Welcome

古本屋日誌

2017-09-27 00:19:00

中之島のロイヤルホテルが昭和48年に出した「大阪讃歌」ていうエッセー集ですが、評論家の扇谷正造がアサヒビールの社長の山本為三郎から聞いた話として東京、大阪、名古屋の財界人が食事した時東京の人は勘定を他の人に気付かれずにどう支払おうか考え、大阪の人は細かく誰がビールのんだから、すこしたかめで、誰はコーラだからこれくらいと細かく計算して自分のぶんだけ用意する、名古屋は、まあこれは書いてるんだがあまりに失礼なのでここに再録するのはやめときます。

そんなことはないだろうとしか言えませんね。自分のぶんだけ用意する大阪の商売人て、アサヒビールの山本ぐらいだろうと思います。「ここはな」とかゆうて伝票もって払おうとする、「いや、なにゆうてんの、やらしいことしぃな」とかゆうてしばらく取り合いして、まあ最後は最初の方が支払うんですけどね。

財界人て予想通りバカなんだとおもいます。

それはそれとして水木しげるは自身の出生地について境港だとか、大阪だとかいろんな著作であれこれ書いてるんですが、晩年の自伝作品には父親が商売で立ち寄りしばらく大阪に住んでいる時に安立で生まれたとあります。安立は住吉区なんですが、名所となってる話は聞きませんね。私には近松門左衛門や西鶴より圧倒的に優れた作家だと思うのですがね。


2017-09-26 00:11:00

昨日はまた右足の甲の具合が悪く、倉庫で少し作業しただけでした。1981年の雑誌「大阪人」が出てきて1月号に近松門左衛門の墓を整備した記事が載っていました。例の谷町9丁目の北側にあるやつで、まあ通路も狭いしお世辞にも立派とはいえないやつですね。なんでも墓地を所有していたお寺が移転して、しばらくは移転先の寺の横にあった市バスの車庫の一部に移されていたのだそうで、今回(1981年)「それではあまりに問題だ」ということで、現在地にうつしたそうで、記念の式典もやったとある。

まあ近松の作品がそんなに大騒ぎするほどのレベルなのかという問題も確かにあります。「曽根崎心中」なんかとてもいい作品だとは思えませんね。それはそれとしてあのかわいそうなお墓が「整備したもの」だというのは笑えます。


2017-09-25 10:34:00

昨日は再び中央区のお客様のもとに伺い三田純一の本などをお譲りいただきました。その中に大阪弁の解説本があり前から気になっていたのですが、「おみおつけ」が載っていることなんです。これはあんまり使ったおぼえがないし、東京風の言葉ではないかなあと思うのですがね。それはさておき、「おみお」の部分は呉智英の日本語の本では「御御御」と尊敬の接頭語を3つも重ねたいわゆる重言だとなっていましたが、果たしてそうでしょうか。「おみ」(みその女房言葉)の「おつけ」(みそしるの女房言葉)なんではないかなと思います。女房言葉ということになるとやはり京都の言葉なんかなあ。


2017-09-24 00:06:00

昨日はかなり涼しくそれでも足の甲がまだ痛くて作業もほとんどできませんでした。大阪市史編纂所が出している紀要「大阪の歴史」84を読んでいたら例の大久保利通の大阪遷都論は1900年ごろは全然語られてもおらず、大正期に大大阪なるものが出てきた時に突然持ち出されたのでないかとあります。

まあだいたい首都だからなにが偉いのか理解できないし、東京への負け惜しみや対抗心が丸見えで下品な感じしかしませんよね。

そういう東京の連中も井上章一に本にあるように、河内に王権があった時代を古墳時代名付けて河内時代を排除し、秀吉の大坂城を抹殺して安土桃山時代とかいうわけですから、大阪への対抗心や嫉妬心は見苦しい限りでバカはどうしようもありませんね。

ロイヤルホテルが昭和48年に出した「大阪讃歌」という財界から文化人までの大阪がらみのエッセーを集めた本で、秋田實が大阪の食い倒れは実は杭倒れなんやという、例の江戸時代の公儀橋以外の架け替えは町人やったから、その出費はえらいもんやったというのをかいています。まあ冗談でしょうけど、馬鹿げた話ですね。呉智英は粉もんは大日本帝国とともに大阪に広まったと書いてます。つまり朝鮮人などが大量に大阪に流入してその影響が食生活にあらわれたということなんですが、食い倒れもそのあたりなんかもしれません。


2017-09-23 00:21:00

昨日は雨でほとんど外出せず、整理にいそしみ1956年の「あまカラ」に小林一三のインタビューがありました。なんでもパンが好みでうなぎもご飯でなくパンと一緒に食べるんだという森鴎外のような話の他に今後どんな食材なら金儲けができるとおもいますか?という質問に「そりゃあビールだよ、清酒みたいにいろんなメーカーが作れば特色が出て売れるのは間違いない」

まあそうなんやけど、少し早すぎましたね。

坪内祐三が谷沢永一にインタビューして大阪城天守閣の再建に広く寄付をつのった話について、谷沢があれは市民が喜んで金を出したゆう話になってるけど、そうじゃなくかなりの額を住友がだしてる、だから集まったんだといい、それに坪内がそのネタはどこがソースなんですか?と意気込んで尋ねていました。まあ坪内としたら今までの常識を覆す面白い話だとでも思ったんでしょうね。彼は東京の人だからね。谷沢の答えは「あれは、なんだったか、何かの対談やったわ」。そうかなあ、その話はみんな知ってるけどなあ、谷沢先生はどうされたんだろう?と思いました。

そういえば大阪が誇る郷土雑誌「大阪春秋」ですが、安治川にルビで「あじがわ」とふってあったので、それは「あじかわ」の間違いだとメールで知らせたことがありましたが、編集部のだれかは知らないが納得せず「確かJRの駅の名前はあじかわぐちではあります」と返事してきたのでびっくりしました。