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古本屋日誌

2026-08-05 17:44:00

今日もえらい暑い。8時くらいに起きて洗濯機を回しながら、食パン、ヨーグルト、牛乳で朝ごはん。

 

 

注文品は夜前、用意してあるが、そのあと来たものを探して梱包、発送できるようにして、酷暑のなか、11時くらいに郵便局にお願いに出向いた。

 

天下の碩学、高島俊男先生が亡くなってもう6年になる。

 

 

このところ先生の『お言葉ですが』シリーズや文春新書の『漢字と日本人』などを改めて読み直している。

 

 

先生は和語であるのに、漢字を当てようとする風潮を毛嫌いしておられた。

 

 

『漢字と日本人』の中でも「とる」や「はかる」は和語なんだから漢字などあてる必要はないと主張。(このお話は本居宣長の考えによく似てるよね。)

 

英米人で考えてみると、「俺、写真撮るで」というのを「I take a photo.」と表すけど、それを「このtake は撮やな、だからI take 撮 a photo.」と表すだろうか❓そんなバカなやつはおらん、と具体例をあげて批判されていた。

 

 

つまり日本語で「とる」という語があるのに、わざわざそれを中国語のなにに当てはまるのか、考えてから表現する、いわば植民地の奴隷的な心情を批判されていたわけだ。

 

 

これはその通りなんだが、ある程度漢字で書いた方がわかりやすいようにも俺には思える。あんまりひらがなばかりになってもね、間延びするしね。

 

 

また、漢字の書き分けを批判するにしても、和語で「とる」と一語で表すところを、中国語、つまり漢字では、「撮る」「取る」「摂る」「録る」と幾つにも分けて表現するわけで、本来そこには日本語と中国語の、意味の分類上の大きな差が感じられる。

 

 

それなのに、安易に「撮る」やら「取る」などと表現するものだがら、肝心の差異に気付かないままになってしまう恐れがある。てな感じて批判することも出来よう。

 

 

しかし高島先生は、あくまで宣長風の批判をされていて、面白い。