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古本屋日誌
2021-11-13 21:38:00
1980年代前半の京大の熊野寮はなかなか変わった人がいた。
すでに7回生になっていた農学部の田中くん(仮名)は数学と碁と女あしらいが極めて得意だった。
普段は全く学校に行かず、寮内で囲碁を嗜み、夕方になれば焼酎を飲んでいた。
私は何故かこの先輩に気に入られていて
ある日「なあスーさんな、ちょっと相談に乗ってもらいたいんや」
なんでも熊野寮のC棟に住んでいる文学部のNという女(その当時はC棟は1人部屋だった)が気になって先日の晩うまい具合に誘い出して夜中に2人で大文字山に登ったという。
左大文字で銀閣寺の参道のすぐねきに登山道がある。なんでも山の中では暗いので手を繋ぎあっていい雰囲気だったので、山頂まで行って降りてきてから
「なあええやろ、ホテル行こよ」と誘ったが
「いやや❗️」とすげない。
でもホテル街は銀閣寺の周辺だけではなく岡崎公園にもあるので、てくてく歩いて公園に近づいた時にまた「ホテル行こよ」と誘ってみたが
「あんたなあ、ええ加減にしとけよ、いてまうぞ❗️❗️」と言われたそうだ。
それで田中くんは仕方なく別れたのだが
「ほんでな、それからな、恥ずかしゅうてNによう会わんねん。すまんけどなこれから一緒にC棟のNの部屋まで行って、お前がな、Nにまたおうてくれるか聞いてもらわれへんやろか?」てなことをおっしゃる。
「でもね、先輩❗️大文字山まで夜中に手を繋いで登ったのに『いてまうぞ❗️』てなことを言う女はろくなやつちゃいますで。もうやめときなはれ」
と忠告してみたものの田中くんは未練があるようなのだ。
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2021-11-12 19:28:00
今日から日曜まで、神戸古書会館で古本市、昼過ぎに行ってみた。
ここは阪急花隈の北側にある木造二階建ての会館で古本屋がゴミ屋であった時代(今も間違いなくゴミ屋なんだが、昔はより見えやすい形でゴミ屋だった)の名残を随所に見ることができる歴史的建造物だ。
古本は以前は屑鉄や新聞紙、段ボール、空き缶空き瓶などと同じ露天の空き地に集められていて、古本屋はそこに自転車やリヤカーで駆けつけて買い付けていた。
車なんか使わなかったから、本を集めてくる古書会館も広い道に面している必要などなかった。
神戸古書会館は国道から一本山側に入ったところにあって前の道はせいぜい一間ほどしかない。
さて、この神戸の古本市だが市内の有力な古本屋は参加していない。尼崎や、姫路、宝塚、加古川など周辺部に店を構えたりネット専業の古本屋ばかりだ。
この理由は地方の古本屋の店舗売りでは硬い本があまり売れないこと、ネット専業の古本屋でも客の顔を見ずに商売するのはストレスが溜まることなんかだろう。
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2021-11-11 19:51:00
今日は文楽劇場で「ひらかな盛衰記」の大津宿屋から逆櫓までを見た。
一階にあった喫茶店は閉店していて無料の休憩所になっている他、「飲み物は一階でお願いします。2階の劇場には持ち込めません」てな注意をしていた。
600人くらい収容できる劇場だが、客の入りは三分の一くらい。前の一等席にかなり客が詰めているが後ろの二等席はかなり空きが目立つ。
徳川時代の狂言はどれもこれも、われわれからすると非常識極まりないもので、子どもの人権など全くない。親の勝手な都合ですぐ殺されてしまう。
当然感情移入できるわけない。
ただ「ひらかな盛衰記」は珍しく幼児を亡くした祖父の辛さや怒りが丁寧に描いてあって、共感できる作品だ。
大津の宿屋で幼い子と33ヶ所参りをしていた権四郎は、たまたま木曾義仲の遺児を抱えた一行と隣り合わせ、夜中に捕手が踏み込んで混乱する中子どもを取り違えて義仲の遺児を連れて逃げる。
自分の子供は結局義仲の遺児と思われて捕手に殺されてしまうのだ。
やがて権四郎の家に女がやってきて、「実はお宅にいるのはうちの子どもなんです、すみませんがお返しください。あと申し上げにくいんですがお宅の子供さんは殺されてしまいました、もういくら嘆いても子どもは帰っきません、早くうちの子どもを返してね❗️」てなことを言うのだ。
この言い草を聞いて祖父は激怒して「お前んとこの子も殺してやる❗️❗️」と包丁を用意するんです。
ここんところはよくわかるよなあ。
そのあとは訳がわからないけど。
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2021-11-10 12:06:00
「ブラタモリ」でよく出演している新之助が「地形散歩のすすめ」を学芸出版社から出した。
その中で近所の寝屋川の旧地形の話も出ていて面白かった。
そもそも国土地理院のホームページを、見ると近世以降の旧河道や旧堤防が現在の地形図に重ねて見られる。
これを見ると現在の寝屋川は最近の開削であって、それ以前の河道は少し北側にあったことがわかる。
ただ、不思議なのは門真市と寝屋川市の境界は今の寝屋川の少し南側にある水路なんだよなあ。
私はてっきりこの水路が元の寝屋川で、幅が狭くて氾濫しやすいので新しく北側に今の寝屋川を開削したんだろうと思っていたが、全然違っていたわけだ。
元の寝屋川はスーパー「トップワールド」の前にある蛇行する幅が10メートルくらいある道路だった。
国土地理院によればこの寝屋川の堤防は北側にしかない。南側には作っていないので洪水の際は今の南水苑町に大量の水が流れ込んで調節する仕組みになっていたようだ。
北側にある木田の部落は輪中のような堤防でぐるりと囲まれていてそれなりに安全だった。
よくわからないコロナ騒動でわれわれの生活スタイルがかなり変わった。
京阪電車もかなり減便になったにもかかわらず、大して混んでない。
通販はどこも盛況で店舗での販売はますますうま味がなくなってきている。
通販しかやってない私が言うのもなんなんだが、長い人生合理的で便利な通販しかないのではヒマな時間を潰す機会が失われてしまう。
ネットで本はすぐに検索してできるし、注文したらあっという間に届くのだが、やはこともないのにそんなにスムーズにことが運んでも意味がないよなあ。
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2021-11-09 16:34:00
先月は天王寺さん、天神さんと知恩寺で大規模な古本市があった。
大阪の古本市は100円均一コーナーが各店店舗とは別に必ず設けてあるが、京都はそれをしない。
これは京都人の特有のナワバリ意識のなせる技だと思う。
100均は参加店舗から持ち寄って作るのだが計算はどんぶり勘定だ。
一応「うちは1500冊出しましたよってに」とか申告はするものの、会期中に本が不足してしまうこともある。
そうなると「すみませんが、100均に本を新たに出してもらえますか❓」と伝令みたいに担当者が店舗にやってきて出さざるを得なくなる。
また売り上げの計算もちゃんとやろうとしたらめんどくさい。
京都の人は他人との境目をすごく気にするからその曖昧さが嫌なのだ。
それはそうとコロナ騒動前とそれを経た今回の古本市に違いがあったのか❓という問題がある。
自粛生活中は家にいる時間が増えた。普段は顔を突き合わすこともない家族が居心地の悪さを感じながら長時間空間を共有することになり、そこかしこに置いてある意味のなさそうな本がストレスの原因になった模様だ。
古本屋が呼ばれて
「なんぼでもかまへんよって持っていんでや❗️」との御用命で以前に比べて相当な量の古本が流通することになった。
天神さんの古本市では戦前、明治の英和辞典、和英辞典、国語辞典などがたくさん出ていた。また昭和20年代から40年代の厚冊の大学入試問題集もいっぱい出ていた。
この手の本はあんまり見たことがなく、今までは大事に家に保管していたお客さんが処分したものだろう。
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