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古本屋日誌
昨日はは朝方1時間ほど強い雨が降って、いっときは気温が下がった。
しかしまもなく晴れてきてまた、暑くなった。
ジンネマンの『真昼の決闘』をBSで、久しぶりに見た。
1952年のハリウッド映画だが、民主主義の問題点が浮き彫りにされた傑作との呼び声も高い。
ゲーリークーパー演じる保安官ケインがならず者のミラーとその仲間の4人と戦う話だ。
ケインは街の大衆に助力を求めるが悉く拒絶される。(但し、14の少年とヨボヨボの爺さんは求めに応じたが、これはケインの方で引き取ってもらった)
その理由が興味深い。
「自分を新しい保安官にして欲しい、できないなら協力できない」
「指が潰れていて力になれない」
「この街で銃撃戦が起きたと、北部に知れたら、怖がって投資が来なくなる」
「ミラーがいた時は、このホテルも儲かっていた、保安官に怨みを抱く人間はたくさんいる」
「前にミラーを捕まえた時は助手が手だれの助手が6人いたのに、今は誰もいない」
「保安官と助手にこれまでたくさん金を払ってきた、それなのにいざとなると、われわれの助力を願うようでは、今までの出費はなんだったんだ」
「ケインはもう保安官ではないから(結婚を期に保安官は辞任している)これは街全体の問題ではなく、彼等の私闘でしかない」
「ミラーとやり合ったらこっちが殺される」
「紀元前5世紀のアテネでは追放された僭主が帰って来て復讐を始めたら市民は誰も止めなかった、そういうものだ」
この中で注目すべきは金で保安官を雇ったのだから、保安官はならず者をたおす義務がある、という意見だ。
これは大なり小なりわれわれの全てが抱えている問題だよな。
日常でもトラックの運転手とか、福祉の仕事をしている労働者、その他割の合わない仕事を割り振られている人たちはたくさんいるし、逆に遊んで金を儲けたり、博打ばっかりして(株式投資は博打に他ならない)遊んでいるバカもたくさんいる。
それはさておくとしても、どうしても避けられない緊急事態が起こってしまった際はどうなるのか。
2011年の福島第一原発のメルトダウンの時、全電源が喪失してしまい、なんとか原子炉の冷却を進めようと電源車を手配しようとした。
しかし原発周辺の道路は、避難しようとする大衆で溢れて、渋滞して緊急車両の通行もままならない事態に陥ってしまった。
結局原子炉が続けざまにメルトダウンしてしまったわけだよ。
こういう時に大衆の権利を制限できないならば、国家は滅亡の危機に瀕するだろう。
中公新書から藪本勝治の『吾妻鏡』が出た。シンプルなタイトルだが、われわれが幼い頃抱いていた源平合戦のイメージを大きく変える最新研究を踏まえた啓蒙書だ。
『吾妻鏡』そのものは1300年ごろに成立した鎌倉幕府の正史であり、執権である北条氏の立場を擁護するスタンスで書かれているというのはよくいわれてきた。
その上で、例えば、一の谷合戦は、後白河法皇が和平のとりもちをしている最中に、源氏方が平家を騙し討ちにしたものだとか、例の鵯越の逆落としは義経ではなく、多田行綱のやったことだとか、なかなか興味深い話が書いてある。
著者の薮本は灘中、高の教師だとある。神戸大の院を出ている。
学者ではないものの、最新の研究に目を通してわかりやすく伝えようとする姿勢は大したものだ。
それにしても灘とか西大和(ここは社会科に浮世博史がいて、興味深い日本史の概説書を何冊も出している)といった進学校の授業はどうなってるんだろう。
こういった、普通の教師のレベルをはるかに超える知的な連中に教わるのは、それなりに好奇心を満足させてもらえるだろうけど、大学入試とは全く関係ないよなあ。
生徒の間から「いくらなんでも、あの授業は問題です、入試とも関係ないどころか、そもそも教科書とも全然関係ないことをずっとやってるわけだから」てな不満が出て、授業ボイコットとかならないんだろうか。
俺は、1980年ごろ大阪府立天王寺高校に通っていたが、北野をはじめ大阪のトップ校もやはりテキストとは全く関係のない授業が続いていた覚えがある。
とくに国語、社会はその傾向が強かった。
古文、漢文はずっと教師の手作りの『論語』プリントをやっていたし、倫社は岩波文庫の『方法序説』や『ノヴムオルガヌム』角川文庫の『ソクラテスの弁明』をテキストにしていた。
英語もシェークスピアを教材にするのだが、その英語は16世紀のもので、今の英語とは単語がかなり違っていて、それを読ませるのだ。
天王寺高校では、一部の生徒は授業をボイコットして出席せず、公然と教師を批判する行動に打って出ていたが、俺はなかなか面白い学校だと思っていた。
今日から日曜日まで谷町の古書会館で古本市。現在大阪では阪神百貨店でも大規模な古本市が開催されているし、京都では丸善で開催中だ。
仕事が朝から入っている上に、出荷もしないといけないのだが、何とか済ませてから、谷町に出向いてみた。さすがに暑さもあって人出は少なめだ。
仕事の都合で時間もなくて、通り過ぎる程度にしか見られなかったが、今回は文学書を専門にしている矢野書房、洋書の寸心堂は参加していない。
古本市は、お目当ての小説にターゲットを絞っているお客さんもたくさんいるから、この2店の不参加は客足に影響を及ぼしているようだ。
今日も出荷を済ませてくつろいでから、阪神百貨店の古本市に行ってみた。
2日目は初日に比べで人出も少なく、ゆっくり本を見ることができて快適だ。
下鴨の古本市など、「納涼」と名打ってはいるはものの、地獄のような暑さが襲ってくる上に、蚊やスコールの襲来(今年はなかったようだが)まであって、その場にいること自体が危険でもあり、何かの修行をしている感がある。
それに比べて百貨店の古本市は、交通至便、クーラーが全館効いており、害虫も全くいない。
腹が減ったり喉が渇けば、9階の阪神大食堂に出向いたら、ビールでも、かき氷でも、うなぎでも、ステーキでも、中華でもなんでも食べ放題飲み放題だ。
在庫も下鴨の50万には及ばないものの、15万くらいはあるのではないだろうか。俺には十分な本の量に見えるな。
ただ一つ不満なのがレジだ。集合レジになっていて、四カ所同時に支払いを受けることができるのはいい。
精算する際、レジのテーブルには参加している古本屋(26店ある)の番号を記載した紙が貼り付けてあって、係員が本の最後にある値段を書いた紙片を剥がしながら、「225番、500円」と読み上げると、横に控えたもう1人が小さな紙に「225番、500円」と復唱しながら記入していくのだ。
全部終わると紙片に書いた数と横に積んである本の数を照合する。
これが合わないことがしばしばあるのだ。
というのも、本は上下巻セットで販売しているものも多いから、値段を書いた紙は一枚しか入ってない。
ところが係の人はバカなのか、よく忘れる性格なのかわからないが、そのことをすっかり忘れて本と合わせようとするから数が合わない。
その後、値段を書いた紙を持った係の人は暗算で合計金額を出して、客に「10110円です、お支払い方法は❓」と聞いてくるから「カード、一回で」とか「PayPayで」とかなる。
さらにその後、係の人は、その紙を持ってレジに座っている人のところに行って、もう一回合計金額が正しいかチェックしてもらっている。
もちろん、しばしば合わない事態が生じて、座っている係員と立って紙片を持った係員が額を付き合わせて再チェックすることになり、その間は4箇所ある支払いの作業がすべてストップして、客も係の人も所在なさげなのだ。
これはそもそも、やってることがバカげている。ミスが生じるタイミングが多すぎるからだ。
そもそも一番初めの「226番、500円」のところからミスが出る。値段は手書きがほとんどで、「560円」とあるのに、見間違えて「500円」と言ってしまうことがままおこる。
今日から阪神百貨店で古本市。早速行ってみた。
8階の催し物会場で大阪、京都、兵庫、滋賀、愛知、岐阜、石川、富山の20をこえる古本屋が参加している。
梅田1番地にあるこの百貨店は、出入り口は地下一階、一階などがあるのだが、エレベーターが初めにどの階に止まっているかが気になる。
古本市は八階だから、できるだけ早く行きたいわけだ。
俺は地下一階の阪神電車乗り口横にある入口にいたのだが、ここにはいつも警備の職員がいる。
そこで彼に「エレベーターはどの階に待機してるの❓」と尋ねてみたら
「地下一階待機です。一階のはボタンを押してもしばらく来ません、ただ大阪駅側のは一階待機になってます」とのことだった。
さすがは阪神百貨店の警備員だな、客が気になる情報はちゃんと把握している。
しばらく彼は、続々と詰めかけるお客さんを整列させて、入り口近くにめぐらしてあるロープで囲まれたエリアに誘導していたが、また俺のところにやってきて「今確認しましたら、今回は1階待機になってるとのことです」と言うではないか。
そうなのか、変更になったのか。
でもすでに10時の開店3分前だし、俺は9時45分に到着して先頭から4番目だ、(この時間に来てもほとんど誰もいないわけだから、古本市はあんまり人気があるとはいえないね)
さて、ここから1階に上がって並び直すのは賢明な行動とは言えないだろう。
それでそのまま開店を迎えたのだが、つかつかと「御座候」裏の3機あるエレベーターのところに行ってみると、確かに全てのエレベーターの箱の上の表示は、1階のところが点いている。
まあそれでも、すぐに1機が上がらずに降りてきたので、8階には10時3分には到着できた。