Welcome

古本屋日誌

2026-09-19 15:40:00

今日からシルバーウィークの5連休。うちは、Amazonは連休中の出荷をしない設定にしてあるし、メルカリも全て出品停止としたので気楽だ。

 

 

とは言っても、既に入っている注文は今朝クリックポストなどの扱いでポスト投函したのは、仕事中毒の症状だろう。

 

 

家で録画しておいた、2日前のカープ戦とBSの『刑事コロンボ』を観てから、北浜、堺筋線で堺筋本町。船場センタービル3号館1階北側にある槇尾古書店を覗いてみた。

 

いつものようにたくさんのお客さんで賑わっている。時折、「〇〇という本は置いてないですか❓」とか「この平台の本を検索したいんですけど」と店員さんに尋ねている人がいるが、もちろんそんなことは出来ない。

 

 

特定の本を手に入れたいなら、Amazonとか日本の古本屋にサイトで検索したらいいだけの話で、古本屋はぶらっと来て、時間をかけて、面白そうな本を自分で見つけるところだと思う。

 

 

今日は文庫、新書の120円均一の初日。講談社文庫の『モンテ=クリスト伯』全5巻があった。

 

 

復讐譚としてなかなか魅力的で、以前は岩波文庫から出ているやつが5000円くらいでよく売れていたが、このところまったく動かない感じ。長すぎるし、飽きられたのかな。

 

 

他に単行本の300円均一。

 

 

ここには、いいだももが翻訳した『天皇の陰謀」下巻があったが、この本も以前は2000円くらいで売れていた覚えがあるが最近は動かないようだ。

 

 

裕仁が戦争遂行に大いに関わったことを縷々述べる内容が、時代に合わないのだろうか。

 

 

しかし、大東亜戦争がらみは、今でも新書などで新刊がよく出ているけど、要するに欧米の真似をして植民地獲得にわが国も乗り出して失敗しただけの話で、取り立てて珍しいことではないと思う。それなのに毎年毎年同じような本が出るのは不思議だ。

 

均一でない普通の文庫の棚の1番上の目立つところには珍しい物がずらりと並んでいる。

 

 

中公文庫の「都市廻廊』、講談社学術文庫の『吉田茂、マッカーサー往復書簡集』『トロイア戦争史』、岩波文庫の「沈鐘』、講談社文芸文庫の『木山捷平全詩集』『文学を探せ』などなど。

 

 

こういう珍しい本を手に取って見られるのは目の保養で、素晴らしい。


2026-09-18 08:56:00

今日から谷町四丁目の古書会館で古本市。出荷して、早速朝から出向いた。

 

 

最近『大阪古書組合百年史』という大部の回顧録が出版された。(箱入り、8000円)

 

 

それによれば、この6階建ての会館は注文建築でなく、売りに出ていたものを組合が見つけて購入したものだという。ワンフロア30坪くらいの正方形の使い勝手のよい建物な上に、前の道は3間くらいもあってトラックが楽に通れるし、ビルの前には広めの駐車スペースまで確保してある。古本屋にとっては格好の物件で、何事にも運命的な出逢いがあるものだ。

 

 

さて、曇り空の下5分前に着くと、いつも通り30人くらい並んでいて盛況だ。

 

 

真木書店には講談社学術文庫の『源氏物語湖月抄』全3巻揃(8000円)やちくま学芸文庫の『江藤淳コレクション』全4巻揃(7000円)があってこれは珍しい。

 

 

サブカルの、おおさか書房の棚には単行本の『地ひらく』(福田和也、初版、帯、800円)やメディアファクトリーが出した『ダム』(300円)があった。

 

 

西洋文学を得意とする寸心堂には角川文庫の『いやな感じ』(高見順、初版、帯、400円)があって珍しい感じだ。

 

一旦お昼前に、てくてく歩いて中央大通りまで戻り、アパホテルの一階にある「銀ゆば」でビュフェ形式のランチを食べる。(1100円)

 

今日はジューシービフカツか、鯖の味噌煮なんだが、俺はもちろん鯖。

 

ビュッフェはおとふが2種類、野菜サラダ、オクラ、煮豆、ポテトサラダ、ヨーグルト、オレンジ、茘枝、コーンスープなど。

 

店の名前になっている、ゆばは最近は提供されないのだが、おとふは確かに美味いと思う。

 

 

豆乳、オレンジジュース、コーヒーを最後にいただいて、再び1時半ごろ古書会館に出向く。

 

 

朝一は、やはりお客さんが多くてのんびり本を見て回りにくいので、少し時間を置いてから行ってみることも大事だ。

 

 

古書会館では、本を手にしていろんなページに目を通し、確かめているお客さんがたくさんいて、皆それぞれに古本ライフを楽しんでおられる。

 

 

 


2026-09-16 23:19:00

今日は出荷してから、京橋に出て、最近通っている「京橋うどん」。

 

 

ここはJRの高架を越えて東に歩いたアーケードの入り口にある立ち食いのうどん屋で、出汁が微妙な甘味と旨味があってクセになる味だ。

 

 

自販機で食券を買うのだが、現銀以外にPayPayなど各種での支払いも出来る。自販機の1番上にはきつね、かき揚げ、海老天の写真があるが、真ん中のかき揚げばかりをオーダーしている。

 

 

自販機のところから少し進むと厨房があるのだが、その一角にフライヤーが設けてあって、天ぷらはここで手作りしているからびっくりする。

 

 

そのため、おれの好きなかき揚げも、すごく大きく、枝豆も10粒くらいまで入っているご機嫌な時もあれば、えらい小ぶりで、豆が探さないと見つからない貧相な時があって、またそれが面白いのだ。

 

 

基本立ち食いなんだが、店頭に長細いテーブルと長椅子も用意してあって、4、5人なら座って、アーケード商店街をゆく大阪の人たちを眺めたり、わけのわからないバーの呼び込みをいつまでもやっている若いねーちゃんの声を聞いたりも出来る。

 

 

ゆっくりしてから大阪に出て、新快速で三ノ宮。お客さんのところでお話。


2026-09-15 23:34:00

今日は、月一の百万遍の手作り市。出荷を済ませてから、嫁と10時あたりの普通で出発。

 

Yahooで検索すると、快速急行に枚方で乗り換えろ、とあるのだが、快速急行は手前の香里園と寝屋川市にも停まるから、おれの読みでは枚方市は乗ってくる人も多いだろうから、手前の寝屋川で待っていた方が2人で座れる確率が高い。

 

 

それで寝屋川で降りて、後ろから2両目のところで、快速急行を待ったのだが、読みは外れて、かなりたくさんの人が乗車していて、席はほぼ空いていない。

 

 

 

これなら先頭車両のところで待つべしやったかなあ。

 

 

次の香里園でもおんなじで、どうなることかと案じたが、枚方に着くと、大半の人が降りていく。乗ってくる人はほとんどおらず、後ろから2両目の車両はガラガラだ。枚方は予想以上に集客力のある街なんだな。

 

 

さて出町柳に到着して、てくてく歩いて11時過ぎに知恩寺。境内には100以上のテント掛けした手作りショップが並んでいて、たくさんのお客さんで賑わっている。

 

 

 

いつも使っている、白地のネコ柄のポーチが痛んできたので、新しく今度は紺色地のやつを購入。(4300円)

 

 

他にも黒猫の後ろ姿が描いてある小銭入れ(2000円)、ちりめん山椒(1200円)いろんなパン(1600円)レモネード(450円)も買う。

 

 

帰りはお寺のすぐ隣の吉岡を覗いて、岩波文庫の『倫理学1』(600円)、中公文庫の『日本再軍備』(1200円)『富士日記 中 新版』(400円)単行本の『悪魔の詩』全2巻揃(3800円)を購入。

 

 

 

百万遍の交差点を渡り、すぐ左手にある「三高餅」て昼ごはん。

 

 

ここは古くからある店なんだが、入ったのは初めてで、それまでは暖簾に大きく「三高餅」とあるから、甘党の店かと了解して敬遠していたのだ。

 

 

それでメニューを見たら麺類ばかりで、おまんやお餅の類は何もない。店の人に聞いたら「昔はやってたんですけど」とのことで少しびっくりした。

 

 


2026-09-14 20:38:00

2014年に吉川弘文館から、出た『豊臣秀頼』を読んだ。著者は福田千鶴先生で、帯には「いま、徳川中心史観による虚像を剥ぐ」とある。

 

 

まず秀頼が二条城で家康と対面した際の内容が詳細に記されてあった。

 

 

「太閤殿下が亡くなられた際、倅が15になったら天下を返してほしいと言われ了承したが、関ヶ原でわたしを攻め滅ぼそうとされたので、その約束は守りません。ついては、大阪城の侍で一万石以上のものは、隔年で駿府に詰めるようにしてもらいたい」

 

 

これに対して側に控えていた加藤清正が「大阪でお待ちの方々がおられます。お帰りになりましょう」と引き取り、秀頼も「そうやな」となった。

 

 

また、夏の陣で大阪城が5月7日に落城しても秀頼はおめおめと山里曲輪の蔵の中に隠れて助命を願ったという話が、司馬遼太郎の『城塞』にある。

 

 

しかしこの本では様々な一次資料にあたって落城の日に死んだという記録も複数あることが示されている。

 

 

福田先生の解釈は、8日の朝、秀頼がいたという蔵は既に焼け落ちていたから、8日未明に自害し、焼け残りの蔵を守る豊臣の家臣たちを見た片桐且元が、秀頼生存の誤報をもたらしたのではないかというものだ。

 

 

また生存説は、首を隠すための時間稼ぎだったとも考えられるとして、以前から城の三の丸跡地(追手門学院のところ)で発掘された馬とともに葬られていた頭骨が秀頼のものではないか、と続けている。

 

 

さらに夏の陣でも秀頼は一度も出馬し、士気を鼓舞することがなかったとの話が蔓延しているが、この本によれば秀頼は、五月6日、大阪、小人町近辺まで出馬しているし、落城した7日には、秀忠の陣する岡山表の金瓢箪の馬印も立てられて、「秀頼が出陣していると思われていた」とある。

 


1 2 3 4 5