肝心の日本側の一級資料が広範に読みうる状態になかったのは異常で、今回の出版は広く江湖の喝采を浴びることになるだろう。
早速一読して興味深かったのは函館の開港に関するやり取りで、ペリーは林に「港の様子を見たいから視察に行きたい、上陸などは考えていない」と了承を求めている函館に出向いた。
しかし函館に到着すると「上陸させてくれ、周囲を確認したい」と言い出し現地の奉行が拒絶すると「それでははるばるここまで来たことが無駄になってしまう。神奈川からここまで来るのにかかった10万両を支払ってもらうことになる」と脅迫した。
林は戻って来て「函館は良港で申し分ない」というペリーにこの件を追及したところ、しらばっくれたが、結局函館でのアメリカ人の外出可能範囲を下田の10里四方から五里四方と軽減させることに成功した。
なかなか立派なものだ。