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古本屋日誌
今朝もえらい寒かったです、このところ寝る前に猫じゃらしで猫と遊んでます。7キロを越えている雄猫の体重を少しでも減らしたい。
先日西原理恵子の最新作「ダーリンは72歳」などをお客さんからお譲り頂きました。あの高須院長との楽しい日々を描いたエッセイマンガですが、金持ちの生活もよくわからない。少しでも早くご飯を食べようとして、鮨屋に入ってもトロの握りをお茶漬けにして食べてしまう。そうかと思えば金持ちのライバルにハワイに招待され西原と一緒に出かけて夜はゴージャスなベッドでお休みとなるが、「これはあいつが絶対盗撮してる」と思い悩ましいシーンを見せつけようとベッドに二人して潜り行為には及ぶことはなくただごにょごにょして、変な声をあげて盗撮者に見せつける。翌朝もベッドの乱れ方が足りないとごちょごちょする。こうなるともう想像の域を全てにおいて越えてるのでコメントのしようもない。
京橋の藤田美術館は例の曜変天目茶碗があって昭和の初めに藤田伝三郎が、売り建てで金に糸目をつけず競り落としたものだし、中之島の東洋陶磁器美術館は商社の安宅産業の経営者が金にあかして集めまくったコレクションです。全然レベルは違うけれど、80年代だからもう大昔だが、医学部の友人は金沢の病院の倅で、下宿として大きな一軒家を与えられていて、本人も大変なイケ面だったが、何を間違ったか共産党の活動家になりその家で「共産党宣言」「空想から科学へ」の学習会をやり、やってきた学生を共産党にオルグしていた。農学部の友人はこれも80年代の初めだからすごい昔なんだが、入学してすぐに知り合いになって「将来どないすんのん?」と聞いたら「そんなもん世の中を破壊するに決まってる、そのために大学にはいったんやで」と真顔でいう。まあ確かに世の中を破壊できるなら、それはそれに越したことはないようにも思ったが、そのためにわざわざ受験勉強までしなくてもいいようにも思った。
昨日の朝はまたしても相当に寒くてびっくりしました。気温もさることながら風が強くて手がかじかむ。この頃は年のせいでいったん手のひらご冷たくなると温めても血流の戻るのが遅いせいか、全体が赤く染まりジーンとしびれます。「荘子」の内編に病気か何かで身体がどんどん変形していく男の話があって普通なら恐れおののいて医者に通うとか、拝んでもらうとかジタバタするところですが、体が歪むのならそれをそのまま受け入れて楽しみはるわけです。まあたしかに風邪とか骨折、インフルくらいまでなら仕事もしなくていいし、治ることがわかっているから楽しめないこともないですが、そうでないやまいを楽しめと言われても無理です。しかし死ぬのは確実だし、人は心も姿かたちも日々変化していくわけだから、その変化を若い時だけは成長しただの大人になったのとたのしみ、逆にハゲになるとかシワが増えるとかは毛嫌いするのはもちろん理屈には合わない、それはわかってるんですけどね。
先日お客さんから「新潮古典集成」をお譲り頂きました。その中に「説経集」があり森鴎外の「山椒大夫」のもとになった話が収録してあって、例の最後の復讐のシーンがなかなかのものでした。山椒大夫は街道に首だけ出して埋められていて街道を通る人は、横に置いてある竹ののこぎりで山椒大夫の首を一回だけ引いていかないと通してもらえない。まあ竹ですから切れも悪いだろうし、衆人環視の中で辱めを受けるわけですから、屈辱はいかばかり、逆に言えば「十倍返しだ❣️」てな感じで弟の快感はいかばかりでしょうね。鷗外はこの結末をえらいソフトに変えてますが、私は説経節のほうが好きです。大衆相手に坊主が脅かす真っ当に生きないとこんなにひどいことになる、あるいは正義は貫かれるものだと教えるわけですからね。
まあ悪い奴にやられた方が復讐するのは当たり前で、そうでないと心は治らない、国家による法の裁きなどというものは国が刑罰権を独占して持ちたいだけの話で当事者にとっては何の意味もない。そんな当たり前のことが当たり前になってないのは不思議で、その意味では現代は極めて野蛮な時代ですね。
ビッグコミックオリジナルに弘兼憲史の「黄昏流星群」が載ってますが、2月5日号は中年の女が姉を8年前に殺した男をおびき寄せ、ボイスレコーダーで殺しの証拠を集め、もちろんその上で復讐して刺殺する段取りも万全に整えそれを見事やり遂げる話でした。殺しを実行した直後に主人公の弁護士が到着するというストーリーで、普通のテレビドラマとは反対なのが愉快です。しかしシャーロックホームズ様はこのような生ぬるい援助はいたしません。犯人を突き止めた後は許し難いとして処刑まで自ら実行してくださいます、これぞ名探偵の鑑です。
今日はえらい寒い上に風も強いです。気温が低くてなかなか上がりません。メス猫がこのところは布団で寝てくれず一階のおこたの中でねています。私が寝返りするたびに神経質なのでいったん外に出てまた布団に入るというのがわずらわしいのでしょうか。
先日お客さんから交通公社が発行していた「旅」という雑誌をまとめてお譲り頂きました。1974年の12月号は特集が大阪、神戸を見直すで、生島治郎が「食いだおれ文化論」を書いてました。政治の中心の東京は権威におもねるところがあるが大阪は上海に似ていて権威主義でないとあるが、特に食い倒れの話は書いておらず、かなりデタラメな論考でした。ただ生島が友人の司馬遼太郎に権威主義の話を聞いて司馬の言葉を記しています。「おれなんかはいくら売れても所詮物書きという風にしか扱ってくれないから、それが過ごしやすい」と書いていて、これは確かに大阪の魅力ですね。司馬遼太郎はかなり稼いだろうけど、そんなに稼げるのは非常識な仕事をしてるからで、まともな人のすることではない、普通に仕事している方がよっぽど正しい生き方だし、そもそも司馬遼太郎の稼ぐ金と普通の人が稼ぐ金とは全く別のもので、重みも違うし値打ちも違うという伝統的な価値観です。
それにしても司馬遼太郎には未刊行の小説やエッセイがかなりある。先年文春新書で「サラリーマンの論語」は復刻したわけだが、この本はもともと六月社という例の「あまカラ」を出していた出版社、バックは鶴屋八幡がだしていたわけで、それが何で天下の文藝春秋から出るのかね。司馬は終生東大阪に居宅を構えていたわけだし、出せばもちろん儲かるわけだからその点でも大阪の出版社が出して欲しかったな。最新の谷崎潤一郎全集でも例のプライバシーの問題で「鴨東綺譚」は収録してない。誰が文句を垂れたのかは知らないがくだらないけちつけに耳をかそうとする中央公論新社てバカ丸出しだ。
今朝はかなり寒く久しぶりに冬らしい気温でした。東京は20センチくらい雪が積もったということで大阪は雨でしたね。
先日お客さんから「春団治三代」をはじめとする大量のCDをお譲り頂きました。このシリーズは初代はある限りの音源を収めたもので全集で、三代目ももともと演目が少ないわけでまあ全集といってよいラインナップなのだが、なぜか二代目だけ少ない。初代はいうまでもなく面白くて中毒になってしまうほどで、人気があるのは当然ですが、二代目春団治も非常にうまい落語家だと再認識しました。
二代目は戦後間もなくのライブ録音も残っていて、細かい声の使い分けや間の取り方、おかしな高い笑い声など素晴らしいのですが、初代は人気があるのに二代目はさほどでもないのは不思議です。初代のはSPレコードに無理に入れないといけないので本来は40分くらいはあるネタを7分とか14分くらい圧縮して演じているわけでそれでも非常に魅力的なのでまあ大したものだったんだろうが、それでも二代目はもっと評価されてもいいのではと思う。天神橋筋5丁目に以前「春団治」という居酒屋があったが、いつのまにか閉店してしまいました。
六代目笑福亭松鶴が著書の中で桂米朝を批判して「たくさんのネタをやっているが、見て見るとまだまだねられてない。演じ分けが不十分だ」といい、対して春団治には「数は少ないものの人物描写は的確だ」と持ち上げていた。好き嫌いがあるのは当たり前だし、米朝にしても春団治にしても言われている面があるのは間違いないだろう。これが落語協会の派閥や対立となるのも大勢の人が集まっている以上ごく自然だろう。なぜか米朝は一度も上方落語協会の会長にはなってない。また米朝一門の何人かは協会から抜けた時期もあった。米朝がよく売れているので嫉妬ややっかみがあるのは人気商売なんだから当たり前だし、芸人なんだから世間の常識なんか本来は関係ないんだからどんどん喧嘩でもなんでもやってもらったらよかったと思う。
私も何回か天満の繁昌亭に出向いたことがあるが、いつも不思議なのが全然面白くもないところで大笑いするバカがいることで、気持ちが悪い。枝雀とか雀々、山田花子、ジミー大西みたいに出てきただけで、顔を見ただけでわらけてくる卑怯な、素晴らしい芸人もいるんだが、ふつーの噺家で始終わらけるて変ですやん。