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古本屋日誌
昨日から四条寺町の藤井大丸の地下で古本市。
また2日前からそのすぐ西側の東急ハンズ一階入り口前で、小規模な古本市。
さらに今日からはゼスト御池の河原町広場で古本市。
京都はもともと学生が多いし、教員もたくさんいるので(なにせ日本には800も大学と称する機関があるのだよ)本の需要は高く、人口比の古本屋数は東京と大差ない。
藤井大丸は京都の中心部(すぐ前は四条通りで新京極となる)に昔から店を構えていて、東京でいえば銀座であり、大阪だったら心斎橋だ。
でも銀座の百貨店が地下の催し物会場で古本市をやるだろうか。
心斎橋では、大丸が階上の催し物会場で古本市を開催していたことがあるけど、もう随分前にやめてしまった。おそらく儲からないからだろう。
それが京都では、儲かるのかどうか、よくわからないし、ひょっとしたら商売としては成り立たないのかもしれないが、ちゃんと古本市を年に何回かやってくれるのだ。
参加している古本屋は京都のは19店のうち6店しかない。
あとは大阪、神戸、奈良、三重、金沢、丹波、彦根、富山からわざわざやって来ている。会期は7月2日までの10日間もある。そんな遠隔地からやって来ても古本屋は儲けが出るのだから、藤井大丸に払うショバ代などがかなり安いのかもしれない。
今から40年前、1980年代の半ば藤井大丸の模様替え工事(一階のショーウィンドウの展示を総替えするとか、催し物会場の撤収など)は藤ノ井工務店が請け負うことがあった。
模様替えは店が閉まってから、深夜まで一気にやらなければならない。
当然人手がかかる。藤ノ井さんは学生を手っ取り早く集めたいので、熊野寮にしばしばアルバイトの依頼をしてきた。
4時間で7000円という、40年前の物価からして非常によい美味しい条件で、熊野寮の学生は喜んで仕事に行っていた。
夜中、藤井大丸の作業場に行ってみると、40人からの学生が集められていて、人海戦術で運び出し作業をする。
なかなか壮観なんだが、ものの2時間くらいで作業は終わって、もちろん満額バイト代は支給された。
その当時の学生は極めて非常識で、また勤労意欲などゼロに等しかったが、それでも「こんなちょろい仕事で、ようさん銭もうてええんやろか」との話が出ていた。
(そしてこういう非常識なほど好条件の仕事が、舞い込んでくるので、熊野寮の学生はますます怠惰になるわけなんだが)
何が言いたいのかというと、藤井大丸さんは学生が好きだったのかなということだ。
模様替えにそこまでの学生はいらないことくらい、わかっていただろうし、作業が2時間程度で終わっていたことも、もちろん把握してしていたはずだ。
それにもかかわらずいつも通りのラクなお仕事を提供している下さるわけだからね。
今回の古本市も、もしかしたら藤井大丸の道楽の一つなのかもしれないと、邪推している。
通常ありえないことなんだが、ごく稀にお客さんが自分の住所を間違えて送ってくることがある。
郵便番号の間違いなら、少し時間がかかるけど、ちゃんとあて先に到着する。
しかし住所そのものが間違っていたり、番地を書き忘れていたりすると、当然「宛先不明」で返送されてくる。
しかし投函して程なくなら、(つまり投函してからお客さんの方から、住所が間違えていたと申し出があったみたいなケースだ)郵便局に出向いて正しい住所を書いた用紙を提出すれば、組み替えてちゃんと配達してくれる。
ただこれは相当な手間がかかるので、580円料金がかかる。
すまじきものは宮仕だが、そうとばかり言ってはいられないのが浮世の悲しさだ。
俺は小さな会社、(といっても塾だから会社といえないんだけど)にしか勤めたことがない。
だから大企業のことは知らないし、知りたくもないのだが、社員は社長や上役の顔色が気になるようだ。
自分の評価はどうなのかとか、今社長の関心事は何かとか、他の社員がいる前で存在感を示したいとかそういうことを考えている人はたくさんいた。
もちろんこれはこれで仕事に張りがでたり、やりがいにつながったりてな感じで励みになることだろう。
ただ、必要以上に忖度してるのは見苦しい。(俺はこの手のことに全く興味がないので、余計そう見えるのかもしれないけどな)
蛭子能収が1983年に青林堂から出した『私は何も考えない』には「サラリーマン教室」と題した連作が収めてあるのだ。
蛭子能収が後書きで「私も長くサラリーマンというものを経験して思うことは」と書いているので、彼の実体験からのマンガのようだ。
看板に字や絵を描く小さなペンキ屋の職人が親方(一応社長だよな)に忖度して一度描いた看板の字体を一から変更したり、完成した重たい看板を一人で据え付けようとして(社長に助太刀を頼むのは悪いと忖度するわけだ)、屋根から転落して怪我をしたりというやりすぎの話がある。
さらに最後、給料を手渡しでもらうシーンで「社長は渡したくないと思っているに違いない」と忖度して、封筒から金を取り出して「半分でいいです」というのだから面白い。
他にも、会社を辞めようとと思っているのに、零細企業だし、今辞めたら社長はえらい困るだろうと忖度して、なかなか言い出せないリーマンの話がある。
それでも意を決して、ある日社長に切り出そうとはするのだが、どうしても言えない。
もう死ぬしかないと首を吊ってしまうのだ。
残した遺書も社長に気を遣う文面だ。
「わたしは今日自殺しましたので、明日からは仕事に行けなくなりました。まことに勝手ながらこれにて失礼しますさせて頂きます」
さすがにそこまではやらないだろうけどね。
でも退職する際、あれこれ切り出し方に悩んで「退職代行サービス」に依頼する人もそれなりの数いる。
辞めるんだから、もう何も気にすることなんかないんちゃうの❓と俺は思うけどね。
現銀での支払いは面倒だ。
特に細かい勘定で1円玉や5円玉がからむ支払いなど、トレイに置いてある取りづらい硬貨を何回かしくじりながら取り上げて、小銭入れた入れる手間はイライラさせられる。
中には細かい人もいて、小銭入れが小分けしてあって、100円玉、50円玉、10円玉がそれぞれ別々に入るようになっているのだが、俺からしたらバカバカしい。
コロナ騒動で手づから、お金のやりとりをするのを避けようとする動きもあって、最近はカード払い、カードのタッチ決済、PayPay、d払いなどスマホ決済が増加してきてありがたいような気がしている。
PayPayなら1.5%バックがあるし、カードでも0.5%安くなる。
その他キャンペーンでさらに安くなることもある。これらを利用しない人は結局損をしていることになるのではないか。
利用しない人が余分に支払った金が回り回って、利用者へのマージンになっている感じがする。
しかし長財布から札を出して料金を払い、またお釣りをもらって、今度は小銭入れに収納するまでの時間を計ってみたら、およそ、45秒。
ではPayPayならどうなのか。果たして時間の節約になっているのだろうか。
スマホを取り出して6桁のコードを入力して、アプリを開き、相手に決済のバーコードを読み取ってもらう、このケースだと30秒。
ただ自分でバーコードを読み取り、さらに金額も打ち込んで、相手に決済終了画面を見せなければいけないケースだと45秒かかってしまう。
つまり時間的には全然節約になってない。
むしろいろんな動作を確認しながらやらなければいけなかったり、疑わしそうな店の人にきちんと決済画面を示す煩わしさがあったりするなど、手間が増えている感じもする。
昨日天王寺ステーションデパートを出てすぐ北側にある『天下一品』に入って、例のこってりMAXを食べた。
この店は最近タッチパネルでオーダーするシステムになった。人手不足の折だから当然のことなんだが、ほとんどの人はこれで注文している。
ただ少ないながら何人かはそうではない。
店に入るや否や、「ネーちゃん、ネーちゃん、あんな、あっさり待てきてや。あっさりの方やで」とタッチパネルなど、全く無視して店員にオーダーしている。
もちろんネーちゃんは、そそくさと客のところに馳せ参じて、「はい、はい、あっさりですね。」と言いながら、自分でタッチパネルを操作して、あっさりを一杯オーダーしている。
みんながタッチパネルを使っているのに、自分だけ使えない、使わないのを恥ずかしいとは思わないようで、それはそれでどうかとは思う。(ちょっとは恥ずかしいと思えよ。)(店の迷惑も考えろよ)
ただ、そういう他人の目を気にしなければこれはこれで楽で、楽しいような気もする。(店員さんは大変だよな。やめて欲しいところだよな)
エスカレーターは右に立って、左を開けるのが国際的にはよく行われている。
左側を急ぐ人が上がったり、降りたりするのが日本では見られる。
しかし例えば香港では人々は向かって右に立ち止まって、左を空けているが、その左側を歩く人はほとんど見受けられない。
これは香港の人たちがのんびりしているからではない。
そもそも、この地のエスカレーターの速度がすごく速いのだ。
日本の倍くらいはあるのではなかろうか。したがってさらに急ぐ必要もないから、みんな大人しく立ち止まっているのだ。
だから日本のエスカレーターも、速度を上げれば、駆け上がろうとする人も減るのではないか、と昔からよくいわれている。
さて、このシステムは大阪ではやはり右に立つのだが、京都の人たちは左に立つようになっている。
これは東京と同じスタイルなのだが、京都の人は東京の真似がしたいわけではない。大阪のシステムが嫌とみえる。
京阪電車の三条駅は、地下通路で地下鉄東西線とつながっている。
京阪の三条駅のエスカレーターはもちろん大阪風の右に立つシステムなのだが、それを上り切って少し地下通路を行くと東西線なのだが、ここのエスカレーターは見事に、先ほどとは反対に一様に左に立っている。
桂米團治は以前、京都の人は「上方」という表現を極度に嫌っている、これは「上方」=「大阪」と考えているからだ、京都市内で「上方」うんぬんの表示を見たことがないと言っていた。
いうまでもなく、「上方」は京都と大阪を指す古くからの表現だ。それなのに米團治によれば、京都では大阪だけをさすが言葉になっていて、そのため毛嫌いしているというわけだ。