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古本屋日誌
今日は8時ごろ起きて、三連休の最終日、気合を入れてこれまで入ってきた注文分を本棚から見つけて積み上げた。
萱島、香里園で急行に乗り換えて、11時ごろ神宮丸太町。
酷暑の中丸太町通りを西にてくてく歩いて、久しぶりに誠光社。
ここは河原町丸太町を少し上がったところにある新刊書店だが、古本も少し置いてあって、以前一乗寺の恵文社にいた人が10年くらい前に起こした特色のある店だ。
暑い中たくさんのお客さんが詰めかけていて素晴らしい。
俺もじっくり見て、雑誌『SPIN』の宇崎純一特集号を1400円くらいで購入した。またてくてく歩いて駅まで戻って、出町柳。
駅すぐのステーションで、電動自転車を借って、百万遍に11時半ごろ着いたが、吉岡書店はまだ開いていない。
確か日曜祝日は1時オープンだったはずで、また今出川通を西に向かう。井上書店もまだ開いてないので、銀閣寺道近くの長浜ラーメンでお昼ご飯。(900円)
近くの竹岡書店はもう開いている。
また自転車で今度は白川通を南下して、久しぶりにホホホ座。
白川通から少し東に入ったところに北側に古本と雑貨の店、南側に新刊と雑貨の店がある。
新刊のお店のすぐ横に🚗一台分止めれる駐車スペースもあって便利だ。
入り口手前には左京区のミニコミ誌などがずらりと並んでいて、地域のコミュニティとして機能していることがわかる。
店は20坪くらいありそうな、四角い形で、右手の壁には表紙が見えるようにたくさんの絵本が並んでいて素晴らしい。
出たばかりの星野萌の『ねこのおしごと』(1980円)を購入。
また店内ではプロレスの回顧展のようなことが行われていて、その同好の人たちが楽しそうに会話しているが、俺はプロレスには全く関心がない。
さてまた自転車で白川通を今度は北上して、12時過ぎに善行堂。民家を改装した感じの、奥に長い店内にところ狭しと本が並んでいて壮観だ。
入ってすぐ左手の背の低い本棚の上に、加能作次郎の出たばかりの短編集が積んであって、なかなか素晴らしい作品なのでさっそく購入。(1800円くらい)
また自転車で、車もあまり通らない今出川通を滑走。ここは雪が積もったらゲレンデに出来る。
井上書店が開いているので、寄ってみた。
相変わらず素晴らしい本が並んでいて、講談社学術文庫の『第二次大戦に勝者なし』全2巻揃、(ただし赤い線引き多数あり)が2000円だった。この本は以前はきれいな状態で4000円くらいしていたが、このところはだいぶ安くなっている。
さらに下って、開いている吉岡を覗く。ここは隣り合った2つの建物が古本屋なのだが、向かって右手のお店は一階にたくさんの岩波文庫、趣味本、古地図などがあって、2階は理系の本だ。
岩波文庫を見ていると『耳嚢』全3巻揃が1500円、『大君の都』全3巻がもう少し高い値段で並んでいる。これは少し前まではすごく安かったが、品切れになって品薄のようだ。
また自転車で今出川通の一本北側の道を進んで、出町柳駅近くのステーションで返却。(1160円)
2時すぎなのだが、ものすごく暑い中、白い日傘を差したおばさんの大群が駅から高野川方面、下鴨方向にゾロゾロ歩いて行く。
俺は横目に殺して加茂川も渡って、枡形商店街に入る。この東西150メートルくらいの商店街に古本屋が3軒、映画館、こった新刊書店、たこ焼き屋、阿闍梨もち販売店なんかがあるのだ。
手前の和菓子屋、ふたばは今日もかなりの行列だ。
まず古本屋、上海ラヂオを覗く。
いつもながらいろんな単行本が店先の段ボールに無造作に放りこんであって、安い。だいぶ前に出た『特攻 空母バンカーヒルと二人のカミカゼ』や中公バックスの『日本の名著、頼山陽』『内村鑑三』なんかも300円だ。
さらに進んでぼあい書房。店先には200円均一で、河出文庫のデュラスのシリーズなんかもあった。
店内はたくさんの図録、美術書でいっぱい、素晴らしい。木村伊兵衛の全集も並んでいる。文庫本も床にみかん箱に入って、角川文庫の山田風太郎シリーズがいっばい置いてあるほか、本棚には珍しい岩波文庫や河出文庫が並んでいる。
引き返して古本屋エルカミノ。その横の映画館も覗く。
ここは一階の中央が長いバーカウンターのようになっていて、食事や飲み物をたのしむことができて、3時ごろなんだが、お客さんでいっぱいだ。
さらに向かって右手の壁面は全面本棚になっていて、いろんなジャンルの新刊がびっしり並んでいて素晴らしい。
入ったすぐ右手に向かい、数段階段を登って、一番手前の本棚は、京大本コーナー。吉田寮の本(ただ、写真集は置いていなかった)、小学館の例のマンガ『ヨシダ檸檬ドロップス』、最近出た1968年の大学闘争の本なんかもある。
というわけで、京都の古本屋は小さいお店がたくさんある状態で、涼しくて、広く明るい店内でゆっくり自分のペースで本を見たいお客さんにとっては、めんどくさいだろう。
全国的にはブックオフが古本屋の代表として君臨しているイメージが俺にはある。
実は京都も例外ではなく、普通の本の品揃えは明らかに数店舗のブックオフが優れている。
しかし、京都の古本屋は、ブックオフに対抗して、規模を拡大して、いろんな本を置いて、見やすい、過ごしやすい店づくりをしようというふうには全く考えていないようなのが、興味深い。
今日は6時半ごろ起きて、牛乳、カレーパン、ヨーグルトで朝ごはん。
録画してあった『刑事コロンボ』を見てから、暑い中萱島、香里園から急行に乗り換えて三条に11時半ごろ到着。
久しぶりにブックオフ三条駅ビル店。文庫の品揃えは相変わらずで、同じタイトルの本が並んでいる状態は変わらない。
また本のコンディションチェックが甘いのも常態化していて、線引きのたくさんある、岩波文庫の『人間精神発達史 上』が高い値段で並べてある。
てくてく歩いて市役所前のゼスト地下街。ここの烏丸寄りの、奥がモータープールになっているエリアには、食道街とともに、ふたば書房があるのだ。
通路を挟んで、南側に絵本や実用書のエリアと文庫、雑誌、京都本とかのエリアがあって、北側にはいろんな単行本、画集、漫画コーナーがある。
画集を見てみると、バンクシーのものや橋本治の『ひらがな日本美術史』なんかもあるし、エッセイコーナーには山田稔の『富士さんとわたし』『天野さんの傘』がある。
書店から回収されてしまった、國友公司の『ルポ 路上メシ』だが、一読してみた。
國友は筑波大を出て、ホームレスなどのルポを生業にしているライターで、この本は都内各所で行われる炊き出しに、並んでご飯を食べるディテール報告書だ。
キリスト教会なんかが、しばしば炊き出しを行なっていて、まず整理券を発行してから、牧師の説教が長い時は1時間くらいあって、その後、整理券順に食事が配られる。
この本には、どんな食事だったかもカラー写真ありで、細かく記載されていて面白い。
別段差別的な記述があるわけでもなく、(俺は差別的な表現があっても何ら問題はないと思うけど)なぜ回収されてしまったのか不思議ではある。
確かにホームレスでも、生活保護受給者でもない著者が、身分を偽って炊き出しに並ぶのはどうかという話もあるようだが、ちゃんと『ルポ』とタイトルに入っているわけだし嘘偽りはない。
また、こういう本がないと、炊き出しの実態や、並ぶ人の肉声なんかは世間に伝わらないわけだし、存在意義はある。
今日は6時過ぎに起きて、冷えたお茶、桃で朝ごはん。
朝方はさすがに涼しいが、すぐに晴れて酷暑となる。
夜の間に入った注文品の準備を整えて、9時ちょうどに郵便局。
その足で萱島、天満橋、谷町線で谷町四丁目、てくてく歩いて45分くらいに古書会館近くのコンビニ(ファミリーマート)に到着。
ここは下着や寝巻き、電池、蚊取り線香、スマホの充電グッズなど日用品も豊富な店だ。
しばらく涼んでから古書会館。直射日光が容赦なく照りつける中、30人くらいの熱心な古書ファンが並んでいる。
それはさておき、双葉社が出した『路上メシ』という路上生活者のルポに問題があるとなって、書店流通分は回収となったと昨日の晩ネットニュースで流れていた。
それですぐジュンク堂の在庫を見てみたら、三宮店がたくさんあるので、ネットから注文して、途中から合流した嫁と三ノ宮に来た。
さっそく2階のカウンターで本を受け取り、すぐ横の検索機で調べると、まだ在庫が7冊、五階の社会コーナーにあるとわかったので、さっそくエレベーターで行って探してみたが見つからない。
店員さんに聞いてみたら「あーあれね、出版社から撤去してくれゆわれたので、除きました、すみません」とのことだった。
今月の光文社新書に、池田遼太の『戦艦大和最期の新証言』というのが入っている。
愚かしい作戦の犠牲となって撃沈された大和に関しては、電探担当だった吉田満の『戦艦大和の最期』をはじめそれこそ汗牛充棟だ。
それを「新証言」と煽るのだから、それなりの内容だろう、と早速購って一読。
これまで、司令官の伊藤整一に、作戦前日の4月6日に参謀長の草鹿龍之介と参謀の三上作夫が行った作戦説明の席上、初めは伊藤は異議を唱えたが、「一億特攻の魁のなってもらいたい」と草鹿が発言したところ、にっこりして了承したことになっていた。
ところが、この本によれば(証拠となるデータは示されている)、伊藤は全く納得せず、成算のない無謀な作戦を命じる司令部を詰り、最後は呆れて口を閉ざしたという。
特攻で死ねと言われている当事者からすれば、至極真っ当な論難だよね。
しかし、この真実が明らかになるまで80年もかかったというのもよくわからんね。
ただこの本にも書いてあるのだが、レイテ沖海戦の時、大和を率いていた、栗田は連合艦隊司令長官の豊田から、必ずレイテ湾に突入せよと直前に命じられていたにもかかわらず、命令に背いて引き返している。
だから、上の命令とかいっても、帝国海軍には順守する伝統はなかったように思えるのだが。