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古本屋日誌
1999年の12月に日能研関西(神戸に本部がある中学受験の進学塾だ)では冬期講習に向けた打合会が開かれた。
俺はこの塾で国語を教える非常勤講師であり、打ち合わせも終わり、同じ非常勤講師で算数を教えていた古田、正社員で算数を担当していて、部長の地位にある東と集まって飲みに行く相談をしていた。
東と私は大学時代からの友人であり、初めに日能研に入った彼の推輓で1995年から国語の教師になった経緯がある。
その翌年1996年に、やはり大学時代の友人である酒井も日能研に社員として入り、1999年時点で算数課のマネージャーの1人(課長待遇)になっていた。
いつも酒井を入れて3人で飲んでいたものだから、彼にも電話を入れてみたのだが『いま家に帰って洗濯している」というのだ。
なんでもこの日は、冬期打ち合わせの前に、灘中学を受ける予定の生徒を一箇所に集めて、合同授業を酒井もやり、忙しくて洗濯も出来ていなかったので家に戻ってやっているというのだ。
「それやったら待っとくよって、東と古田もおるし、こっち(摂津本山)にきてや」と言うと
「いや、このあと担当者で集まって宴会もあるし」
「そんなもん、行かいでええやん。そないな宴会なんかおもろないし、こっちで飲んだ方がええやん」と言うと
「そしたら東先生の方からゆうてもらわないと」と酒井は言ったのだ。
俺はその時この発言にショックを受けた。
京都大学農学部自治会や闘争委員会(A自、A闘)のメンバーであり、また熊野寮自治会の書記長までしていた彼がそんなことを言うのかというショックだ。
つまり俺は「宴会に出ないことを上司の東先生の方から会社に言ってもらいたい」と発言したと解釈したのだ。
それで横にいた東に「SKは東先生からゆうてくれゆうてるでー」と携帯を渡したら「ふん、そうなんか、それやったらな、仕方ないな」と話している。
俺は、あの酒井ともあろう男が、こんな情けないことをゆうてるで、お前もどない思う、ショックなんちゃうか❓という思いだったんだが、東はまったくそんな感じはなく、何事もなかったかのように電話で話しているのだ。
8月1日から今日までさんちかホールで古本市。
3日目の昼過ぎに行ってみた。
さんちかホールはJR、阪神、阪急のターミナルに位置していて、梅田や難波の中心部といえる場所だ。
そこで定期的に古本市が開催できるわけだから、大したものだ。
神戸では花隈近くの古書会館でも定期的に古本市が催されている。ただ古書会館のは、店舗がなくて、通販でやっているお店の方が多いように思う。
それに対してさんちかホールの古本市は店舗も構えて商売している店が多い。
店の方に来てくれるお客さんもたくさんいて、十分潤っているわけだが、それでもこの暑い最中、労をいとわず、さんちかホールに本を運び込みお客さんを喜ばせようとするのはすごいね。
でも俺の邪推だけど、少しは古本屋の見栄っ張りなところもそこにはあるのかなと思っている。
古本屋はつまりはゴミ屋だから、お客さんの手放した不用品を扱う商売だ。
ゴミ屋に徹してみなさんに喜んでいただくのが本懐なんだが、それでも少しは日の当たるところに出てみたい欲求もあるのでは無いのか、と思うのだ。
三ノ宮は梅田や心斎橋筋に相当する中心地だ、「そこで手広く商売できるようになったとは、俺も少しは認められたワイ」という感じではないのだろうか。誠に結構なことだと思う。
8月1日に甲子園球場は100周年を迎えて、ジャイアンツ戦の前に式典が行われた。
渡辺謙の司会で、バース、藤川、吉田やジャイアンツの堀内、スワローズの荒木なんかが出ていた。
甲子園は野球を観る球場として極めて優れていて、今後とも今のコンディションを守っていかなければならない。
ただ、地球温暖化の影響で夏場は6時でも8時でも暑い。投手への負担は大きいからグランドコンデションの整備に新しい工夫が必要だろう。
また両翼が96メートルなのは野球規則に違反している。
きちんと100Mにしないといけない。そもそも神宮球場など論外であり、あんな狭いところでプロ野球をやるなどよくわからない。
また甲子園は球場の外周に魅力的な店舗がない。東京ドーム(ここは球場としては全く評価できないのだが)は外周にオープンテラス方式でビヤガーデンや食事が出来る店がたくさんある。甲子園も早急に整備すべきだろう。
劉慈欣の『三体』2にスペシャリストの1人(面壁人と呼ばれている)が小型機にメガトン級の核爆弾を積み込んで三体艦隊を宇宙で撃滅する計画を立てる話がある。
この、タイラーというスペシャリストがいうには「古代ギリシャから第二次世界大戦まで。(中略)なによりもまず、責任と栄誉、それから、必要とあらばまったく躊躇せずに命を投げ出す覚悟。お気づきの通り、第二次世界大戦のあと、民主国家か専制国家かを問わず、その種の精神は軍隊から消えてしまった」
その精神を取り戻す必要がある、とタイラーは考えて帝国陸軍の基地のあった知覧(特攻隊の出撃拠点だった)を訪れたり、アフガンのゲリラ組織(自爆攻撃をしていたわけだ)を尋ねたりした。
そこでかつての軍人精神の復活の足がかりを掴もうとするが、いずれも指導者からダメ出しをされる。
アフガンの指導者は「自爆攻撃のもとになっていたのは、激しい憎しみだ」という。
そして、今ターゲットとされている三体文明の艦隊にわれわれは憎しみを抱いていないし、むしろ彼らが狙いを定めている地球上には不倶戴天の敵がいるから、攻撃されるのはいいことだとさえいえると述べるのだ。
結局タイラーの目論見は果たせず、遠隔操作で戦闘機を操ることになってしまう。この辺りの精緻な設定が魅力的だ。
個人が重んじられる民主主義国家はつまり面倒なことは人任せにするということだ。
平時でも、この無責任体制は様々な問題を引き起こしているが、非常時となればなおさらだ。
単行本で出た時も評判が高かった『三体』だが、今年ハヤカワ文庫で3まで出た。
早速読んでみたが、圧倒的な面白さにびっくりした。
地球の遥か彼方にある三体文明が地球制服を狙って宇宙艦隊を送り込むSFなんだが、細部の作りの精緻さ、ストーリーの奇抜さは他の追随を許さない。
三体文明は地球よりもはるかに進んだ文明を持ってはいるのだが、それでも遥か遠くにあって、ワープなどは出来ないから(SF御用達のワープ航法が物理学的に不可能であることは既に実証されている)光速に近いスピードで地球に向かってはいるものの、到着までに400年くらいかかる。
われわれはその間に科学文明を発達させて、三体艦隊に対抗しようとする。
しかし一部には、勝つことを諦めて、金にあかして地球から脱出しようとすると連中も出てくる。
さらには人類に愛想を尽かして、むしろ征服されることを乞い願う人たちもいるのだ。
自暴自棄のように思えるが、そうではなく、毛沢東が発動した例の文化大革命で吊し上げられ惨殺されたインテリの親族の怒りがそこにはあるという説得力ある展開になっている。
一方、侵略者の三体の方にも弱みがある。
彼らは、他人が頭で考えていることをそのまま知ることができ、地球人のように思いと言葉が裏腹ということはない。
そのため地球人が知恵を絞って三体に対抗しょうと、頭の中でめぐらしている作戦を知ることができないのだ。
地球ではそれを利用して、誰ともコンタクトせず、自分の思いを自由に頭の中だけで立案でき、実行にうつせるスペシャリストを養成することになる。
三体側はスペシャリストを暗殺しようとするほか、400年の間に地球文明が進歩して、脅威となるのを防ぐために、科学を無力化する試みを仕掛けてくる、というような展開なのだ。
こういう面白いストーリーに加えて、文体や描写力も大したもので、著者の劉慈欣は天才だ。
こういう作品を読むと、確かに才能はあるとわかるのだが、本屋に並んでいるくだらないSFの山を読むと、「この程度でメシが食えるんだから、世の中は甘いよな」との実感も抱く。