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古本屋日誌
先週の木曜から天神さん、金曜から天王寺さんと京都の古書会館で古本市が開催されている。京都のは日曜日で、天神さんのも月曜で終了。
天王寺さんでは、自転車で大阪の2つの古本市を行き来して本を漁ってるおじさんがいた。
「いや、30分もかからんよ、ほら折りたためる自転車あるやろ、あれは、電車にも持ち込めるから梅田までは電車で来てそっからやん。」
なんでも寺社仏閣の本を探しているのだそうで、たくさん買えたら段ボールに詰めて送ってくれるサービス(23キロまで1200円)を利用するのだそうだ。
「庚申さんの、すぐ南にまだ湧き出してる井戸あるんやわ。飲めますんやで、知らん人おいけど」という。
これは俺は知っていて、庚申さんのすぐ斜向かいに、ちょっとしたスペースがあって、井戸があるのだ。
地元の人がずっと管理していて、時々井戸替えなんかもしていることは、先日NHKでも取り上げていた。
確かにこの井戸は水量が豊富で井桁のすぐ際まで、水があるのでびっくりするのだ。
今回の天王寺さんの古本市は、これまでなかったような珍しい文庫本がいろいろ並んでいたので驚いた。
団塊の世代やその前の人たちが亡くなる時期を迎えて、遺族が遺品の整理を古本屋に依頼してくるからだと思う。
これまでは増えすぎた本を少し処分しようと蔵書家が古本屋を呼ぶことが多かった。
その場合は「もっとこの本は高いやろ、買いたたかんといてや」となって、それなりの値段を支払うことになるので、必然的に古書価も高騰する。
しかし遺族にとっては残された本は単に場所塞ぎでしかなく、「なんぼかんぼでもええさかい、持っていんでや」となる。
当然安く買えるから、古書価も落ち着くし、大量に市場に本が流通することになる。
京都大学出身者が続いてノーベル賞を取ったこともあって、京大を讃える論調がある。
しかしこれはとんでもない話で、そもそもこの大学は学生を教育しようという姿勢などないだろう。
毎年毎年2500人からの膨大な合格者を出し続けているわけだから、大半の学生は何の才能も力もない人たちだ。
ややこしい入学試験に合格するため、必死になり、全力を傾けてようやく引っかかったという人たちばかり。
だから入学と同時に目標も失い、怠惰の本性が顔を出し、やる気もなにも失ってしまう。
そういうバカな連中を大学がうまく操縦して、可能な目標を設定して普通の社会生活を送れるようにコントロールしてやるべきなのだが、京大はつまりは研究第一の大学だから、そういう姿勢はない。
法学部は学部内誌の『法学論叢』を出していて、1981年の新入生に前年の入学式で学部長の川又教授が行った挨拶が収録してある。川又教授は「うちの学部は行方不明になり、退学してしまう学生が1割くらいいる、これは少し多すぎると思うんです」と述べた。
俺はこれを読んで、(あーある程度バカはコミで入学さしてるから、それがいなくなるのは当然と思てはるんやな)とちょっと残酷なお言葉に思えたな。
1983年の京大では、教養部でもゼミが行われていた。
吉田グラウンドのすぐ南側にあるプレハブの小さなゼミ室で、教授と院生を囲んで数名でやるのだが、自然人類学ゼミでは毎回英語の原書購読となり、担当の学生が指定箇所のレジュメを作成の上発表する。
怠惰な学生は英語力もなく、発表の途中で、横にいる院生や猛者の学生からしばしば誤訳、間違いの指摘を受ける。
担当の堀田満教授は特に何も言わず、ようやくたどたどしい発表が終わると、「じゃあ〇〇くん、まとめ頼むで」となって院生の〇〇くんがスムーズに今日の原書のこうがいをさらりと述べて話が続いていく。
結局はその程度の英語力しかない学生は使えないし、自分でちゃっちゃとやってくれよ、ということなわけだ。しかし満座で恥をかいた学生はもうやる気もなくて努力もしない。
1980年代、講義の出欠はまったく取っていなかったし、試験もテキストや辞書の持ち込みが許されたりするケースもあったし、バリケードストライキがあった影響でレポート試験になることもしばしばあって、学生は容易に単位を取得できた。
更に不思議なことは学生が生意気な発言をするのをむしろ歓迎するような風潮があったことだ。
当時教養部にいた森毅は中公新書から『数学受験術指南』を出し、京大の入試の数学は全て記述で、たとえ答えが間違っていても、そこに至る思考プロセスを見て採点するから十分な点数をつけることもある、と書いている。
これは結構なことだが、更に大学の試験でも高校までのような暗記は重んじない、むしろどう考えたかを見るから、京大のテストは教科書や辞書持ち込み可のが多いんだ、ということも書いているのだ。
これが怠惰な学生を勇気づけてしまい、教養部の仏教学のテストで、頼富教授宛「試験は覚えているかどうかをチェックするものではないでしょう、思考のプロセス、論理を見るものではありませんか?」と主張して、テキスト持ち込みでテストを実施するように要求する手紙を出すことになる。
それを受けて頼富教授は学生に「こういう手紙を受け取ったんです、それで試験は持ち込み可とします」とおっしゃり、学生は拍手喝采となってしまう。
そんな生意気なだけの学生など、ろくでもないわけだが、リクエストを受け入れてしまう。
今日ははるばる一乗寺の本屋、恵文社に出向いた。
昨日と今日、大阪の出版社、編集工房ノアの本の展示販売があるからだ。
ここは50年前からある、老舗の文芸書の出版社で、山田稔や安水稔和、川崎彰彦、天野忠らの本を出している。
昨日は社主の涸沢と山田稔の対談なんかもあったようだ。
俺もここの本は好きで山田稔のや、天野忠の本を何冊も持っている。
ただ基本的には詩集をたくさん出して成り立つ出版社だと思う。
つまりは自費出版みたいなものを扱う会社だということだ。世間には金を積んでも、自分の書いた詩を本にしたいという人がたくさんいる。そういう願いは理解できるものだよね。
ただノアについて不思議なのは、未だにホームページすらないことだ。
本の注文はハガキを出す形で行われていて、不便だ。
まもなく本が送料無料で送られてくるのだが、入金は昔ながらの郵便振込用紙同封で、今どきこんなひちめんどくさいことはやめてもらいたいものだ。
また山田稔は以前は講談社とか河出書房とか、そういう名の通った出版社から本を出して、講談社文庫や文芸文庫にも収録されているのに、このところ新刊はほとんど全てノアからだ。これは不思議で仕方がない。
全国的には、名前の知られていない弱小出版社から何を好んで本を出すのか、俺には理解できない。
それはそれとして、2時くらいに恵文社に到着して、一乗寺駅寄りの入り口から店に入り、本とともに雑貨の展示販売がされているスペースの奥に「ノアの50年」と題された展示スペースが設けてあった。
大きな机が3つ並んでいて、その上にこれまで刊行してきた単行本や文庫本が並んでいる。川崎彰彦、三輪正道、東秀三、足立巻一。
また本棚も2つあって、そこには山田稔の著作、天野忠のエッセイや詩集がずらりと並んでいるほか、今では品切れとなっている天野の本や川崎彰彦、港野喜代子のものが非売品で並んでいた。
俺はいくつか品切れの本もあるのではないかと期待していて、確かに天野忠の『木洩れ日拾い』はあったな。
その横、恵文社なんだが、美術書、芸術書、大型本、マンガ、小説、外国文学などがずらりと並んでいて壮観。小説のラインナップが岡田睦、武田百合子、大江健三郎、小島信夫、山田稔、川崎彰彦、金井美恵子、夏目漱石、古井由吉なわけでなかなか面白い。
今日から天王寺さんで大規模な古本市。大阪を中心に32の古本屋が参加している。
朝郵便局に出荷に出向いて、その足で四天王寺。9時45分頃到着。今回は天神さんの古本まつりと会期がかぶっていることもあって、少しお客さんが少ないように見えた。
今年からLINEの友だち追加で100均の本を1冊プレゼントしてくれる仕組みになっている。これまでのスタンプによる金券発行は無くなった。
ツアーで四天王寺を訪れる外国人客も多いので、本だけでなく、錦絵、ポスター、着物、ぐい呑み、小物雑貨なんかを扱っている店がある。
伽藍前の石段に腰掛けていると、中東系の旅人に「天王寺公園はどこですか?」と聞かれる。スマホのアプリでも見せて聞いてくるのでもなく、紙片を差し出して方角を教えて欲しいという。
四天王寺からはもちろん南西なんだが、歩いて10分くらいはかかる旨伝えて、「この前の門を出てまっすぐ歩いて右」というと「エブリシング、グゥー」という。
石の鳥居から西大門あたりには雑貨、小物、ポスター、靴下、紙物、陶器、皿やコップなんかを売る露店が並んでいる。
今日10月10日は紙衣堂の縁日、歳をとってもしもの世話にならずにすむというご利益を求めて、たくさんの善男善女がお参りに詰めかけている。
池崎書店はいつものように魅力的な文学書、文庫本をたくさんテント内に並べていて壮観だ。
理系の本なども扱うおくだ書店は魅力的な文庫本を棚に並べている。岩波文庫の『リグヴェーダ讃歌』『クォヴァディス』の揃、朝日文庫の『お前はただの現在にすぎない』なんかもあった。
小町書店はいつも通り、1冊300円、5冊800円で、たくさんのお客さんを集めていた。
瀬戸内アーカムハウスは、平台に大量の古い本、雑誌、文庫を積み上げていて、値段の付いているものは半額、それ以外は300円で販売している。(もちろん別に値段の付いている本もあった、漫画雑誌『ぼくら』とか)
平台に、まずずらりと本を並べて、びっしり敷き詰め終わると、その上に雑誌、紙物を積み上げて、本のタワーになっていて、それを崩しながらあれこれ見るのは古本市の醍醐味だと思う。
普段古本屋で本を崩しながらとか、邪魔な本をすぐ横にヒョイと放り投げるとかは憚られる。
しかしここでは、そうでもしない限り下に隠れている本を発掘できない。
DVDが傷つかないよう、ある程度加減しながら、それでもタワーは容赦なく崩れてくるので、左手で支えつつ、本を探るのは何かいけないことをしている背徳的な魅力もあるね。
70年の大阪万博のガイドブック、ちくま文庫の長谷川伸の戯曲集、ちくま文庫の『ナマコの眼』バーミンガムの『天皇の陰謀』などが並んでいる。
アジア號のテントには、1冊400円でたくさんの和本が積み上げてあるほか、個人が撮った写真も箱に入れてずらりと並んでいる。中には祝言での大判の集合写真もあった。サイズごとに値段が決まっていて大きいのは1枚1000円。
クロックワークは滋賀の古本屋で、レコードやCDをいつも通りたくさん並べている。
さらに1冊150円でたくさんのきれいな文庫本を並べている。中には講談社学術文庫の『草書の字典』、岩波文庫の『法の精神』揃、中公文庫の『大谷光瑞』揃などもあった。
トキシラズはたくさんの文庫、新書、星新一の本、漫画、文学書があって、中には双葉社の『童夢』や『ハイウェイスター』もあった。
清泉堂倉地書店はたくさんの文庫、『新日本古典文学大系』を持ってきていて、値段も400円〜500円。その中には珍しい『古事談 続古事談』もあった。
ピエト文庫は、大阪の本、古地図、SF、大江健三郎の単行本、内田百閒の旺文社文庫などがきれいに並んでいる。その中には筑摩叢書の『近代文学論争』揃もあった。
COSYO COSYOは平台にたくさんの文庫、新書、単行本を並べていて1冊200円、3冊500円。中には講談社文庫の『田中角栄研究』、新潮文庫の『戒厳令の夜』揃、『難波古京考』なんかもあった。
楽人館は朝鮮関係の本、東洋文庫、辞書、戦記ものの文庫などがあれこれ並んでいる。シルヴァン書房の店主が椅子にドッカと腰掛けてお元気そうだった。
今日は天神さんで古本市。早速朝から行ってみた。
本殿が改築中で、足場が組まれているため境内が少し狭くなっている。そのせいもあって今年の古本市場規模が縮小している。
少し前に着いてあれこれ、テントの隙間から本棚をチェックしてみたが、今回はピンとくるものがなく10時のオープン時は100均コーナーで本を探すことにした。
ここは巨大な平台が4列あって、おやしろに向かって左端が文庫、新書の台、それ以外の3台が単行本、雑誌となっている。
単行本の台の方にたくさんの人が集まっていて、ブルーシートに覆われた盤面を見つめているのだが、もう少しでオープンの時に「あと、10秒」と声を上げたお客さんがいて、周りの人たちから笑い声も上がり楽しい雰囲気だったな。
俺は文庫本の台をあれこれ見て回ったが、新潮文庫の『軍艦長門の生涯』全3冊、岩波新書の『認識とパタン』なんかが並んでいた。
単行本の方は除籍シールの貼ってある本がかなり目についたが、吉田東伍の『大日本地名辞書』なんかもあった。
各店のテントでは、門を入ってすぐのところの杉本と梁山泊で、単行本10冊2000円というコーナーがあって、人気を集めていた。糸井重里の『萬流コピー塾』のシリーズや『京都に原爆を投下せよ』なんかもあった。
その前の厚生書店のテントには映画やドラマの、大型のパンフレットが1冊100円というのがあった。
その向こうのからすうりでは文庫や新書が3冊500円で出ていた。
さらにその奥には名古屋の南部堂のテントがあって、戦前の個人の日記、鉄道本、いろんな紙ものなんかを並べていた。