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古本屋日誌
今日も早起きして、10時過ぎに西宮えびすに行ってみた。
初日の本の並びがとてもよかったので3日目の今日もつられてしまったのだ。
現在社殿は修復中で、参拝は仮のお堂でやるのだが、えべっさん筋から境内に入ると松林に沿って本殿に続く道にえらい行列ができている。
聞いてみたら「砂持ち神事やがな、本殿修復の寄付をしたおしとさんが招待されてますのや」とのことだ。
砂持ちといえば徳川時代から続く庶民の娯楽で、寺社の新改築時に名々が普請に要る道具やらを持ち寄って地面をならしたり、穴を掘ったりするやつだ。
行列を眺めてみると子どもは並んでいないが、スコップを抱えてる人もいないし、砂を持ち込もうとしてる人もいない。
俺が思うにはすでに普請は終わっていて、寄付した人に本殿を内覧してもらうお祝いの会みたいなものではなかろうか。
それ以外にも七五三で来ている子供連れも多くて、ポテトスティックなんかの露店もあって境内は賑わっている。
ただ今日は昨日以上に気温が低く、風もそこそこ吹いているので、体感は冬本番という感じで、テントの中で本を読んでいると、次第にゾワッと芯から冷えてくる。古本屋の店主たちは、それこそ厳冬期のスキーヤーみたいに厚着の上に毛糸の帽子もかぶって大変そうだ。
俺の好みは文芸書や面白い文庫本なので、並んでいるたくさんの古本屋の中では「空き瓶ブックス」と「池崎書店」が魅力的だった。
空き瓶ブックスは、京都の北野天満宮の近所にある「町屋古本はんのき」の構成メンバーだ。(ここは3人の店主の共同経営なのだそうだ)
この古本屋は築100年はゆうにたっている京町家を改装して営業している。
スライド式の重々しい戸を開けて入るとすぐに土間が奥まで続いていて、たくさんの均一本が並んでいる。
しかし驚かされるのは土間のすぐ右に、だいぶ高くなって畳部屋が二つ並んでいて、そこにぎっしり詰まった本棚が並べてあるのだ。
客は靴を脱いで上らしていただいて本を選ぶシステムなのだ。
池崎書店は泉佐野にある、店舗は構えず、古本まつりに出店したり、通販をされたりしている古本屋だ。
店主は博学で、文学や音楽に通じていて、毎日ブログを書いておられる。
昨日NHKのBSで11回目の『いけずな京都旅』が放送された。
今回は京都が色を駆使して魅力的な街となっている話だ。
料亭の京料理や草木染めの話が出ていて、それは高価なものなんだから、京都であろうが、大阪であろうが何も変わらないと思うけどね。
例によって井上章一先生が登場されて、今回は四条大橋の東詰めにそびえる「レストラン菊水」屋上でビアガーデンを楽しんでおられた。(撮影は9月のようだ)
その屋上から、四条通を2005年の山鉾巡行の際に撮った大きなパネルを手にして「今の景色と違うところがわかりますか❓」という。
屋上から四条通を、見下ろしたら、両側に並ぶビル群から張り出した広告が無くなっているのが見てとれた。
「昔の写真では、ビルの広告塔が邪魔になって、せっかくの山鉾が目立たないでしょ。それで2007年に新しい景観条例が出来て、今はずいぶんスッキリしたでしょ」
井上先生は自慢げにおっしゃっているのだが、俺は違和感があるな。
これまで先生は様々な著書で京都の現在の景観を批判してこられた。
イタリアが1943年に早くも降伏したのはローマが連合国に爆撃されて古くからの建物に被害が出たからだ。
それに対して日本はいくら爆撃で壊されても構わないという姿勢だった。
例えば坂口安吾が、戦時下に、法隆寺だってなんだって焼けても構わない、堕ちきるところから、新しい文化が生まれると主張していたことも、井上章一先生は批判されていた。
「それはつまりは空襲なんか大したことないんだ、という話であって戦争に協力しようという姿勢がありありと見える」
京都が基本的に戦災を免れて、古い街並みを保てたにもかかわらず、それらをさっさと葬り去って、東京や大阪と変わらないどこにでもある街並みになってしまったことを、井上先生は、京都の人たちが結局カネに目が眩んで土地を売り、開発してビルやマンションに変えてしまったからだ、とアレックスカーのごとく批判しておられた。
それなのに、景観条例で少しビル群がすっきりした程度のことを評価して、喜ぶとはいったいどうされたんだろう。
今日から西宮えびす神社で古本市。
早速朝から行ってみた。
今回で2回目。この神社はもちろん商売繁盛の本家本元であるのだが、元旦の福男選びでも有名だ。
今宮えびすや寝屋川えびすに比べて敷地は広大で、太鼓橋のかかる庭園や、茶店、松林などがある。折から境内では菊花展も開催中だ。
今年は17の古本屋が参加していて、それぞれ白いテントをはり、特色ある本が並んでいる。レジは兵庫の古本屋は集合レジでそれ以外の古本屋は個別の会計となっていた。
上新庄に店を構える小町書店は例の1冊300円、5冊800円で大量の岩波文庫、講談社学術文庫、ちくま文庫、あれやこれやの単行本、雑誌を売っている。
尼崎の図研は様々な紙ものに加えてタイガースのキャップ各種(500円で安い)、たくさんのマッチラベルが目を引いた。
池崎書店は、おくだ書店と並んでテントを構えていて、いつも通り様々な文庫本に加えて、先ごろ亡くなった楳図かずおの漫画、谷川俊太郎の詩集やエッセイもたくさんあった。
亡くなると、なぜか読みたくなるもので、そういうタイムリーな作品をたちどころに用意できるわけだから、池崎書店の蔵書量は大変なものなんだろう。あやかりたいものだ。
さつき書房は講談社学術文庫やちくま学芸文庫、様々な単行本があった。
ダンデライオンには文庫本に加えて、文芸書がたくさん並んでいる。
サンコウ書店はたくさんの映画のDVDが目を引いた。
芸備書房にはきれいな講談社文庫の小説がたくさん見やすく配置してあった。
汎書店には帯のついたピカピカの文庫本や新書がたくさんあった。
空き瓶ブックスはきれいな文庫本を1冊200円、3冊500円でたくさん並べていた。エッセイストとして一流の永倉万治の『星座はめぐる』『父帰る』なども並んでいて驚いた。
みつづみ書房は安い岩波新書、文庫に加えて特色ある文芸書があった。中でも山田稔の単行本が何冊も並んでいたのは目を引いた。
今日は初日なんだが、平日ということもあって、ごった返すとまではいかない人出だったので、ゆっくり本を眺めることができた。
今週金曜日から、西宮戎神社の境内で古本市がある。
去年に続いて2回目なんだが、今年はかなり参加する店の数が少ない。昨年は23だったが、それが17。
百万遍もそうだったが、店主の高齢化、ネット販売の普及などの理由で、古本まつりに参加する積極的な理由がなくなってきているようだ。
百万遍の古本市では、「この頃京大生が来てくれまへんな。本をこうてくれはらしまへん」という声が古本屋の方から上がっている。
文系の学生が一般的に身につけるべき知識というものは、今はないので、これは仕方のないことだ。
NHKのBSの『いけずな京都旅』シリーズはミュージシャンの西川貴教があの井上章一先生の導きで、京都中をへめぐる構成になっている。
井上先生はところどころに登場して、ちょこっと旅の目的のヒントらしきものを話して、すぐ「今日中に仕上げんならん原稿がありますので、これで失礼します」とか言って下がってしまい、西川を困らせるのが毎度のパターンだ。
その井上先生なんだが、これまでお書きになった京都本では嵯峨野の出だとなっていた。
工学部の学生時代に、町屋建築の調査に杉本秀太郎の旧宅に出向いて、杉本から「どこからおいやしたんや❓」とたんねられて花園のあたりだと答えたところ、「あこらへんからは、ようこえくみに見えてましたわ」とあしらわれた話を書いていた。
中京や、下京から見たら嵯峨野てなんや〜京都ちゃうわゆうわけだよね。
井上先生はそういういわれなき差別を受けたと書いていたわけだ。
ところが今回の『いけずの京都旅』10回目では西陣の旧家では、正月に当主は巨大なかしらいもの入った雑煮を食べるというエピソードのところで、井上先生が登場されてテロップに「嵯峨野の旧家の出」と流れて、自ら「これはしきたりだと、三が日かけて食べるんです」とおっしゃっていた。
なんと嵯峨野は西陣と同じなんだよ京都の真ん中なんだよと、差別する側に回ってお話しされたのが面白かった。