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古本屋日誌

2019-04-10 01:34:00

地理学者の加藤政洋がちくま新書で「大阪」を出した。
感心しない作品でいったいどこに目をつけているのだろうか。「都市の歴史を掘り起こす」としてミナミやキタを始め大阪各地の沿革や現在を取り上げているが、先端的な工業地帯やランドマークと釜ヶ崎や日雇い労働者といった両極端しか大阪にはないという視点が陳腐でバカげている。
そういう視点は加藤も取り上げている小野十三郎がかつて言っていたものだが、そんなわけあるはずもない。加藤は織田作之助の著作も引いて廃れゆく情緒を取り上げるが、織田が古きよき大阪を愛していたことは普通に織田の小説を読めばよほどのバカでない限り誰でもわかることだ。
例えば「ラサスポーツセンター」はどうなのか?巨大な屋内スケートリンクをもち、さらにテニスコート、屋外プール、ボウリング場ショッピングモール、飲食店街などを併設したこのスポーツセンターは都市の機能性や可能性を示してもいるし、また一方で一か所でなんでも楽しめるごちゃ混ぜの合理性も表していることは明らかだ。また織田作之助は嫌がるだろうけどね、その気持ちもわからなくはないが。
扇町公園にあった「大阪プール」は?大阪近郊だが先日取り上げた「阪神パーク」は?大阪球場や中津のスケートリンクは?ヤンマービル地下のライブハウスは?「プレイガイドジャーナル」や「編集工房ノア」はどこへいったんだ?このような大阪を代表する施設や経験が一切取り上げられてはいない。それで何を論じたいのだろうか?誠に不思議な御仁ではある。

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2019-04-09 10:03:00

大阪には2つの天孫降臨伝説があります。1つは有名なニギハヤヒのものでニニギよりかなり前に磐船に乗ってたけるがみねに天下ったというやつで、ニギハヤヒは石切に祀ってあります。また乗ってきたとかいう磐船は交野の磐船神社に今も残っている巨巌だという。まあこれはいいとして2つ目は天探女が高津にやはり磐船に乗って天下ってきたという伝説で郷土史家の高橋敬蔵によると大空襲で焼けるまでは「磐船神社」があって石碑も立っていたという。また「摂津名所図会大成」には元禄時代に高津で土の中から大きな岩が出土してこれに触れた人間は祟りのため「悩乱した」とあるそうだ。
高橋が「観光の大阪」に連載していた中にこの高津の磐船神社の写真があるのだが、個人の居宅の庭に小さな社があり、その前に「高津磐船」の石碑が写っている。またその磐船は非常に大きく18間✖️10間もあり、真ん中に如意宝珠があって下照姫の御神体なんだという。
まああれですね、ここら辺が大阪のなってないところなわけです。このように物証もあり、伝説もあり、お社や石碑まである、奈良時代の「摂津国風土記」には高津の磐船の記述まであるのに大切にしないわけですからバカですな。例の「東日流外三郡誌」は偽書であることを詳細に論じた決定版がこの度文庫本で出ましたが、青森のイエスキリストのお墓や太宰治の生家もそうなんですが、東北の人は中央政権への激しいコンプレックスゆえに、あれこれカウンターパートを作ろうとします。でも大阪にはそれはない。つまりは東京に憧れていて、そのおこぼれが欲しいだけなんです。志があまりにも低くて感心しますな。


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2019-04-08 09:23:00

今朝は雨も上がり清々しい陽気ですが、さすがに満開の桜も落花狼藉、はや散り初めとなって、若葉がのぞいていますね。

今はショッピングモールになってしまった「阪神パーク」は往時はあのレオポンの動物園に加えて巨大なプールもあってかなり遠方からも客を集めていました。

このデラックスプールは失われた海浜を再現するとのコンセプトで「造波装置」が備え付けてあって、絶えずさざ波や時には大波が押し寄せる構造になっていて、体がフワリと浮き上がる感覚が楽しめました。まあそれはいいんですが、プールサイドにはたくさんの椰子の木が植えてありました。南国情緒なんでしょうが、失われた海浜だったら瀬戸内海の遠浅でしょう。

また高さ10メートル、巾70メートルを越す大きな滝がプールに流れ込み、さらには巨大な滑り台も備え付けてありました。この滑り台はかなり高さがあって、しかも横幅が広く滑り口のところから造波プール全体を遥か遠くまで見晴るかすことができました。私は怖がりでしたから滑り降りるよりは上でグズグズしているほうが好きでした。

「だからあなたも生きぬいて」の大平光代はヤクザの嫁をやめて一念発起して弁護士を目指して合格するんですが、合格祝いに家族で阪神パークに来る話で締めくくっていました。野球も観れるし、プール、ボウリング場、動物園にテニスコートと娯楽の殿堂として、また人生の再出発を祝うハレの場としてもふさわしい施設だったわけです。


2019-04-07 01:18:00
城郭研究家の岡本良一がおおさかの人は徳川嫌いなんだということをあれこれ書いている。
家康は夏の陣の後戦勝をたたえるために自分が本陣を置いた茶臼山と秀忠の岡山をともに「勝山」と名付けるように指示したという。
現に「摂津名所図会大成」には茶臼山を勝山とする記述があるというが、なぜか勝山の茶臼山の方は明治になって徳川に遠慮する必要がなくなると元の茶臼山に戻った。これは徳川を嫌う大阪市民の意思の反映だというのが岡本良一の考えだ。
しかし勝山の岡山の方はそのまま勝山で、むしろ「勝山通り」とか「勝山一丁目」てな感じで通りや地名にまで拡大してしまったという。岡本は茶臼山は大阪市内であるのに対して岡山は明治にはまだ郡部だったので家康への思い入れはなかったのではないかとその違いを説明しているが、根拠はないな。だって田舎の人は徳川好きで都会はそうじゃないてて、わけわからない。
そんなもんおんなじ地名が近所にあったら不便だからでしょう。徳川時代でも間違いなく茶臼山と呼んでいたに違いない、だってこの二カ所はすごく近いですからね。一々こっちは「勝山1」でそっちは「勝山2」とかいうわけにはいかないでしょう。

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2019-04-06 10:34:00

飛鳥新社が出した「サピエンス異変」は座ってのパソコン作業が生業となった現代人が陥る様々な疾病に関して網羅的に警鐘を鳴らす書物だ。人類は何百万年もの間草原から草原に移動する生活を送っていて、そのため足や腰、背骨は長距離の移動に特化した構造になっている。ところがわれわれは日がな一日デスクワークに明け暮れる日々を過ごしていて体に大きな負担がかかっている。まあそれは確かにそうだろうなあ。しかしそうだからといって、むやみやたらにどこに行くのでも歩いたらええとはならない。逆に関節を痛めてしまうこともあるからだ。
二酸化炭素が今後とも大幅に増えるために植物の光合成はより活発にはなるのだが、それに必要なビタミンやミネラルは地下の根から吸収するが当然ながら土に含まれる栄養分は今と変わらない。つまるところ作物に含まれる栄養価は大きく下がるので、人類は必要なミネラルを確保するためにたくさんの作物を食べなければならず、肥満の原因となるとある。
まあこれはそうかもしれないがかなり後の話でリアリティにはかけるよなあ。
以前猖獗を極めた古代礼賛本に似ていて、平均寿命も乳児死亡率が4割くらいあるので平均寿命は45てなことになるが乳児の時期を乗り越えたら現代人と遜色ない寿命だというが、そもそも乳児死亡率がそんなにあったら、おんなじなどとは決して言えない。

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