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古本屋日誌
京都大学出身者が続いてノーベル賞を取ったこともあって、京大を讃える論調がある。
しかしこれはとんでもない話で、そもそもこの大学は学生を教育しようという姿勢などないだろう。
毎年毎年2500人からの膨大な合格者を出し続けているわけだから、大半の学生は何の才能も力もない人たちだ。
ややこしい入学試験に合格するため、必死になり、全力を傾けてようやく引っかかったという人たちばかり。
だから入学と同時に目標も失い、怠惰の本性が顔を出し、やる気もなにも失ってしまう。
そういうバカな連中を大学がうまく操縦して、可能な目標を設定して普通の社会生活を送れるようにコントロールしてやるべきなのだが、京大はつまりは研究第一の大学だから、そういう姿勢はない。
法学部は学部内誌の『法学論叢』を出していて、1981年の新入生に前年の入学式で学部長の川又教授が行った挨拶が収録してある。川又教授は「うちの学部は行方不明になり、退学してしまう学生が1割くらいいる、これは少し多すぎると思うんです」と述べた。
俺はこれを読んで、(あーある程度バカはコミで入学さしてるから、それがいなくなるのは当然と思てはるんやな)とちょっと残酷なお言葉に思えたな。
1983年の京大では、教養部でもゼミが行われていた。
吉田グラウンドのすぐ南側にあるプレハブの小さなゼミ室で、教授と院生を囲んで数名でやるのだが、自然人類学ゼミでは毎回英語の原書購読となり、担当の学生が指定箇所のレジュメを作成の上発表する。
怠惰な学生は英語力もなく、発表の途中で、横にいる院生や猛者の学生からしばしば誤訳、間違いの指摘を受ける。
担当の堀田満教授は特に何も言わず、ようやくたどたどしい発表が終わると、「じゃあ〇〇くん、まとめ頼むで」となって院生の〇〇くんがスムーズに今日の原書のこうがいをさらりと述べて話が続いていく。
結局はその程度の英語力しかない学生は使えないし、自分でちゃっちゃとやってくれよ、ということなわけだ。しかし満座で恥をかいた学生はもうやる気もなくて努力もしない。
1980年代、講義の出欠はまったく取っていなかったし、試験もテキストや辞書の持ち込みが許されたりするケースもあったし、バリケードストライキがあった影響でレポート試験になることもしばしばあって、学生は容易に単位を取得できた。
更に不思議なことは学生が生意気な発言をするのをむしろ歓迎するような風潮があったことだ。
当時教養部にいた森毅は中公新書から『数学受験術指南』を出し、京大の入試の数学は全て記述で、たとえ答えが間違っていても、そこに至る思考プロセスを見て採点するから十分な点数をつけることもある、と書いている。
これは結構なことだが、更に大学の試験でも高校までのような暗記は重んじない、むしろどう考えたかを見るから、京大のテストは教科書や辞書持ち込み可のが多いんだ、ということも書いているのだ。
これが怠惰な学生を勇気づけてしまい、教養部の仏教学のテストで、頼富教授宛「試験は覚えているかどうかをチェックするものではないでしょう、思考のプロセス、論理を見るものではありませんか?」と主張して、テキスト持ち込みでテストを実施するように要求する手紙を出すことになる。
それを受けて頼富教授は学生に「こういう手紙を受け取ったんです、それで試験は持ち込み可とします」とおっしゃり、学生は拍手喝采となってしまう。
そんな生意気なだけの学生など、ろくでもないわけだが、リクエストを受け入れてしまう。