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古本屋日誌

2019-10-05 11:08:00

枚方市教育委員会が先ごろ出した「禁野火薬庫」には後半に当時の主要新聞の記事が収めてあり、大阪朝日や大阪毎日と並んで「大阪時事新報」のもある。

昭和14年に発生した火薬庫の大爆発は近隣住民には寝耳に水であり、中宮や禁野の部落は大半の住宅が焼失したのみならず100人に近い死者まで出している。

当然陸軍への怒りや不満が高まっておかしくないし、明治時代にやはり爆発事故があった際には移転を要求する運動が行われたことも知られている。

ところが朝日や毎日、「時事新報」を見ても陸軍への責任を追及したり、不満を漏らす記事は一切ない。むしろ被害者の方が高槻町など損害賠償を町として辞退することを決議するなど異常な対応を取ったことが、褒め称えられている。また爆発についての流言飛語が広まったとして、陸軍は「聖戦遂行時の銃後の精神涵養をやり直さなければならない」と発言したことが何度も報じられている。

ただ「大阪時事新報」には大阪府警察の爆発後の対応を批判する記事が載っている。昼過ぎに爆発が起こり黒煙が天を沖する勢いで吹き出し、断続的に爆発音も響き、空からは爆弾や焼夷弾の破片が舞い落ちているにもかかわらず、警察は「事態がよくわからない」として報道するのを禁止した、これはために一層流言飛語を生んで大衆を右往左往させることにつながってしまったというのだ。「誰がどう見ても枚方の火薬庫で大火災が起こっているのは明らかなのに、何も知らせないために疑心暗鬼を生んでしまった」と指摘する。その上で記事の初めにはこの大火災であれこれあらぬ噂が流れたことは大問題で今後正していかないといけないと主張することは忘れていない。

まああれですね、まともな批判もできないようなバカバカしい世の中は異常ですな。こんな世界に生きていなくて本当に良かったとは思う。しかし1939年はシナとの戦争も2年目となって戦死者もたくさん出ていて、その上で戦争は聖戦だとされていたのだから、今とは全く違う。国民全体がソルジャーであった時代なんだから言論に統制が加えられたり、贅沢が禁止されたりするのは当たり前だ。そうでないと戦争などできるわけがない。

 


2019-10-04 08:40:00

京阪電車の萱島駅はうちの最寄駅で毎日のように利用している。誰もが不思議に思うことなんだが大阪方面のホームは巨大で八間くらい、つまり16メートルくらいある。京都行きのホームはこの半分くらいでこれが通常サイズであることを思えばその倍はあるんだから不思議だ。

確かに大阪行きは京都行きのに比べたら乗降客は多いとは言えるが倍にしなければならないほどの差はない。急行停車の守口市は大阪行きも京都行きも同じサイズだし、特急が停止する京橋駅も少し守口より大きい程度で萱島のような規模はない。京橋などJRに乗り換える客やらモールに出向く客やらでごった返していることはゆうを待たない。

まああれですね、これはご神木ゆえだと信じたい。萱島駅の大阪行きホームは中央に樹齢700年を優にこすと讃えられているクスの巨木を取り込んでいますね。場所はホームの真ん中で、通常サイズの規模にしてしまうと、ご神木のあたりに普通電車の線路を敷設せねばならず、それではいくら何でもね問題があります。そのためにホームを大きくして真ん中にご神木を取り込んで普通電車の線路を南側に広げることになったのだと思いたい。

まああれですね、線路をもう少し北側に敷設したらご神木にかかることなくスムーズに通せたはずなのに、それはしなかったわけですから、神を尊んでいるのかな、なみしているのかようわからんところではある。

 


2019-10-03 09:31:00

昨日の深夜NHKで8月にBSでやった特番の再放送があり、朝鮮戦争での日本の関与が掃海や砲弾の生産などの後方支援にとどまらず戦闘にも加わっていたとするものだ。

小倉ベースなどで働いていた日本人を「通訳」として朝鮮に連れて行った。当時朝鮮半島は長らくの植民地支配で日本語を話す人も多く、地名なども日本語表記だったので英語の堪能なベースの日本人を連れて行くことは必須だったという。

現地では通訳の他に炊事などを担当していたがテジュンなどでは北朝鮮の部隊に北と南から挟み撃ちにされてやむなく日本兵も銃をとって戦った、その数は80人くらいにはなる。死んだ兵隊もいた。北朝鮮やソ連は「日本兵が戦闘に加わっている、これは憲法にも違反している」と激しく批判したし、国会も紛糾したが、日本政府は頑強に「そんな事実はない」と否定した。

まああれですね、日本兵が戦闘に参加とNHKは主張しているが、そんなことはなく通訳や炊事当番で仕方なく米軍について行ったら戦況が悪化して殺されそうになり、やむなく発砲しただけの話でした。NHKは騒ぎすぎですね。そんなもん殺されそうになったら誰でも必死で戦うに決まっている。普通に考えたらアメリカが無理やり若い日本人を連行したということだ。

吉田茂にしたら、アメリカは自分の都合で自衛権まで奪おうとするような非常識な「日本国憲法」を押し付けたのみならず、朝鮮戦争が始まり風雲急をつげるようになると手のひらを返して再軍備するように求めてくるなど、ナショナリストとして到底容認できなかったわけです。 

でも知りたいのは吉田茂が単にナショナリストとして米軍の再軍備要請を拒絶したのか、それとも当時の極東情勢を踏まえて「アメリカはそう簡単にソ連や中国には勝てない、そしたら日本はある程度中立を守った方が得に違いない」と冷静に為政者としての判断を下したのかというところだ。


2019-10-02 16:12:00

1939年の3月に枚方で起きた禁野火薬庫の爆発事件は100人近い死者と多大な損害を近隣市町村に与えたがこの度枚方市教育委員会から、この場に居合わせた小野清彦の手記が刊行となった。

爆弾や焼夷弾が次々に誘爆して炸裂し、近隣に爆弾やその破片が降り注ぐ描写はおそろしいし、とんでもない話だが中でもいちにちめの爆発で歩いて香里園の聖母学院まで避難して一夜を過ごし翌日は「もう大丈夫だから、帰宅してよい」と言われて「居住者証」なる立入禁止区域に入れる証明書を持って枚方公園駅近くの自宅に小野氏が帰ったところがとりわけ興味深い。

破片が飛び込んで窓ガラスは粉々にはなっていたが、ともかく火災には巻き込まれておらず、家族も無事でやれやれと家の片付けをしていたら「何ぼやぼやしとんねや❗️❗️11時に大爆発が起きて三里四方が吹き飛ばされるゆうてるんやで、とっととにげんかいな‼️」と怒られて這々の体で南へ向かったら案にたがわず大爆発が起こったというのだ。

小野氏は禁野火薬庫のある山田村は以前から小作争議が頻発していたところでそこへ降ってわいたのが火薬庫の増設計画で、地主はこれ幸いと売り抜け、小作は小作で給与の高い火薬庫に仕事に行っていて、両者とも金、金金ばかりで、まあ今回の爆発は因果応報だなどと書いている。

野次馬の話は面白くて1回目の爆発の後燃え盛る枚方方面を見ようと淀川堤防に町会議員の一人が上ってどんどん近づいて行ったら降ってきた砲弾に当たって死んだ。これも殉職扱いとなったが小野氏は「野次馬の名誉職」とでもいうほかないと嘲笑っている。

爆発の後損害額を算定して申告するようにと陸軍から通達があり、400万くらいになった。「これは高すぎる」とのことで再審査を軍がやり、だいぶ削減されでトータルでは120万くらいしか補償はなかったという。二キロ以上離れているものら損害額が30円に満たないものは遠慮してくれとの通知もあったそうだ。このやり取りを記した小野氏は「欲ボケで課題に見積もったり、中宮の資産家など7万円になると請求したが十分の1に減額されて『陸軍を相手に訴訟を起こす』と息巻いて、見苦しい限りだ」と書いている。

まああれですね当時ということもあって爆発を引き起こした、一番悪い陸軍への批判はないな。逆に被害者の方を「因果応報」とか「欲ボケ」とか言って責めるんだからよくわからんな。


2019-10-01 11:30:00

小谷野敦の切れ味良い、言いたい放題の対談本が二見書房から出た。

今回は川端賞作家の小池昌代とのやりとりで例によって真っ当な小池と異端の小谷野のやりとりが面白い。小池が「やっぱり結婚と恋愛は別で結婚となるといろいろ考えますよね」と至極当たり前の話を振っても小谷野は「私は恋愛も結婚できるかどうかをまず考える、高校の頃竹下景子を好きになった時も結婚できるかな?と考えて、これは無理だなと思った」という。

小谷野は阪大の助教授だったので5年間大阪に住んでいたと言い、「ただまあ大阪は嫌でした、震災の時にもいたんですが、喫茶店のおばさんが『命より金儲けの方が大事や』と言うんですよ」

まあそれ以外にも阪神尼崎はホテルから少し出たら「お兄さん、お兄さん、ええ子おまっせ」と寄ってくるとか、難波の「覗き部屋」に千円で上がったら真っ暗な中に連れていかれて女の子が来てろうそくを立てて「あの‥‥‥追加で7000円もらいます」と言われ怖いから払うと「このあと来ますから」と言われて暗い中取り残され怖くなって逃げ出したことなどを小谷野は語っている。

小池昌代は関西は言葉が曲線で直線的なもの東京の言葉に比べてリズムがあり音楽だ、魅せられると言っているのにね〜〜

まああれですね、命より金儲けの方が大事というのは命がけで仕事はせなあかんねやという職業倫理みたいなものだと解釈したいな。楽してもうけたらあかんねや、汗水垂らして働いて働いてその中に値打ちがあるんやということですね。

難波で怖い目に遭ったというのはうなずけますな。ぼったくりのデタラメな店がいっぱいありますからね。

鰻谷で雀荘をやってる友人は子供の頃から遊びなれていて3人で宗右衛門町をぶらついてキャッチの女が「イャー先生〜〜お顔みてーしまへなんだわ〜〜この券持って来てなー」と言ってくるので「ここはあれや、割引券もあるよって、行こか」と雑居ビルのスナックに上がり込んでビールと水割りをちょっと飲んで1万円。

私は「高いね〜〜あかんのちゃう」と思いましたが友人は「さあて〜〜次いこか❗️❗️」でした。