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古本屋日誌
勝海舟は幕末の英傑だとして、ドラマにも取り上げられるし、『海舟座談』とか『氷川清話』は文庫にもなってよく売れている。
例の江戸城無血開城だが、『氷川清話』の中で、戦火を交えることになれば江戸に多大な惨禍が及ぶことを危惧して、慎重に戦争を避けようとしていたことがわかる。
勝は単独で江戸まで談判に足を運んだ西郷隆盛が終始礼儀正しく、談判中も膝に手を置いて姿勢を崩さず、自らが勝者であることをおくびにも出さず、自分を立ててくれたと称賛している。
幕閣の要職にある勝からしたら、西郷なぞ取るに足らない身分の輩に過ぎないだろう。
そういう連中が反抗して、江戸城を明け渡せだの、将軍を切腹させろなど要求しているわけなんだから、とんでもない話だろう。
インドのセポイの乱は宗主国のイギリスがカースト制度の差別を軍隊では認めず、下のカーストの人達とも一緒に戦闘行為をさせようとしたところから起こった。
身分の低い連中などの一緒に作業するなど、絶対に嫌だ‼️というのが上位カーストの人々の思いだったのだ。
ところが勝海舟の寛容ぶりはなんなんだろう。
国際政治学者の高坂正堯が新潮選書から去年出した『歴史としての二十世紀』が評判だ。
高坂は1996年に死んでいて、この本はその6年前の1990年に行われた講演を活字に起こしたものだ。
この中で高坂は大東亜戦争について、ルーズヴェルトがドイツや日本に無条件降伏をあくまで求めたので、戦争が長引いたこと、
イギリスはバルカン半島に進行してドイツと戦うことを主張したが、アメリカはそれに応じず、そのため東欧諸国がソ連の支配下に入る羽目になってしまったことなどを挙げて、
アメリカには戦後の見取り図がなかったことを指摘している。
これは歴史から支配者が教訓をえるということであって、これに懲りたアメリカは後、ベトナム戦争に極めて積極的に乗り出していくわけだ。
また高坂は近代の戦争での歩兵戦についても興味深いことを論じている。
敵兵とぶつかるフロントでは重砲は役に立たないので、当初は歩兵はきちんと隊列をくみ、臆して逃げることのできない形で突撃していた。
(隣の戦友から逃げない意味で、あの北朝鮮が繰り返している、整然と隊列を組んで大きく足を上げて行進するやつは意味があるのだと高坂は指摘している)
しかしやがてそれでは損害が大きいこともあって、いくつかのグループに分けて兵隊を散らばらせて攻撃するように戦術の変化があったという。