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古本屋日誌
うちは通販専門になっているので、手違いが起きてしまうことが稀にある。
正月過ぎにお客さんからメールをいただいたのだが「私の注文した本を追跡したら、違うところに配達されてしまってました。調査をお願いします」という内容だ。
少し高めの本は、郵便局のクリックポストで配送をお願いしているのだが、それにはもれなく追跡番号が付されている。
このお客さんはちくま文庫の『現代民話考』シリーズのうちの3冊をご注文になっていて、静岡県にお住まいなのだが、確かに追跡番号をスマホから辿ってみたら福岡県のある場所に配達済みになっている。
どうも、どなたかと間違えて出してしまったようなのだ。
早速クリックポストのマイページにアクセスして、ご指摘いただいた福岡のご住所を調べてみたが、該当するものは見当たらない。
ということは、少し安い本ということになるので、送付済みの本の一覧にアクセスして、送付先をチェックするのだが、これはクリックポストのように容易に客の住所には辿り着けないシステムになっている。
既に発送した本は、確かに一覧になってはいる。
しかし客の住所は、そのウインドからはわからなくなっていて、ひとつひとつ別ウインドを開いていかないといけない。
また発送済みの住所、電話番号などの個人情報はすぐに消去するようになっていて、わずかに郵便番号と名前が確認できるだけなのだ。
それで福岡の該当の郵便番号とお名前を覚えて、一つ一つ確認していく面倒な作業を繰り返すことになった。
15分ぐらいかかってようやく該当の方を探し当てることができた。その方にメールでご連絡差し上げて事情を説明申し上げてことなきをえた。
お客さんにとっては要らない本を送りつけられて、また着払いで返送するのは随分な手間で、申し訳ないことだ。
他にもクリックポストの画面にお客さんの住所をコピーして貼り付ける際に、例えば「浜松市」とあるところなのに、うまくマウスが端まで動かず、「松市」となってしまうことがある。
これに気づかず出してしまったことがあって、「松市」以外のデーターは郵便番号から番地まで全て正確なのに「宛先が見当たりません」のスタンプがおされて返送されてくる。
今の時期はお客さんからの買取依頼が多くて、古本屋は忙しいのだが、ほとんどの業者は零細だから、いろんな作業を同時にこなす能力がない。
客のお宅まで買取に午前中に行くと、マンションの三階だったりして、エレベーターもなく、1人で大量の本を下まで下ろす羽目になって、クタクタになってしまう。
その後車で倉庫に運び込み、値付けをして店に並べたり、ネットにアップするわけだが、それが滞る。
店に本を並べたいのだが、既に本棚はいっぱいだから、本が売れてくれないとどうしょうもない。
もちろん今刺さっている本を引き抜いて、新しい本と入れ替えたらいいのだろうが、その労力を考えるとやる気にならない。
あるいは思い切ってバーゲンをすることも考える、全て半額にするとかなんだが、普段から店にはあまりお客が来ないから、周知するのが難しい。
ネットやSNSを使っても、もしそれでも客が少なかったら、プライドにかかわるような気がして踏み切れない。
ということで、客からたくさん買取があって在庫が積み上がっているにもかかわらず、店内の本は変わり映えしないことになりがちだ。
もうしばらくしたら大規模な古本まつりが各所で開催の運びとなるので、そこに持ち込んだ方が体が楽となってしまう。
中学受験の進学塾、日能研関西で2000年に起きた過労死事件のことだ。
算数課のリーダーだった酒井の授業について考えている。
彼が初めて塾の仕事を始めたのは1985年のことで、当初京阪電車の丹波橋駅近くにあった「桃の木スタディ」という小さな塾だった。
まだ熊野寮に住む学生だった。
寮生の中には既に予備校で教えている学生もいたのだが、酒井は高校生や浪人生相手ではなく、小中学生相手の塾を最初から選んでいた。要するに数学の力にややコンプレックスがあったからで、そういう慎重できっちりした面があったわけだ。
その当時熊野寮は、その年の秋に予定されていた成田空港をめぐる闘争に取り組んでいたが、酒井はそれとともに柏木さんという障害者の介護や聖護院近くのマンションに住んでいた障害のある小学生の学校への送り迎えにも取り組んでいた。
成田空港の闘争については、空港の第三ゲート近くにある三里塚第一公園に武装して集合して、空港に突入する計画だった。
これは学生のある部分は、空港反対運動ではなく、反体制運動と考えて、取り組んでいて、つまりは日本の支配体制を転覆することを考えているわけだ。(反対同盟の人たちはそうは思ってない人も当然いるだろうけどね)
ただ酒井はそうではなく、身体を張って国家の圧力と闘う農民に共感していた、と思う。
柏木さんは車椅子生活なんだが、「自立して生活したい」と考えて、親なんかに頼らず、学生などのボランティアの支えで、京都駅近くのマンションに1人住まいしていた。
小学生の方は足に障害があって、車椅子なんだが、養護学級には入らず、学区の第三錦林小学校の普通学級に入っていたのだが、その送り迎えを学生などが支援していたのだ。
俺なんかはどうしても人手が足りない時にスポットで入るくらいだったが、酒井は真面目かつ真剣に取り組んでいた。
ハンディをかかえながらも、頑張っていきたい人を支えたい気持ちがあったわけだよ。
このへんは日能研関西での授業にも生かされていたはずで、真面目に勉強に取り組みたい姿勢はあるが、要領が悪い子どもや、手を束ねて悩んでいる子どもを目にしたらなんとかしてやりたい気持ちが溢れてきたのだろう。
それにしても、この年の秋、10月20日に酒井も第一公園に集合したのだが、集会とはいうはものの、それは表向きだけで、実際にはトラックを使って鉄パイプや石材、丸太などを運び込んでいて、阻止線を張っている機動隊を蹴散らして空港に向かう段取りになっていた。
集まった全員がそういう、面白けれど危険な取り組みをしなければならないわけではなく、酒井の話では「『どないする❓空港に向かうか❓やめとくんやったら、公園の中におったらええから』と聞かれた」
「迷ったけど、『行くよ』と答えて竹竿をもらった」というのだが、公園から出て交差点の方に進もうとしても、機動隊が打ってくる大量の催涙ガスに目をやられて、涙は止まらないし、咳き込むしで、どうとも堪らなくなって、近所の民家の庭に侵入して動かなくなっていたところに、機動隊員がやってきて逮捕された。
「マルキは『ラッキーやったな』ゆうてたよ」とのことで、逮捕時に殴られたり、蹴られたりはなかった。
先月末で北野天満宮近くにあった町屋の古本屋「はんのき」が閉店した。2009年のオープンなので15年くらいやっていたわけだから立派なものだ。
築100年以上けみしていそうな古民家を改装し、土間だけでなく、畳敷の部屋にも押し入れにも本棚を並べて壮観だった。
メインは文学書なんだが、マンガ、食の本、人文書なんかも置いてあった。
閉店の理由はわからないが、屋根の補修だとか、瓦のズレだとか、湯沸かし器の取り替えとか、そういうメンテナンス面の負担が大きくなってきたからではないかと勝手に推測している。
木造建築の耐用年数は長いが、当然ちょこちょこ手を入れていかなければならない。
補修していけば、まだまだ現役なんだが、屋根の補修にしても50万からの入費となるから、大変だと思う。
金曜日の晩遅くから体調がすぐれない。下痢と吐き気があって、寝付けない。
土曜は昼くらいまで布団の中にいて、ようやく少しましになり、仕事に出向いた。
金曜に低温殺菌牛乳の飲み残し(おこたの上に出しっぱなしにしていた)のを飲んだのが原因のようで、土曜も身体にだるさが残った。