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古本屋日誌

2019-04-07 01:18:00
城郭研究家の岡本良一がおおさかの人は徳川嫌いなんだということをあれこれ書いている。
家康は夏の陣の後戦勝をたたえるために自分が本陣を置いた茶臼山と秀忠の岡山をともに「勝山」と名付けるように指示したという。
現に「摂津名所図会大成」には茶臼山を勝山とする記述があるというが、なぜか勝山の茶臼山の方は明治になって徳川に遠慮する必要がなくなると元の茶臼山に戻った。これは徳川を嫌う大阪市民の意思の反映だというのが岡本良一の考えだ。
しかし勝山の岡山の方はそのまま勝山で、むしろ「勝山通り」とか「勝山一丁目」てな感じで通りや地名にまで拡大してしまったという。岡本は茶臼山は大阪市内であるのに対して岡山は明治にはまだ郡部だったので家康への思い入れはなかったのではないかとその違いを説明しているが、根拠はないな。だって田舎の人は徳川好きで都会はそうじゃないてて、わけわからない。
そんなもんおんなじ地名が近所にあったら不便だからでしょう。徳川時代でも間違いなく茶臼山と呼んでいたに違いない、だってこの二カ所はすごく近いですからね。一々こっちは「勝山1」でそっちは「勝山2」とかいうわけにはいかないでしょう。

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