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古本屋日誌

2025-04-04 19:55:00

今日は嫁と京阪電車の石清水八幡宮駅に出向いて、三川合流地点にある背割堤で花見をした。

 

 

背割堤は木津川と宇治川の間に作ってあって、10メートルくらいの高さがある上、1.5キロくらい続いていて、その上に250本くらいの桜(ほぼ全て染井吉野)が植えられている。

 

肝心の桜は5分咲きくらいで、客はさほど多くはないが、明日の土曜日からは露店も出るし、桜も満開を迎えそうで大変な人出になるだろう。

 

 

宇治川に三十石船を浮かべて20分程度のクルーズが行われていて、13時30分からのに参加してみた。

 

 

御幸橋から堤を少し下流に進んだ、宇治川の岸辺から乗船して、川の真ん中を下って背割堤の先端部まで行く。

 

 

背割堤には崩れるのを防ぐため茶色のテトラポットが岸辺にずらりと並べられているほか、水面から堤の桜が植えてある地面までの、10メートルくらいはある斜面には枯れた葦の群落や葉を落としたエノキなんかも見えている。

 

 

料金は2000円で、花も5分咲きでしかないし、どうかなと思ったが、70人くらい乗れる船はわれわれ2人だけしか客はおらず、貸切だったので値打ちがあった。

 

 

乗船中は解説のお姉さんがお話を聞かせてくださる。

 

 

なんでもこのクルーズは花見期間だけ、1時間に2便運行してるが、客足はずいぶん波があって、今日は多い便は50人くらい乗っていたという。

 

 

背割堤は昭和5年に作られて、三川合流地点の流路をなだらかにし、増水時の洪水を防ぐ狙いがあった。

 

 

1.4キロからある堤には松が植えられていたが、1978年に桜(ほぼ全てソメイヨシノだ)に植え替えられた。

 

 

その際堤の入り口には江戸彼岸、大阪寄りの堤の最南端には大島桜を植えた。この品種を掛け合わせて染井吉野が生まれたわけだ。

 

 

最南端から堤を下った淀川の河川敷には樹齢100年になる楠を移植し、例の日立の木のような、大きなブロッコリーのような存在感で聳え立っている。

 

 

右岸に見える石清水八幡宮と男山の解説では、男性が寝そべっている姿に見えることが地名の由来だと言う。

 

 

また、左岸遠くに見える天王山での天下分け目の合戦が秀吉軍4万対光秀軍1.5万だったことや、三日天下(実際は13日間だ)だったこと、山崎蒸留所の気候がスコットランドに似ていて、水も清洌であるため、蒸留所の開設に至ったなどの説明もあった。

 

 

なんでもこの三十石船は天満橋の八軒屋から枚方を経て伏見まで運行することがあるとも言っていた。

 

 

「江戸時代は上りはまる1日かかっていました、綱で引き上げていましたから」「また、おまるを持ち込んでいましたけど、今はそこにちゃんとトイレを備えています」という話もあった。

 

 

ただこの解説には問題もあって、徳川時代であっても、上りは引き綱などを使わずに航行できることもちゃんとあった。それは帆船で、追い風であれば問題なく淀川を遡れたのだ。