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古本屋日誌
毎日新聞に連載が続いている「れとろ探訪」が本になってすでに2冊出ている。
昔の大阪の風景写真と今のそれを並べた大判の写真集だ。
その中には茶屋町の1958年1月3日のもある。
今はnuとルクアになっているあたりなんだが、その当時の写真は住宅地だ。
昭和の初めに流行った庭付きの長屋が並んでいて、前の道(能勢街道だ)は正月の間は「よいこのあそびば」となっていて、晴れ着を着た子どもが羽子板を楽しんでいる。
ちょうど今、Nuのあるところに見えるのは「大衆酒場 よっちゃん」であり、「割烹 よしき」だ。これらの飲み屋も昭和の長屋風の建物だ。
たしかに今見たらレトロで、懐かしい風景だ。ただNUの道は能勢街道で、ずいぶん古くからある道なのだ。
これが堺にぬける紀州街道や熊野に通じる熊野街道なら、中二階の徳川時代の建物がいくらもあるはずだ。
ところが能勢街道沿いの茶屋町の街並みには見受けられない。
つまり明治以降に、建て直してしまっているわけだ。
これは気になるね。
古い家なんかよりは、銅板を使った、2階もスペースのある大きな長屋や、せんざいを玄関先に備えた長屋という新しい建築デザインの方が素晴らしいと思っているわけだ。
また梅田方向には巨大な鉄塔が聳えて、その側面には「三菱ミシン』『三菱蛍光灯』と書いてある。
今の我々はあまりの1958年の写真を見て変貌ぶりにショックをうける。
実はこの本の表紙にも茶屋町の風景が使われていて、毎日新聞の記者も驚いたんだろうなあ。
しかし茶屋町はそれ以前にも大きく変貌していたのだ。1958年の写真をその当時の年寄りに見せたら
「あー、昔とぜんぜん違うわ、こんなわけわからん家なんかなかったんやけどなあ」と言うことだろう。
茶話町の写真はまだまだありそうだからそれだけ集めて写真集を作ってもらいたいものだ。
向田邦子のエッセイ『眠る盃』に「痴漢」に遭った話がある。
1972年の作品でその時点で20年前の話だとある。
当時著者の自宅近辺は今とは違い、電灯もなく鼻をつままれてもわからない闇夜だった。
夕刻帰宅を急いでいたら、つけてくる足音が聞こえて手を掴まれて、刃物を突きつけられた。
向田が「お金ですか❓」と2回繰り返したが男は無言で竹藪に連れ込まれてしまった。
その時左手に人から借りたカメラを持っていて、それを振り回したら、男の腹に当たって、男がひるむすきに逃げ出したとある。
警察に届けたのだが、向田邦子は悔しくてならず、自分の手で犯人をあげようと電車に乗る時刻を10分ずつ変えて、ぼんやりとだが覚えている犯人の顔を手がかりに、それらしい人物を探し求めた。
結局1週間目に車内で犯人を見つけて、睨みつけたら人をかき分けて逃げようとしたので、追いかけて手に怪我を負いながらも警察に引き渡した。
その後警察の事情聴取を受けに署に出向いたら同じ犯人にやられた3人の女性と出会った。
そのうち1人は刃物で腹を刺されて3ヶ月も入院したというのだ。
その後向田は何度か出所した犯人と電車で遭遇することがあった。
男は向田に気づくと、はじいることもなく「今日は天気ですね」などとにこやかに話しかけてくるのだった。
いやまあ、とんでもない話だよな。
向田は「痴漢」と書いているがその域を超えていて明らかに監禁であるし、傷害で強姦未遂だ。
またその犯人がいけしゃあしゃあと被害者に話しかけてくるというのも不気味だし、他人事なんだが想像しただけでも肌が粟立つ。
これを読むと、どう考えても今の方がどれほどマシな時代であるかよくわかるよなあ。
ジャニーズの「なにわ男子」の7月デビュー公演のチケットが高価で転売されているとの話がある。
ファンクラブ会員しかチケットは申し込めないのだが、それでもなかなか当選せず、一枚7400円のものがネットの通販サイトでは10万の値段が付いているのだそうだ。
「本当に聞きたい人が金儲けの犠牲になって聞けないのは気の毒だ」という意見がある。
でもこのような転売を批判する意見は間違いだ。
そもそも転売されるということはそれなりに人気があるチケットで、入手するのは困難で高い倍率になっているわけだ。
500倍とか300倍とかいわれている。
転売を完全に禁止したとするならば、自分がなんとしても聞きたいコンサートのチケットを手に入れる手段は抽選に当たることに限られてしまう。
その場合500分の1とか300分の1が自分に当たるとは到底考えられない。
小学校の確率の授業を思い出せばよい。
それならば転売を許す方が、チケットを手に入れられる確率がずっと上がる。
だって金さえ積めば確実に入手できるのだから、ありがたいことではないか。
それなのに転売をいけないことのように宣伝してしまう。
これは実は自分で自分の首を絞めていることなのだ。
転売を叩く記事を読んで
「やはり出品なんかしてはいけないんだな」と思う殊勝なバカもいるから、必然的にネットにアップされるチケットの枚数は減ってしまうではないか。
そうなれば品薄に拍車がかかり、転売価格はうなぎのぼり、転売ヤーはウハウハですなあ。
今日は暑い中神戸に買取に出向いた。
1時ごろの京橋駅は少し環状線の列車に遅れが出ていたこともあって、ホームにかなり人が待っていた。
タイガースを見に甲子園に行く、ユニホームを着た人たちもいる。
甲子園は野球を見るにはよい球場なのだが、タイガースファンの応援スタイルにはいつもイライラする。
まずピッチャーがストライクを一つ入れたら、拍手するのが気に入らない。
そんな当たり前のことで何が嬉しいのかわからないのだ。
相手がランナーを1、2塁に出してややピンチとなると「がんばれ❗️〇〇❗️」などと叫ぶのがさらに気に食わない。
そんなもん頑張るのは当たり前で、草野球でもあるまいに、プロの選手に何を言っているんだろうと思う。
そもそも時間を使い、金も払ってわざわざ見に来てあげているわれわれが主人公のはずで、応援している連中にはその意識が希薄で、選手が主人公だと誤解している。
それにしても2日前の横浜戦は面白かった。
エースの今永が初回ランナーを出して5番の大山を迎えた。
今永はしきりに大山を警戒して外角にカーブや内角のシュートなどを、際どいところに投げ込もうと四苦八苦して、結局は歩かせる。
次は糸原なんだが、どう考えても大したバッターではないよな。
今永は初球から真ん中にストレートを投げ込む。糸原は読み通りなんだろう、バットを出したが振り遅れて打球は三塁側のスタンドに入る。
読み通りのコースに来たのにふりおくれる、糸原はそういうバッターなのだ。
この後今永はさらに3球続けてストレートを投げ込み続けて、4球目の真ん中の球を打たれたのだ。
要するに糸原を舐めていたわけだよな。これが素晴らしいよなあ。
「こんなやつに打たれるわけない❗️」という冷静な状況判断だ。
たしかに今回はまぐれで打たれたがそれは仕方のないことで、別に今永の判断が間違っていたわけではない。
今日から谷町四丁目の古書会館で古本市。
早速行ってみた。
仕入れが滞る夏場であるし、また来週には平安神宮で古本市があることもあって、いつもより参加店も少なく(例えば京都のシルヴァン書房は参加していなかった。)、当然ながら本の数や質も限られたものになっている。
それを知ってか、知らずかオープン前に並んでいる客の数もいつもより少ない。
この会場で来週の平安神宮の古本市のチラシをもらったが、なんでもタイトルが「みんなでつくる古本まつり」となっている。
去年もやはり平安神宮で古本市があったが、その際は流行りのクラウドファンディングで募金を募っていた。
今年も同じシステムか❓と思ったが、チラシによれば古本市の最後の二日間に、全国から、一冊100円で売っていいと思う本を集めて販売するとなっている。
そのため送料は出品者負担で、本を送って欲しい旨書いてあった。
要するに本を寄付してほしいということだな。
この時期本がなかなか集まらないわけだ。