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古本屋日誌
今日は神戸のお客さんのところに出向いて本を見せてもらった。
少し前に河出書房が文芸誌『スピン』を出して今は10何号かまで続いているのだが、創刊号が欲しいという要望も多くて値段も高騰している。お客さんは「理由はわからんな、特に面白い小説でもない」とおっしゃる。
夕方から甲子園に出向いてスワローズ戦を見た。
チケットはありがたいことに友人が頑張って取ってくれたもので、三塁アルプス席、レフトポールの近くで、よく見えるいい席だ。
3回表あたりでものすごい雨が降り出して40分くらい中断。
俺はタイガースの黄色いカッパを来て、そぼふる中座っていたが、暗い夜空から絶え間なく降り注ぐ雨足が、照明灯の明かりではっきり見えてきれいだ。
スワローズの応援団はレフトスタンドに陣取っているのだが、激しい雨の中ずっと応援歌を鳴物入りで演奏して高歌放吟していたのだが、そのうちやる歌がなくなってきて、どうするのかなと思ったら青木とか、スタメンでない選手のもやり出した。
その後雨は小降りとなり、係員がマウンドを覆ってあるビニールシートを外した、トンボなんかを手にした、阪神園芸の人たちがグラウンドを整備して、「ただいまから試合を再開いたします」とのアナウンスが流れた。
その直後再び、車軸をながす大雨が降り出して再び中断となり、水捌けのいいグラウンドもさすがに水たまりができて、光線に照らされて白くて光るようになってしまい、そそくさ出てきた審判がノーゲームを宣言した。
今日は出荷してから心斎橋に出てブックオフ心斎橋店に行ってみた。
心斎橋筋はいつも通り外国人客もいっぱいで賑わっていてありがたいことだな。
徳川時代の心斎橋は石屋の浜で、石材の荷揚げが行われる一方、心斎橋筋は本屋がたくさんあった。
昭和の時代は、駸々堂書店が北づめに二階建ての店舗を構えていたが、倒産してしまい、今は薬局になっている。
古本屋は南詰に中尾書店があって、占いの本、郷土史、浮世絵、一枚刷り、輪本なんかを扱っている。外国人客に土産として重宝されていると思う。
そして北側にブックオフだ。ここは地下1階から三階までの4フロアーが古本屋であり、壮観だ。
いつも不思議なのは、ブックオフの仕入れは近隣からだとのことなので、心斎橋店も中央区や北区、浪速区あたりなんだろうけれども、文庫を中心に水準の高い本が多い。
中公文庫ではイスラームの聖典の『ハディース』が揃っていたり、ちくま文庫では『現代民話考』がたくさんあったり、岩波文庫では『近世風俗志』と普通の人が読まない本が置いてあるケースがある。
またなぜか絵本もたくさんあって、1階の向かって右手端から2番目の本棚にずらりと20メートルくらい絵本だ。
座り込んで読めるように、床にはカーペットも敷いてあるから、店の読みとしては、家族連れや、子ども単独でも店に来て絵本を楽しんでくれると考えているのだろう。
しかしよく出向いている俺の見るところ、絵本コーナーにたくさん子どもがいるのを見たことはないから不思議だ。たくさんどころか、ほとんど目にしない。
心斎橋や丼池、本町あたりはオフィス街だったり、観光地だったり、繊維問屋だったりするわけで、子どもをたくさん抱えた若年層が多いとは思えない。
リーマンは多いだろうから彼らの好む歴史小説がたくさん置いてあるのなら、納得できるんだけどね。
それで、ずっと疑ってるのは、心斎橋店は他所の店で仕入れた本を流してもらっているのではないだろうか、ということなのだ。もしそうなら、他の店から問題視されないんだろうか。
もちろんなんの根拠もないし、客としてはいい本が買えてありがたいことなんだけどね。
それはそれとして、この店が魅力的なのは繁華街の中心部に位置していて、喫茶店や食事できる店がいくらでもあることだ。
斜向かいにはドトールが三階建てで出店しているし(ブックオフができるまでは、ここは古本屋はだった)、スタバ、コメダ珈琲、フリスピークリームドーナツなんかもある。
食べ物屋はCoCo壱、一風堂、鶴丸うどん、うさみ亭松葉屋などいくらでもいい店がある。
ブックオフを見てから北に上がり「シモジマ」で封筒、ポリ袋、消しゴムなどをこうてから、天満橋に出て、大川を渡って、予約していた造幣局の通り抜け。
今年は寒いのでまだ満開とはいえないが、露店もたくさん出ていた。
今日は出荷してから、阪急の宝塚線、山本駅まで出向いてお客さんの本を拝見した。
たくさんの辞書が並んでいて、『岩波古語辞典」『漢字語源辞典』『新明解国語辞典』などだが、うちではどれも売りにくい。
ジャンプコミックスや司馬遼太郎の文庫本、山本周五郎の本、森瑤子、沢木耕太郎、確かに本としては面白い作品もいろいほ含まれているのだが、商品となると扱えないものばかり。
お客さんには「紙ゴミとして処理されるか、もしくは近所のリサイクルショップにお声をかけられたら、引き取ってもらえる思いますわ」
宝塚にはブックオフもあるし、豊能障害者作業センターが、経営するいくつものリサイクルショップがあって、文庫本も1冊50円くらいで販売しているし、山本にもリサイクルショップがある旨お伝えしておいた。
今日は嫁と京阪電車の石清水八幡宮駅に出向いて、三川合流地点にある背割堤で花見をした。
背割堤は木津川と宇治川の間に作ってあって、10メートルくらいの高さがある上、1.5キロくらい続いていて、その上に250本くらいの桜(ほぼ全て染井吉野)が植えられている。
肝心の桜は5分咲きくらいで、客はさほど多くはないが、明日の土曜日からは露店も出るし、桜も満開を迎えそうで大変な人出になるだろう。
宇治川に三十石船を浮かべて20分程度のクルーズが行われていて、13時30分からのに参加してみた。
御幸橋から堤を少し下流に進んだ、宇治川の岸辺から乗船して、川の真ん中を下って背割堤の先端部まで行く。
背割堤には崩れるのを防ぐため茶色のテトラポットが岸辺にずらりと並べられているほか、水面から堤の桜が植えてある地面までの、10メートルくらいはある斜面には枯れた葦の群落や葉を落としたエノキなんかも見えている。
料金は2000円で、花も5分咲きでしかないし、どうかなと思ったが、70人くらい乗れる船はわれわれ2人だけしか客はおらず、貸切だったので値打ちがあった。
乗船中は解説のお姉さんがお話を聞かせてくださる。
なんでもこのクルーズは花見期間だけ、1時間に2便運行してるが、客足はずいぶん波があって、今日は多い便は50人くらい乗っていたという。
背割堤は昭和5年に作られて、三川合流地点の流路をなだらかにし、増水時の洪水を防ぐ狙いがあった。
1.4キロからある堤には松が植えられていたが、1978年に桜(ほぼ全てソメイヨシノだ)に植え替えられた。
その際堤の入り口には江戸彼岸、大阪寄りの堤の最南端には大島桜を植えた。この品種を掛け合わせて染井吉野が生まれたわけだ。
最南端から堤を下った淀川の河川敷には樹齢100年になる楠を移植し、例の日立の木のような、大きなブロッコリーのような存在感で聳え立っている。
右岸に見える石清水八幡宮と男山の解説では、男性が寝そべっている姿に見えることが地名の由来だと言う。
また、左岸遠くに見える天王山での天下分け目の合戦が秀吉軍4万対光秀軍1.5万だったことや、三日天下(実際は13日間だ)だったこと、山崎蒸留所の気候がスコットランドに似ていて、水も清洌であるため、蒸留所の開設に至ったなどの説明もあった。
なんでもこの三十石船は天満橋の八軒屋から枚方を経て伏見まで運行することがあるとも言っていた。
「江戸時代は上りはまる1日かかっていました、綱で引き上げていましたから」「また、おまるを持ち込んでいましたけど、今はそこにちゃんとトイレを備えています」という話もあった。
ただこの解説には問題もあって、徳川時代であっても、上りは引き綱などを使わずに航行できることもちゃんとあった。それは帆船で、追い風であれば問題なく淀川を遡れたのだ。
1960年代の大阪市住吉区の小学校は、地区によって格差があった。
俺は1967年に清水ヶ丘小学校に行き始めたのだが、校舎はほぼ全て鉄筋であり、講堂も天井が高い独立した建物だった。またグラウンドもきれいな四角で、桜の木がたくさん植えてある。
その後3年からは安立小学校に通うことになり、落差に驚いた。
これは本当は一年生から安立小学校に通わなければならないのに、住所を偽って越境入学をしていたわけなのだ。
安立小は、校舎の敷地が歪で、南海本線の住之江駅に通じる表通りには面しておらず、北側の長細い路地を抜けてようやく校地に辿り着く。
グラウンドも四角になっておらず、北の隅は横に長く西側に伸びる形だった。
また講堂は木造二階建てで、一階部分が講堂なんだが、背が低く窓は西と東にしかなく薄暗かった。
2階は3年生の教室が真ん中に廊下を配して振り分けで配置してあった。
最も驚いたのはトイレで、男女共用、男子用の小便は溝に向かって、一段高いタイルの段に上がってやるスタイルだった。年季も入っていて悪臭ふんぷんたるもので、清水ヶ丘のごく普通のトイレとは大違いだった。
溝に向かってやるスタイルは、2003年の甲子園球場にもあった。
もう20年以上になるが、それでも「ようこんな古臭いトイレを未だにつことるよなあ。ちゃんと改修せなあかんやろ」と思ったものだ。