Welcome
古本屋日誌
大塚ひかりの『BL日本史』が祥伝社新書からでた。
大塚はセンスのよさに加えて、資料の博捜、他の追随をゆるさない優れたエッセイストだ。
今回はBLに目を向けて通史を描いた。
男色の伝統の中で、日本の場合はBL、つまり対等な関係で男同士がむつみ合うのではなく、少年愛であることが指摘してある。
つまり身分の高いおとこが、無抵抗な無辜の少年を手込めにする形が一般的なのだ。
寺院で女色が禁じられて、抜け道として衆道が盛んになってしまったことに、大塚は淫らがましいことを禁じるのなら、女色も衆道もともに禁じるのが筋だ。
それなのに女と戯れるのだけは淫らなんだが、男とならそうでないと考えるわけだから、そこには女性差別の考えがあると言う。
なるほど確かにその通りだよな。
先週の金曜日初日で、谷町四丁目の古書会館で古本市があった。
この日は天気予報通りの雨で、朝10時のオープン前に並んでいた人はいつもの半分くらいだった。
本を読むのが趣味だとか、コレクターでコレクションの完成を目指したいとか、せどりをしたい古本屋だとかが、来ているので、雨であろうが、槍であろうがその程度のことにはとらわれないと思っていたが、そうではないのだ。
足元がじるい、歩きにくいというのもあるだろうし、4月から5月の初めに大きな古本市が大阪と京都であったため、欲しい本をそこでこうて満腹になっているのかもしれない。
また資金を先の古本市で使いすぎて、余裕がなくなっていることも考えられる。
それでも朝から本を買おうという熱心なお客さんのために、どのようなマニアックな本が置いてあったのか。
まず大量の和本だ。俺にはその価値はまったくわからないが、読める人や和紙の香りに惹きつけられる人には宝の山なんだろう。
また、昭和30年代の東京、横浜、京都のグルメ本。中には作家がお気に入りの店を念入りに紹介する本もあって、これには食指をそそられた。
最近の小説のサイン本がたくさん。この前本屋大賞を取った作家の本もあった。これはマニアにはこたえられないボナンザだろうよ。
全共闘絡みの本がたくさん。各大学の運動の本もあるが『明日は騒乱罪』てなアンソロジーもあった。ノスタルジーをおぼえる人もいるだろうし、歴史資料と考える人もいるだろう。
俺にはまったくわからないが、洋書の大群。小説だろうと思われるが、「日本語よりフランス語の原文の方がスラスラ頭に入ってくるよ」という方には涙が溢れるほどの本だろう。
戦前のコンパクトサイズの雑誌「上方趣味』。これも表紙の感触が素晴らしいがよくわからない。
廃刊になった大阪都市協会の雑誌『大阪人』。特集はワンパターンで下らないが、連載にはいいものもあった。
大量の富士正晴の本。竹林の聖者であり、茨木の誇りでもある小説家だよな。
1980年代の大量の『ビッグコミック』や『スピリッツ』。美味しんぼなんかが載ってるやつ。
中学受験の進学塾である日能研関西で起きた1回目の過労死事件のことを考えている。
1999年の12月にあった冬期講習打合会の日のことだ。
先に述べた通り、過労死した酒井は灘クラスの合同授業の後、帰宅して溜まっていた洗濯物を洗い、その後灘の担当者が集まる宴会に出た。
その際わしが、くだらない宴会など出る意味はない、わしらと飲もうよ〜と誘ったのだが、「(自分の上司の)東先生から宴会には出ないと上にゆうてくれ」と言って断ってきた。
わしはこの言葉に強い違和感を抱いたのだ。
ただ、その後、日能研関西という会社では、宴会も仕事の一部のようなところがあるのではないかと思い直した。(どこの会社でもそうかもしれない)
つまり自分が受け持っている生徒の学力や現状を報告し合うとか、次回の会議の日程を調整するだとかは、宴会の場で日常的に行われていたのではないかということだ。
そうなれば、宴会に出ないと、生徒の様々な情報が得られないし、また改めて会議の日程を電話なり、メールなりで調整しなければならず、面倒ということだろう。
だが、それにしても酒井は自分の発言が相手にどう取られるか、よく考えていた人だ。
わしに「(上司の)東さんから出なくていい旨、上に言って欲しい」などと言ったならば、(熊野寮自治会の書記長でもあり、農学部のA自、A闘でもある人間が)自分の思っていることを上に言えないのか❗️)てなことを思うだろうことぐらいわかりそうなものだ。
そこにすごい違和感があるのだ。
つまり、人に誤解されたくないとか、正しく理解して欲しい、と人は思うものだ。
しかし、ある組織の常識にとらわれたら、その価値観の中でものを考えるようになる場合もあるだろう。そういうことなのかもしれない。
日能研関西(中学受験の進学塾)の過労死事件の話だ。
くも膜下出血で死んでしまった、算数課マネージャーの酒井は、つまりは相手の反応を読んでしゃべる人だった。
こういう話をずっとしてるのは、よくわからないことがあるからなのだ。
それは1999年の12月に冬期講習の打ち合わせ会があった。
俺は非常勤講師なので、打ち合わせが終わればやることがなく、早上がりになっている職員や同僚の講師と飲みに行くことになったのだ。
酒井は、灘クラスの合同授業をやって、それが終わったらやることもなさそうなので、電話をかけて飲みに来るように誘ってみた。
「これから、家に帰って溜まっている洗濯を済ませないといけない。そのあとは灘の担当者の宴会がある」
というので「そんなどうでもいい宴会がなんかでる必要なし。こっちへきてや」と返すと
「そしたら、東さん(酒井の上司、わしと酒井の友人でもあって、その時わしと一緒にいた)のほうから上にゆうてくれるんやったら」という。
この言葉を聞いて、強い違和感を覚えたのだ。
たかが会社の宴会だ、そもそも出てやる義理もないんじゃないか、俺はそう思っている。
そんな下らないものに出ようとする姿勢がまず理解できない。
さらに不思議だったのは断りを自分では上に言えないという態度だ。大の大人のゆうこととは到底思えない。
俺はビックリして、何もいえず、すぐに横にいた東に電話を渡した。
「ふーん、そうなんや、それやったらしゃーないな」みたいな受け答えで、東はショックを受けている風は全然なかった。
その後、酒井は帰宅して洗濯を済ませてから、灘クラスの担当者の宴会に出た。
われわれは何人かで飲みにいったのだ。
さて、この東の対応なんだが、ビックリしているようにはまったく見えなかったし、その後の飲み会でも話題にも上らなかった。
ということは灘の宴会なるものは、実は宴会ではないのではないか❓と少し思い直した。
つまり飲み会なら、慰労だから、仕事のことは忘れて和気藹々やりましょうてなもんだろうが、この宴会はそうではなく、確かに酒は出るものの、実態的には仕事なのではなかろうか。
日能研関西(中学受験の進学塾だ)で算数課のマネージャーだった酒井が過労死した件を考えている。
彼はいろんな面で相手の考えることを予想して、気を遣って話すタイプの人だった。
日能研関西に来る前は京都に本社のある京都進学教室に勤めていて、近江八幡校、長浜校の校長をしていた。
滋賀県は都心ではないから、移動手段として車が必要になって、新車を買う。
「ええ車やなあ、なんぼしたんや❓」と尋ねたら「150万」というから「ローンなんぼくらい払てんの❓」
「キャッシュで払ったよ」という。「えーそないにぎょうさんの金貯めとったんかいな。ちょっとも知らん」てなやりとりをした。
しかしこれは嘘だった。
酒井が亡くなってから、母親に会う機会があって、この新車の話しをしたら
「須崎さん、あれは全部出したんです、私が。そんなお金もってないですよ」と言うのだ。
つまり母親に払ってもらったけど、それを友人に正直に言うのは抵抗があったということなのだ。
彼の頭の中ではそんなことを喋ってしもたら、「なんやそりゃ、親がかりであかんやん」てなことを言われると危惧したのだ。
俺の正直な反応は「えーそりゃええなあ。わしの親なんか破産して、家も銀行に取られてなーんもないわ」なんだけどね。
つまり酒井は相手の反応を読んで、予想して喋る人間なんだということが言いたいのだ。