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古本屋日誌
Amazonのサイトで販売していると、不思議な現象に気づく。
一つは単行本の値段が文庫本に比べて極めて低いことだ。
例えば大江健三郎の、講談社から出た「水死」なんだが単行本は400円くらいなのに、講談社文庫は2400円もする。
確かに文庫本は、コンパクトでふさぎにならないだろうが、表紙がへなへなして傷つきやすい、その点単行本は表紙もしっかりしているのに、安い。
古本屋は文庫が出てしまった単行本を売るのが大変かというと、そんなことはなく、古本市に出せば簡単に売れてしまう。これも不思議だ。
さらに不思議なのはシリーズになっていて何巻もある本はバラ売りのはすごく安いのに、揃いのセットになると、非常に高くなることだ。
例えばアース出版から出ている、あの梶原一騎の自伝は全8巻揃だと8000円くらいするが、バラのは安い。
同じことは新潮文庫の「谷内六郎展覧会」シリーズや岩波文庫の「近世風俗志」でも見られる。
確かに一冊ずついろんな古本屋に注文を出すのは手間なんだが、それでもパッと一回で注文が済む方が合理的だと判断する人が多いということだろう。(本当に合理的かどうかは、わからないが)
自転車の販売を手がける「ASAHI」が全国に「HELLOW cycling」なる電動自転車の基地局を設置している。
電動自転車を1時間程度利用すると500円ぐらいになる。
これはなだらかな坂がダラダラ続く立地では、とりわけ快適なサイクル生活を、楽しめる。
例えば京都市の左京区だ。
東一条から今出川通を銀閣寺方面に上がる道は極めてなだらかな坂で、上りは楽だし、銀閣寺からの帰りは大して車も通らないから、滑走する楽しみが味わえる。
大阪なら千里山はあまりにキツすぎるが、緑地公園から阪神高速道路にかけてのダラダラ坂なら同じような楽しみを感じられる。
老後の楽しみのひとつにこの電動自転車で、なだらかな坂道が長く続く立地を車が少ない状態で走ることが加えられよう。
バファローズが連覇を達成した。
中嶋監督が宙に舞うシーンをテレビで見た。
そのあとオーナーの宮内も胴上げされているけど、彼は87歳というかなりの高齢で、これは胴上げされた最高齢てな感じでギネス記録になるのではなかろうか。
バファローズは勝つべき試合はきちんと勝ってきたからこの優勝があるわけだ。
優勝が決まった昨日の試合でも5回の攻撃が見事だった。
ノーアウト1、2塁で代打に出た山足がしきりに田中の球をバントしようとするが、田中も外角に変化球を投げたり、真ん中にフォークを投げたりと工夫していたが、結局フォークを見極めて四球を選んだ。
そして次の伏見は田中が打者を強振させ、ダブルプレーに打ち取ろうと外角に投げたスライダーを、見透かしたようにライトへ流し打った。
ところで大阪ドームの混み具合なんだが、先日の優勝を目前にしたイーグルス戦やマーリンズ戦でもかなり空席があって、すぐにでも観戦できる状態だった。
これは一つには大阪ドームが欠陥球場であるためだ。
外野のフェンスが高く切り立ち、また同時に外野スタンドもスペースが取れておらず、垂直に競り上がっているために、ちょっと大きな外野飛球の行方がまるでわからずイライラさせられるのだ。
また大阪の人間の性癖からと説明できよう。
戦力が整わず、どう見ても負けてしまうだろうタイガースのようなバカげた弱小チームを贔屓にするのが好きだという人がかなりいるのだ。
向田邦子は昭和の凡人たちにインタビューしてそのルポを書いたことがある。
『眠る盃』に収めてある「男性鑑賞法」だ。
凡人の波風多い人生を天才作家がどう描くのか、興味深いよなあ。
尾崎正志という版画の摺師の回がある。こんな具合だ。
「しかし、彼の経歴を聞くと、決して同じことの繰り返しはない。
父親が趣味で版画をやっていたこともあり、幼い時から馴染んでいたが、芸大の三次入試を前に、事業家だった父が倒産。
上京して板金工、牛乳配達をしながら、ほとんど独学で摺りの技術をマスター。
四十人中一人の難関を突破して文化庁の留学生としてフランスに一年留学。
十九歳で結婚。二十四歳で離婚。
帰国して工房をつくる。仕事は順調ー。
ナミの若者の十年分を五年でやってのけている。
彼は無駄なレースをしていない。
大学や就職という、他人との競争をやめて、自分だけのレースを、自分との人生競走、一生の仕事に選んだ『色』との闘いに賭けたのだ。
弱い動物ほど群れをなして生きる。
大学の卒業名簿や肩を組んで人生の応援歌を合唱する安らぎを捨てた男の自信といさぎよさが素敵である。
それにしても、白系ロシアの血が混じるという色白の端正な横顔に、少年の無邪気と老成が同居しているのはどうしてだろう。
二十五歳にして、自分の中に眠る才能の鉱脈を見つけてしまった、カンの鋭すぎる人間の持っているさびしさと虚しさなのだろうか。」
初めに簡単に略歴を述べて、後は繰り返し自分の思いをたたみかける。彼の人生は自分との闘いだと。
そしてわれわれ、つまりごく普通の凡人と比べて分析をする。
学歴を得て安心したり、学生時代に友人とモラトリアムを楽しむみたいなレベルではないんだと。
ただ、最後の顔の話は向田邦子の男の好みを吐露したものだろう。
昨日梅田のロフトの地下にあった「テアトル梅田」が閉館した。
30年くらいにわたってマイナーな映画、自主制作映画も含めて上映してきた。俺は西村昭五郎の『競輪上人行状記』をみたことがある。
いつも思うんだが、映画館のスクリーンは大きすぎやしないか❓
ミニシアターにしても人の顔は何倍にも拡大されていて不自然だ。
また真っ暗な中で上映するから、目が疲れる。
その上最大の問題点は、つまらない映画でも最後まで、つまり2時間も下手したら3時間もみなければならないことだ。(上映前の、どうでもいい、10分にも及ぶコマーシャルも不快ではある)
もちろん席を蹴って出てくればいいんだろうが、1500円からする料金がもったいないというところもある。
また「もう少ししたらよくなるかもしれない」などという未練にとらわれたり、出て行くときに横並びの観客に迷惑かけるのが嫌だったりもするのが、ますます気に入らない。
だから老後の楽しみとしての映画は家でテレビで見たらいいということだ。
冷静に考えれば小説も映画も大半はゴミだ。
この社会では才能を持った人がいい作品を作るということは基本的にはない。
そうではなくて、小説を読みたい人がいて、大きな需要があるので、それに応えて工場でヨーグルトを機械が流作業で作るように小説が生まれるのだ。
映画も全くおんなじ話で、小説読者の数十倍の需要があるので、とにかく適当にどんどん制作されるということだ。
その点を踏まえるとBSやWOWOWで視聴すれば、くだらないものは直ちに消せばいいだけで、要らんストレスもないし、金銭的負担も少ない。
用事を思い出せば、ちょっと止めて、済ませてからまた見ることができる。
見る前に、好みの酒やあてを用意しておけば、生ビールのあてがポップコーンくらいしかないという貧相極まりない映画館など牢獄と変わらなく思えてくるのだ。