Welcome
古本屋日誌
今日は出荷してから、元町の神戸古書会館に出向いた。
金、土、日の3日古本市が開かれる。本の運搬を日能研関西(中学受験の進学塾)で社会を教えていた先輩に頼んで一緒にやってもらう。
先輩は定年で64で退職してから、国民年金の5万程度でやりくりしていたが、さすがにそれでは首が回らなくなってきて、いろいろ仕事を探している。
住んでるマンションが天六の天神橋筋商店街の中にあって交通至便の2DK、家賃が9万というのがよくわからない。
独り身なわけで、使わない部屋もあるし、なぜもっと安い部屋に宿替えしないのか不思議ではある。
先輩はなかなか器用な人で、大概のことはちょっと見てコツを掴んでそつなくできてしまう。それがあるから、本人も自分の力を過信してしまう問題があったようだ。
(まあ、金はないけど、なんとかなるだろう。これまでもそうだったし、とりあえず今のままでいこう)てな感じだった。
しかしこのところの諸色高騰でさすがに困ることになってきた。
お米の値段が高騰しているので、去年からほとんど食べず、代わりにパスタやうどんを主食にしているそうで、「3キロくらい痩せて、押し入れに突っ込んであった昔はいてたジーパンが履けるようになった」
家庭教師なんかがあればいいのだが、先輩は社会が専門なので、需要が少ない。
夜間に駅を掃除する仕事は15000円くらいになってなかなか魅力的なのだが、応募しても落とされるという。
やはり年齢(67だ)が問題なんだろう。
マンション管理の仕事で、朝6時から9時くらいまで、掃除をするのがあるのだが、3000円くらいにしかならないそうだ。
他に便利屋のような仕事があって、冷蔵庫を買い替えるので、三階から階段で古いのを下ろす仕事で1時間くらいで終わるのだが、交通費込みで6000円だという。
世間には不器用な人がいて、なんでそんな役回りを自分から買ってやってるんだろうと不思議に思うことがある。
変に学歴がある連中もそうで、俺は数年京都大学の熊野寮に住んでいたが、大半の京大生はバカで怠惰だった。
とりわけ、金沢から来ていた法学部のAというやつは頭は悪いし、気弱でナヨナヨしてるおかしなやつで、ただルックスは優男のイケメンで、普通にやってれば女もほっとかないのに、勉強も仕事もする気がなくダラダラ自堕落な生活を送っていた。
1996年に関西書院から出た田辺明雄の『永遠の妻』という自伝風の小説を読んだんだが、著者の不器用な生活ぶりにも呆れた。
この人は大阪大学文学部の大学院を中退して、その後住之江ボートの警備員の仕事をアルバイトで長年やっていた。
その前に自分で塾を経営していたのだが、やる気が起きず潰してしまい、結局そこに落ち着いたのだ。
確かに文学部は仕事の範囲が限られるかもしれないが、昭和の時代なんだから塾や予備校は勃興期で、探せばいくらでもいい条件のところが見つかったはずだ。
作者は文学に取り憑かれて、創作意欲に燃えていたようだが、それでも時間の余裕が取れる仕事はある。東京に出たら雑誌社の仕事なんかたくさんあった。
のちに田辺は、真山青果の研究書で毎日出版文化賞を受賞し、その表彰や江藤淳らとの座談会に出席するため、住之江ボートの仕事を休もうとしたのだが、上司はがんとして受け付けず、休みを認めないため、一悶着起きる。
結局は作者は許可のないまま東京に出向いて、座談会に出るのだが、帰阪して上から叱責され、始末書を書く羽目になる。
毎日出版文化賞は、かなり有名なものだし、評論家の江藤淳は漱石の研究で知られている。
晩年、日本は無条件降伏などしていないなどと珍妙なことを言い出して、反米に血道を上げたおかしな人ではあるが、著名人であることは間違いない。
それなのに、住之江ボートの、作者の上司の課長や部長はそういう文化的なステータスにはなんらの価値も認めておらず、ひたすら叱責してくるのだから、馬鹿を相手にするのは大変だよね。
今日も暑い‼️
出荷をすませて、のんびりして1時くらいに枚方に出て、予約していた野村證券に出向いて投信の相談をした。
相談はすぐ終わり2時半くらいに、鏡張りのビル、Tサイトに出向いて、一階にあるスタバを覗いたらかなり人がいた。
ここは出入り口に近い上に、ビルの外からオーダーしてくる持ち帰り客に対応するため、受け渡しカウンターのところはオープンになっているため、容赦なく熱気が入り込んできて涼しくない。
それで普段はあまり客がいないのだけれど、今日はかなり立て込んでいる。
3階にはもっと広いスタバがあって、もちろんここは8割方うまっていて、レジには受付待ちの客が列になっている。
ところがそのすぐ下の階には「ココア キャット」というくろねこさんを看板にした、広い喫茶店があって、パスタもあるし、アイスクリームやいろんな飲み物も揃っている。
それに加えて、くろねこさんのカンカンに入ったチョコーレート、猫さんのマグカップなんかのファンシーグッズも買うことができるのだ。
ところが広い店内に客はわしを入れて4人。なんでそんなにスタバに行きたがるのか、よくわからない。
中川右介が出した『百年の甲子園』は、高校野球とタイガースの歴史を合わせてチェックできる便利な本だ。
1937年秋と38年の春をタイガースは連覇し、シーズン終了後行われた年間優勝決定シリーズでもジャイアンツを破り2連覇を達成している。
これは知っていたが、中川によれば 当初は年間優勝を達成したタイガースがその年度の優勝チームとカウントしていたが、それではジャイアンツの優勝回数が2回減ってしまうために、読売が異を唱えて、結局春と秋の優勝を別々にカウントすることになったという。
それ以外にも景浦将が打者として活躍し、首位打者と打点王のタイトルを獲得しているのに加えて、投手としても最優秀防御率のタイトルを取っていることは知らなかったな。
また藤村富美男も二刀流で、中川の書く通り「二刀流は大谷だけではない」。
景浦については玉木正之の『プロ野球大事典』でライトの守備につきながら、連日動かず飛球を取らなかったことが記してあって、監督は理由は不明と記しているとのことで、虫のいどころが悪かったら、そういうサボタージュもあったようだ。
さて、この『甲子園百年』には、1970年のペナントレースでも、秋口ジャイアンツとのマッチレースになり、興味深い話が載っている。
江夏か先発でツーアウトながら満塁と攻め込まれて、打者は王、ツーナッシングと追い込んで外角低めに投げ込んだ球に「王は対応することが出来なかった」が判定はボール。これに江夏と監督兼任の村山が激昂して審判に詰め寄るがもちろん判定は覆らない。
その後江夏は意地になって、3球続けて同じコースに投げ込んだがいずれもホールと判定されて押し出しになってしまった。
こういうバカバカしい、わがままなプレーも川上哲治が指揮していたジャイアンツでは考えられないことだから、タイガースはかっこいいよねと考えるファンを一定数獲得していったのだろう。
中川はスポーツのみならず、芸能、歴史なんかのジャンルでも該博な知識を活かして総覧的な本を書いていて、誠に便利でありがたい方だ。
昨日は甲子園でジャイアンツ戦を見た。タイガースは首位に立っていて、また4連勝中なので、ショップでトラの大きな絵が入ったシャツをこうた。(3300円)
友人に取ってもらったグリーンシートの7段というバックネット裏のいい席で、キャッチャーミットに響く音や、バットの快音も聞こえてくる。
先発の伊原は調子が今ひとつで球数も多くて、いいあたりをされていたが、なんとか5回までは粘って2失点に抑えていた。同点に追いついて、9回裏に向こうのストッパーを打ち砕いて勝ったのには驚いた。
梶原一騎の原作の『巨人の星』には花形モータースの御曹司で、二枚目の満がタイガースに入って活躍していて、訳のわからない特訓を繰り返してジャイアンツに入る星飛雄馬と全然違うカッコよさだ。
『マガジン』に連載中の1970年代初頭のタイガースはよくわからない球団だった。
監督の村山が、江夏に1000個目の三振を王から取らせるために、中1日で先発するのを認めてしまう。
その試合はもちろん江夏は全然ダメで王に打たれてしまうが、それでも村山は交代させず続投させて、あくまで王から三振を取らせようとするのだ。勝敗なんかより、もっと意味のあることがあるという考えなのかね。確かにそれをよしとし、カッコいいやない、とする価値観もあるのだろう。