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古本屋日誌
飛鳥新社からデイリースポーツのデスクの西岡誠の『7657日の孤独』が出た。
タイガースの監督だった岡田の日常を描いたものだ。早速、紀伊國屋、梅田店で求めて一読、物足りなさが残る。
西岡は江川騒動でタイガースに移籍してきた小林の、例の「タイガースに歴史はあるが、伝統はない」を引用して、暗黒時代とも絡めて話を進めているのだが、本当にバカだよなあ。
小林の言葉など、俺には違和感しかない。
マンガ『巨人の星』の花形満をみてもすぐわかるように、ジャイアンツの9連覇の時代、タイガースは輝いて見えていた。
勝つことしか考えない、幼稚で、下品なジャイアンツには、どんな伝統があるというのだろう。江夏豊や村山が、王や長島から記録となる三振を奪いたいがために、あれこれ工夫して、その前のバッターは適当に打たして三振は奪わないという芸当を見せていたのが、面白かったし、プロらしい行為だと子どもながらに感じたよ。
それにしても、この本はこれまでよく謎めいていた試合の真実をいくつも取材で明かしているところがあって、素晴らしい。
まず2023年6月に佐藤が2軍降格となった事件。
6月23日の横浜戦で2三振、翌日はスタメンを外されて試合にも出なかった。そしてその24日の試合後に2軍降格を岡田は告げているのだ。
不調が原因なら前日に告げてもいいところが、1日遅れている。
これは、この本によれば24日の試合中、佐藤がベンチにもおらず、ロッカールームでテレビを見ていた、その報告を受けた岡田が「こら、アカンわ」と決断したのだという。
この事件に関しては、これまで『月刊タイガース』で取り上げられたことがあったが、佐藤がベンチから応援の声を上げていなかったのが原因となっていた。
また2005年の9月8日のドラゴンズ戦の9回裏、ワンアウト満塁のピンチを迎えていた久保田のところに、岡田は歩み寄って何か言葉をかけている。
これまでは「もうむちゃくちゃしたれ、責任は俺がとる」だとされていた。しかし、むちゃくちゃの意味がわからないね。
西岡が、直接久保田に取材したところ、「こんな試合はどうでもエエ。(デッドボールを)ぶつけて終わらせてしまってもエエから。責任は俺が取るから」だったという。
久保田は「矢野さんのサインはオールインハイの直球でした」とも明かし、結局、ウッズも含めて連続三振に取った。
さらに2008年のV逸のこと。
10月3日、神宮でのスワローズ戦、安藤が6回まで無失点に抑えて5-0でリードを奪う。
球数もまだ80くらいだったが、岡田は4日後のジャイアンツ戦を考えて、安藤を降板させ、7回からJFKを投入して逃げ切りを図ったが、何と2回で7失点してしまい敗れた。
西岡によればここから岡田は「先読みして失敗した」と総括して、例の「普通にやる」教訓を得たのではないかという。
今日もえらい暑い。8時くらいに起きて洗濯機を回しながら、食パン、ヨーグルト、牛乳で朝ごはん。
注文品は夜前、用意してあるが、そのあと来たものを探して梱包、発送できるようにして、酷暑のなか、11時くらいに郵便局にお願いに出向いた。
天下の碩学、高島俊男先生が亡くなってもう6年になる。
このところ先生の『お言葉ですが』シリーズや文春新書の『漢字と日本人』などを改めて読み直している。
先生は和語であるのに、漢字を当てようとする風潮を毛嫌いしておられた。
『漢字と日本人』の中でも「とる」や「はかる」は和語なんだから漢字などあてる必要はないと主張。(このお話は本居宣長の考えによく似てるよね。)
英米人で考えてみると、「俺、写真撮るで」というのを「I take a photo.」と表すけど、それを「このtake は撮やな、だからI take 撮 a photo.」と表すだろうか❓そんなバカなやつはおらん、と具体例をあげて批判されていた。
つまり日本語で「とる」という語があるのに、わざわざそれを中国語のなにに当てはまるのか、考えてから表現する、いわば植民地の奴隷的な心情を批判されていたわけだ。
これはその通りなんだが、ある程度漢字で書いた方がわかりやすいようにも俺には思える。あんまりひらがなばかりになってもね、間延びするしね。
また、漢字の書き分けを批判するにしても、和語で「とる」と一語で表すところを、中国語、つまり漢字では、「撮る」「取る」「摂る」「録る」と幾つにも分けて表現するわけで、本来そこには日本語と中国語の、意味の分類上の大きな差が感じられる。
それなのに、安易に「撮る」やら「取る」などと表現するものだがら、肝心の差異に気付かないままになってしまう恐れがある。てな感じて批判することも出来よう。
しかし高島先生は、あくまで宣長風の批判をされていて、面白い。
新古書店の代表はブックオフと古本市場だ。
ブックオフは、もちろんわが国最高の古本屋であり、他の追随を許さない。
出店場所も駅のすぐねきで、交通至便、店も快適、立ち読みもできるし、整理整頓行き届き、文句のつけようもない。
それに対して、古本市場は幹線道路沿いに出店することが多く、駅からは離れていることがしばしばしば。ハンバーガー業界でいえば、マクドとモスバーガーの関係に近いように思える。
お客さんも、本はまずブックオフに売ることを考えて、古本市場はその次の選択肢なのではないか。
というのも、近くに阪大があり、それなりの住宅地である箕面には、市役所横にブックオフ、ロード沿いに古本市場が併存しているが、俺の見るところ、品揃えは圧倒的にブックオフがいい。
しかし、古本市場も近くにブックオフがなく、普通の古本屋が対抗馬になっている地域ではなかなか魅力的な品揃えだ。
これは、普通の古本屋は「お客さん、この手の本はうちは扱うておりまへんねん、すまんけど持っていんでおくれやっしゃ」となって面倒が増えるから、ほぼなんでも引き取ってくれる古本市場を選ぶからだろう。
それを確かめる意味でも、今日は宇治に行ってみることにする。ここはブックオフが2店舗構えているが、京阪の六地蔵駅から少し離れたロード沿いに古本市場もあるのだ。
昼前に郵便局にお願いに行って、休憩してから、昨日の晩の豪雨もあり、曇ってもいるのでだいぶ涼しくなったところ、萱島駅、枚方、特急で中書島、宇治線に乗り換えて六地蔵に1時半ごろ到着。
駅前にはレンタル自転車があるので、それを利用して古本市場桃山店に行ってみた。
モータープールも備えた平屋の店舗で、間口より奥行きがすごくあって、80坪以上はありそうだ。
文庫本は100円均一棚が、このご時世でも設けてあるのが古本市場の特徴で、このお店もたくさんの文庫本が廉価で並んでいる。
しかし俺の感想だが、宇治の、近隣のブックオフの品揃えととても対抗できるようなものでは無いと感じた。
やはり予想通りのようだ。
ただ、以前「ふるいち高野店」に行ったことがあって、ここは京大から東大路を少し上がったところにあって、近くにブックオフはない。
確かに、すぐ北の、ラーメン街道あたりには古本屋が何店もあるのだが、いずれも京都の古本屋さんで、文学書中心だったり、古本屋の倉庫に置いてあるような、俺には売り物とは思えない本ばかりだったり、狭くて本棚が見づらかったりというようなものだ。
だから古本市場にそれなりの本が置いてあってもおかしくないところだが、不思議なことに、品揃えはパッとせず、がっかりした覚えがある。
今日は月曜で、朝7時くらいに起きて、ヨーグルト、食パン、コーヒーで朝ごはん。昨日のスワローズ戦を3回まで見た。
4番佐藤が逆転なツーベースを放ち、チームを牽引している。それにしてもタイガースは連覇がないとか、タイガース優勝、ジャイアンツ2位がこれまでないとか、でたらめを書いてる記者がたくさんいるのは驚く。
昨日、本棚から探して積み上げておいた注文品を梱包し、クリックポストで発送できるこしらえをして、11時くらいに郵便局に出向いてお願いした。11日から、入荷した順に本を置いているので見つけやすい。もっと早くからそうすべきだった。
それにしても、相変わらず日差しは強烈で、セミセミも鳴いていない。
地震の影響で宇城市なと、熊本県内のいくつかの市町村は手紙、ハガキを除いて受付停止中で、局員の方が、素晴らしいスピードで郵便番号をチェックしているのを見るのは楽しい。
帰宅してくつろいでから、京橋に出向き、先日オークションで手に入れた、プレミアムカーの座席引換券を使い、11日の朝出町柳へ向かう予約を入れた。
この引換券は特急停車駅に出向いて発券してもらわないといけないので不便だ。
環状線で大阪、各停の高槻行きに乗って、先週同様、ブックオフ 吹田店に出向いた。
さすがに先週のようには、欲しい本はなかったな。
今日から26日まで、河原町の丸善の地下二階で「へんちなんまへーん」と称する古本市、早速朝から行ってみた。
丸善は11時オープンなので、萱島を9時54分の準急で立ち、枚方で特急に乗り換えて10時40分過ぎに三条到着。
てくてく暑い中歩いて、5分前に到着すると店の前はオープンを待ちかねる老若男女40人くらい。古本市といっても規模がさほどでないのもあるだろう。
さて、参加店は京都から8、福井、丹波篠山、彦根からそれぞれ1の11店。
オープンと同時に地下二階の売り場はたくさんのお客さんで盛況だ。
かなり安い本もたくさんあって素晴らしいし、何より冷房が効いていて快適だ。すぐ横は丸善なので新刊も手に取ってチェックできるし、椅子も完備されている。
もちろんハヤシライスで有名な喫茶店も地下二階の古本市会場の目の前だから、くたびれたらここでほっこりもできるのだ。
そうこう考えると11日から始まる、下鴨の「納涼 古本まつり」の問題点が気になってくる。
そもそも全く納涼とはいえない、酷暑の中、屋外で開催されている。
しかも毎年、スコールのような大雨が突然襲ってきてずぶ濡れにされてしまう恐れもある。地面は凸凹していて足元は悪く、かぁがやってきて噛む。
また各古書店はスコールに備えて、あらかじめテントの軒先から透明なシートを地面近くまで垂らしたりしていて、そのためテントの中は機密性もあって、いっそう息苦しいし、お客さんで混み合って汗だくの体が触れ合いそうになるし、体臭も気になる。
だいたい糺の森は市街地から隔絶していて、近くにコンビニすらないから、飲み物なんかも会場の南端にあるテントがけの店で買うしかないのも俺には苦痛だな。客あしらいの普通にできかねる子どもたちも店を運営していて、微笑ましいとはいえるけど。
温暖化がエスカレートしている今日、もはや屋外で古本市を長期に開催するのはどうなんだろうと俺は思っている。
近くの京大の校舎なんかを活用できないのだろうか❓
教室は机や椅子が邪魔だから廊下を活用して壁際に本棚を組み、一階から最上階までスペースを確保したら問題なく涼しい環境で、荒天に悩まされることなく運営できそうなんだけどね。
京都の人たちは意味のないところにこだわる悪い癖が伝統的にある。
食の分野でも、おいしくもないにしんそばや、鯖寿司、ハモ料理をありがたがったり、徳川時代からの伝統だと称してつなぎの入ったお蕎麦をそのまま食べる。
そのくせ金儲けに直結するところでは、利にさとくて、町屋を売却してテナントビルにしておられるのだから一貫性はない。
下鴨の古本まつりもそういうこだわりの典型例のように感じられる。
でも古本屋のレジに、たぶんそのお店のこどもたちが入って、計算したり、本をレジ袋に入れたり、補充したりしている。
これは、例えば祇園祭の山鉾町で、祇園囃子を歌いもって、ちまきを売っている子どもたちと重なる。お祭りではそういう経験を通じて町内がまとまり、経験が継承されるのだろう。
古本まつりも、お客さんとのやりとりで商売の面白さや、古本の魅力に目覚めて、将来は店を継いでもらいたい、という考えが親御さんにあるのかもしれない。