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古本屋日誌

2026-07-25 17:58:00

このところたいそう暑い。夜更かしせず12時前には、2階にクーラーをかけ、扇風機までつけて寝るようにしている。

 

 

それでも、今朝は9時前くらいまでぐずぐずして、牛乳とわらび餅、デニッシュ食パンで朝ごはん。

 

 

昼前に萱島、京橋、大阪から、新快速で三ノ宮。例によってブックオフ センター街店を覗く。

 

 

土曜ということで、たくさんのお客さんで盛況だ。

 

 

しかし今日は六甲のお客さんのところに行く用事があるので、長居はせず切り上げて、阪急の三宮から六甲。

 

 

エスカレーターで一階に降りて、暑い中盛業中のたこ焼き屋に入って、たこ焼き8個とコロッケを食べる。(570円)

 

 

この店のはたこ、ネギ、こんにゃく、天かすが入っていて、皮も柔らかくて食べやすい。しかしさすがに昼下がりでもあり、酷暑でもあるのでお客さんはまだ少ない。

 

 

すぐ近くのお客さん宅。「この辺はな、八幡神社が有名なんやで。大きな森が駅のすぐねきにあるやろ。もうあれは原生林みたいなもんやで。広い境内はモータープールや貸し倉庫にもなってて、みんな助かってるんや。」

 

 

「なるほど、八幡神社は広大な境内で素晴らしいです。ちょっと不思議なのはそのへんは、いろいろ特色ある古本屋とか新刊書店もあるのに、地方の小出版社やら、ミニコミ誌なんかをあつかうところはないですね」

 

 

「あー元町なんかにあるやつな。大きな出版社はそれなりの部数が見込まれへん本は出さんよな。

 

 

加能作次郎の本とか、小さいとこが出してよるのはわしも知ってる。

 

しゃーけど、所詮は小説やろ、興味ない人の方が圧倒的やし、別に加能作次郎やないと味わわれへん感動がそこにあるわけやないから、仕方ないと思うな」

 


2026-07-24 12:50:00

井上章一が新潮選書から、『日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか』を出した。

 

 

井上先生は天才であり、これまで様々な学恩に預かってきた。

 

 

桂離宮を、タウト以来ありがたがる心性を論じたり、宮型霊柩車の研究、キリスト教と天守閣を論じた『南蛮幻想』、美人の研究、そして京都研究など、他の追随を許さない独創的な思想家だと思う。

 

 

 

しかしお年を召されたせいか、昨今はよくわからない本を出すようになられた。

 

 

バカな女との対談本、ヤマトタケルと男色を論じた本なんだが、まるで感心しない内容だ。

 

 

今回、どうなのか❓とさっそく一読。

 

 まずタイトルと内容が合っていない。

 

 

日本人が室内で靴を脱ぐ理由は、全く書かれていないのだ。

 

 

ただフロイスの『日本文化とヨーロッパ文化』の日本人は靴を脱ぐことで敬意を表すが、ヨーロッパ人は帽子を取ることでそれを表す、というのが引用されているだけ。確かに貴人に土下座する際は靴を脱ぐのが作法だが、家で方を脱ぐのとは別の話だ。

 

 

徳川時代末期にわが国に通商を求めてやってきたロシア、アメリカ、イギリスなどの人たちが、靴を三和土で脱ぐ習慣に戸惑い、反発もし、妥協していった話が、イラストや絵巻物、回想録などを幅広く引用しながら延々と論じてある。

 

 

それはそうなんだろうが、これも室内で靴を脱ぐ理由とは関係ない。

 


2026-07-23 22:43:00

今月、文春新書で三山秀昭の『ヒロシマ・ナガサキ隠された真実』が出た。

 

 

興味深い本なので購って早速一読。

 

 

興味深かったのは長崎への投下で、これまで第一目標の小倉が曇で、目標地点が目視できなかったので、晴れていた長崎に変更したとされてきた。

 

しかし事実は小倉も晴れていたにもかかわらず、なぜかモヤがかかっている上に、濃い煙まで立ち込めていた。

 

 

これは著者によれば前日の爆撃の余韻がモヤとなって残っていたのに加えて、八幡製鉄所を爆撃から守るために、組織的にコールタールに点火して煙を立ち上らせていたことによるものだという。

 

 

そうなのか、でも組織的にやっていたなら、すぐ真実が明らかになりそうなものなのに、今まで天候のせいだとされてきたのはなぜなんだろうか❓謎が残る。

 

 

また原爆投下の目標都市として京都が最後まで残っていたことは、吉田守夫の『京都に原爆を投下せよ』で明らかにされてきた。

 

 

吉田はこの本の中で、ウォーナ伝説、つまり京都にはたくさんの文化財があり日本人の心の故郷になっているから、これを破壊するのは問題がある、として目標から外させたというのは間違いだたと論じていた。

 

 

京都は最後まで目標であって、8月14日にポツダム宣言を受諾しなければ次なる投下地点の可能性があった。

 

 

 

ところが今回の三山の本では、またウォーナ伝説が復活していて、彼の強い進言で京都は目標から外されたことになっているのだが、本当のところはどうなんだろうか。

 


2026-07-22 14:45:00

今月の河出新書に河田雅圭の『心はどこまで進化したのか』が入っている。

 

 

遺伝学の見地から、性格の違いや精神の病を考察したものだ。

 

生物は細胞分裂を繰り返す中で、突然変異つまり、エラーが発生して親とは異なる遺伝子配列になる。

 

 

著者によれば、突然変異は基本的に生存に不利もしくは中立であるといい、それらの形質は世代を経るにつれて、消し去られる。

 

 

その消え去る前の何世代か、不利な表現形が現れてしまう場合があるのだ。

 

 

例えばADHD、スペクトラム、うつ病、双極性などで、突然変異によって、遺伝子プール的には多様性が確保されるが、多様だからといって、生存に有利であったりするわけではない。

 

ここからは俺の感想だが、なにか遺伝的に多様な集団の方が有事の際に生き残る確率が増すような議論がこれまであったが、そうではないケースがたくさんあるわけで、びっくりした。

 

 

政治体制でも、確かに民主主義は多様な意見を取り入れやすい感じもするが、うるさいバカまでも相手にしなければならず、かえって混乱を生むケースも多々見られた。


2026-07-21 11:37:00

昨日行った枡形商店街は、京都らしさがよく現れた場所だと思う。

 

 

昔ながらのやり方に固執する、変なところが京都の方々にはあるのだ。

 

 

 

枡形に河原町通から入ってすぐ左手にうどん屋があって、井戸水で出汁を取っていて、うどんと並んで鯖寿司が名物となっていて、時分どきには長い行列ができる人気店だ。

 

 

しかし、俺の考えだが、井戸水で出汁を取っても、沸騰さすわけだから味や旨みに違いがあるとは到底思えない。

 

 

また、鯖寿司は徳川時代なら若狭からやっと届いた魚で、タンパク源としても重宝されただろうが、令和のこのご時世、うまい食べ物とも思わない。それにもかかわらず京都の人たちがありがたがって並んででも食べたがる意味がわからないのだ。

 

 

また、そこから少し進むと小規模ながら映画館があって、懐かしの名画やあれこれを連日上映しているのだが、今時映画館までわざわざ出向いて見るだろうか。

 

 

Amazonプライムやサブスクでいくらでも観たい映画は、時間や場所に捉われることなく、自由に鑑賞できる。

 

 

自宅なら、横にいけすかない他人が居合わせて気分を削がれることもない。

 

 

小腹が空いてちょっと食べたい時も停止しておけば、また途切れることなく鑑賞できる。

 

 

それに映画館のスクリーンは異様にでかい。

 

 

俳優さんの顔も普通では考えられないほど拡大されて目に飛び込んでくるわけで、あんなもの不自然極まりないと思う。

 

 

 

それにもかかわらず、京都の人たちはありがたがって映画館に行くのだからよくわからない。

 

 

 

また最大の謎が3軒もある古本屋だ。

 

 

一番奥のぼあい書房は画集、図録、和本などが専門であり、上海ラヂオは廉価本、エルカミノは音楽本、京都本、旅行関係、マンガ、文学書、宗教書などをメインで扱っているようで、各店の本棚は充実していて他の追随を許さない。

 

ただ、どのお店も狭い。

 

 

地べたから本が積み上げてあることもあって、本棚をチェックするのも面倒だし、いろんなジャンルの本が欲しい時、古本屋のハシゴをしなければならずじゃまくさい。

 

 

俺は、普通に考えても、ブックオフみたいな古本屋が客にとっては一番だと思っている。

 

 

交通の便のいいところにあって、広いし、涼しい、いろんなジャンルの本が探しやすいように並んでいる。

 

 

枡形の近くのブックオフといえば、もちろん三条駅ビル店なんだが、何度も書いているとおり、この店の品揃えは大問題で、文庫本など大学の一回生が読む程度のものだ。枡形の古本屋の充実した本棚と比べて、その落差が不思議だと思うのだ。


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