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古本屋日誌

2025-02-22 00:12:00

昨日から谷町四丁目の古書会館で古本市、少し寝坊して10時半くらいに着いた。

 

今回も文学書の「矢野書房」が参加しているほか、SFの「ディック」、和本の「横丁」、西洋文学の「寸心堂」に加えて「真木」「厚生」「アジア号」「杉本」「汎」「唯」などが参加していた。

 

丁度転勤、進学などで、宿替が多くなる時期で、興味深い本も出ていた。

 

 

弘文堂の『写真で見る 日本生活図引』全9巻は、箱はなくて、コンディションが悪いものの、今は失われてしまった街中の風景を切り取って、詳細なキャプションと解説をつけた須藤功の労作で、いつ見ても飽きない。

 

 

昭和21年の銀座の写真では妙齢の女の服装を「少し着物が着崩れているが、着物はけっして悪いものではない」とか

 

やはり東京の松坂屋前を行く買い出しの親子の姿を細かく説明した後「はたして無事に家にたどり着くことができたかどうか」と記すなど、面白い。

 

かなり前に出ていた雑誌『堺 泉州』も揃ではないものの、ある程度まとまって売っていた。

 

「アジア号」は古い写真やらパンフレットなんかを1枚500円で売っていた。

 

「横丁」は和本を一冊400円でいつも通り大量に販売していた。また筑摩書房が出した『日本まんが』全3巻、大量の『本の雑誌』実業之日本社の『アクション』なんかもあった。


2025-02-21 00:05:00

中学受験の進学塾の日能研関西で起こった過労死事件のことだ。

 

6つ目の注目点は日能研関西のゆるゆるのシステムのことだ。

 

酒井は1996年に入社したのだが、その際社長の小松原景久氏から「引越し代とか、家の敷金、礼金なんかは出すから」と申し出があった。

 

これはその当時、日能研ではこれはと見込んだ人には行われていたことなのだ。

 

酒井はその当時、京都進学教室の社員で、長浜校の教室長だったから、住まいは滋賀県だった。

 

日能研に入社することになり、基本的な勤務スタイルは、昼過ぎに三ノ宮の本部に出勤するので、阪急沿線で家を決めたいとなって、初めに武庫之荘駅でハイツかマンションを探したのだが、周旋屋に出向いても、条件が高すぎて折り合わなかった。

 

 

それで西宮北口の周旋屋を訪ねて、門戸厄神ねきのハイツに決まったのだ。

 

 

しばらくして総務から、「酒井さん、お金が出ましたから取りに来てください」と連絡があったので、酒井はいそいそと受け取りに出向いたら、引越し業者にかかった金しか出ておらず、「代表は敷金とかもだすゆうてましたけど」と言うと「あーそうでしたか〜ケラケラケラ」と大笑いされたと聞いた。

 

 

もちろん後で足りなかった分は支給されたが、当時の日能研はそういうふわふわしたところがあった。

 

 

また同じ頃、俺はすでに社員は辞めて、非常勤講師になっていたが、新年度2月分の給料が3月10日に振り込まれる約束になっていたが、10日にチェックしても振り込まれていない。

 

 

電話して聞いてみたら「講師の先生の新しい時間給がまだ決まってないんです、それで、振り込みが遅れているんです」との返事だった。

 

給与の振り込みが約束の日に行われないことは、他の会社でもあったのだが、それは倒産して支払えなくなったからで、きわめて異常な事態だ。

 

 

そういうことをやらかしてしまうゆるゆるなところが日能研関西にはその当時はあったのだ。

 

この締まりのなさが社員で、講師のストレスとなっていたのではないかと俺は思っている。


2025-02-20 13:21:00

うちには2匹猫がいて、姉と弟の関係でともに11だ。(人間でいうと65くらいのようだ)

 

 

ともに尻尾の付け根あたりを叩いてもらうのが大好きで、わしが帰宅しても迎えに来るわけでもなく、おこたに入って姿を見せない。ところが着替えを済ませて、さておこたでくつろごうとなると、いそいそとお出ましになって、おいどをこっちに向けて催促される。

 

弟のカイの方は10秒くらい叩いておけば、満足してストーブのねきに移動するのだが、姉のポコはひつこい。

 

初めは、わしの膝に前足を踏ん張る姿勢なのだが、やがてもっと高い座椅子に移動して前足を突っ張って催促される。

 

 

仕方なく叩いて差し上げていると、次は座椅子の向こうにある本棚の2段目の敷板に前足を乗せて、おいどをこっちに向けて催促して来られる。

 

とにかく無限に叩くように指示が出るわけなのだ。嫁も叩いてやることはあるが、なぜかわしの方をご所望で困ったことだ。

 

 

晩御飯を済ませて、コーヒをいただき、さて本の出荷作業をしましょうと、隣の書庫に入って、注文のあった本を腹ばいになって探していると(本は板の間にズラリと並べてあるのだ)、ちんもぽちもやってきて、おいどを突きつけて催促なさる。

 

仕事の邪魔なのだが、こればっかりはどうしょうもない。

 

このようにわしにネコ様方は懐いておられるように見えるのだが、寝る時はわしの布団に来られることはなく、もっぱら嫁のところでお休みになっている。

 

なんでも昼間は(わしのいない時は)わしの布団でゆっくりお休みになっているそうだから、ナゾという他はない。

 


2025-02-19 13:42:00

中学受験の進学塾の日能研関西で、2000年に当時の課長だった酒井がくも膜下出血で過労死した事件。

 

 

5つ目のポイントとして、日能研の過剰な労働負荷や過大な勤務時間(このことは後で詳細に見ていく)に酒井本人が不満を抱いていた点だ。

 

 

これは過労死事件の直後に、同僚の社会課の職員である阿部から聞いた話だ。

 

酒井と阿部は京都の烏丸校勤務の日があって、一緒に帰っていたが、というのも2人とも最寄駅が宝塚線の門戸厄神だからなのだ。

 

途中十三で阪急神戸線に乗り換えるのだが、時に下車して酒を飲むことがあった。

 

その時の酒井の発言は「仕事の時間が長すぎる。行事なんかも多い。今は受験を目前に控えての時期だからだけど、これが終わったら上に言わないといけない」だったという。

 

受験など関係なく、すぐに休むなり、労基署に告発するなりするべきだと俺は思うが、いずれにせよ、日能研の労働環境に不満を持っていたことは間違いない。

 

またこれは酒井の妹の話だが、「兄は日能研関西に入社して1年目は、仕事もやりやすいし、時間も余裕あるし、いい会社を紹介してもらった(東の紹介で入社した)」と喜んでいた。

 

ところがあれよあれよという間に、タイトなスケジュールとなって、落差が大きかったことがわかる。

 

 

酒井の心中を推し量れば、(だれのせいでこんなに忙しくなったんだろう、とほほ)というものだろうから、大きなストレスを感じていたのではないだろうか。

 


2025-02-18 00:14:00

このところずっと不具合が続いていたパソコンとプリンターを買い替えた。

 

パソコンは10年くらいつこていて、立ち上がるまでにかなり時間がかかる上に、頻繁にフリーズして、画面が真っ黒になり、再びネットに接続しようとして白い画面になるはものの、その後再び真っ黒になってしまう。

 

 

またお客さんのアドレスをコピペしてクリックポストのウインドウに貼り付けようとするのだが、コピペが出来ずフリーズしてしまう。

 

プリンターの方は頻繁に紙詰まりを起こして、紙を噛んだ状態でストップしてしまう。その度に電源を落として紙を引っ張り出して、また電源を入れる作業をしなければならない。

 

 

さらに、ようやくクリックポストで、宛先が印刷できて、やれうれしやと郵便局に持ちこんだはいいものの、いざバーコード、QRコードを読み込んでもらおうとすると、これが、読み込めないのだ。

 

 

もちろん持ちこんだクリックポストの全てが読み込めないのではなく、そのうちの1〜3通くらいなのだ。

 

郵便局の職員の方が、親切にもQRコードの部分を拡大コピーしてくれて、よく見てみたら、コードが二重に印刷されて歪んでいるのがわかった。

 

印刷時に紙送りがスムーズにいかなかったのだろう。

 

仕方なくダメだったものを持ち帰り、再度印刷する羽目になる。

 

 

これではさすがに、仕事にならないので、ジャパネットたかたのホームページから8Gのノートパソコン、キャノンのプリンターのセットを購入したのだ。(下取りと設定付きで15万くらいだった)

 

 

パソコンは16日の日曜日に到着したのだが、設定は翌月曜。

 

それまでに月曜出荷の分をプリントアウトしなければならない。

 

日曜日の夜遅くに作業したのだが、今回は20通くらいの印刷が少しも不具合なく、快調に出来上がったのだ。

 

 

まるで「まだまだ行けまっせ‼️ほかさんといとくなはれ‼️たのんます‼️」とプリンターが強い意志を示しているかのようだったな。


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