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古本屋日誌
BS松竹東急で2018年に歌舞伎座で上演となった「仮名手本忠臣蔵、七段目」の放送があった。
例の、祇園一力茶屋のやつで、松本幸四郎の白鸚襲名公演だ。
この時のおかる役を務めたのが坂東玉三郎なのだ。(勘平は片岡仁左衛門)
玉三郎は名高い女形で、その優美で、女よりも女らしい仕草は驚くほかはない。
ただ年月というものはおそろしいもので、どんなに力のある役者でも衰えはくるものだ。
ところがこの、2018年の66歳の玉三郎は、まるでタイムマシンでも使って、時空を飛び越えたかのような姿であり、仕草も上品で、またキビキビしていて驚かされた。
玉三郎も齢70に近い。いくらなんでも若い女の役は難しかろうとも思われるのだ。
しかしこの予想は簡単に
今日は新装なって、昨日オープンしたばかりの京都競馬場に嫁と出向いた。
ここは以前は駅も地上にあったのだ。
また、水面を覆い尽くすほどの高さを持つ葦や水草が生い茂る水路が線路に並行して流れていた。
さらに、歩いて競馬場に向かう途中にはいろんな飲食店(関東煮とかどてやきとか)があった。
店内には紫煙を燻らせながら、コップ酒をあおり、耳に短い鉛筆や赤鉛筆を挟んで、競馬新聞に首っ引きの男たちがたむろっていた。
新装なって、水路は痕跡なく埋め立てられ、高架駅からエントランスが競馬場まで伸びて、直接入れるようになって、雑多な飲食店もなくなった。
また以前は、場内各所に風変わりな予想屋がいた。お立ち台の上から滔々と次のレースは「俺の言う通りになるんや❗️❗️」と大声で宣伝して周りに人だかりができていた。(100円払って予想が書いてある紙を買うのだ)しかし、これも消滅。
代わりに駅前に大きな芝生の広場と白い大きなモニュメントが出来ている。
モニュメントの方は上にたくさんの子どもが乗っかって、ジャンプを繰り返して楽しんでいる。
周囲にはキッチンカーが並んでいる。ステーキや肉巻きおにぎり、スイーツ、クラフトビール、と多彩だ。
馬券の購入も全て自販機となっていて、マークシート状の投票用紙に設置の鉛筆で黒い筋を入れて現金で買う自販機とカードなどキャッシュレスで買うそれに別れている。
メインスタンドはたくさんのギャンブラーで埋め尽くされているのだが、以前は結果が出た瞬間、一斉に外れ馬券を空高く放り投げるシーンが楽しかったのだが、それは全くない。おとなしいものだ。
次回の開催は来週末、天皇賞となる。なんでもここでは年間29日間競馬が開催されるのだということだ。
残りは、真夏の数日間花火大会が催されるくらいのようで、巨大な施設がもったいないよなあ。
村上春樹の新作『またとその不確かな壁』を読んだ。初版は35万部だそうで、発売初日に京都のMARUZENで購入した。
今回の長編は1980年に発表した中編を編み直した作品だという。
主人公は高校生の時に、(よくある話だが)、燃えるような恋愛を体験したが、叶えられず、相手とは音信不通になってしまう。
そのストレスが昂じて、壁に囲まれた、影を持たない住民の住む街の図書館で、蓄えられてある夢を読む作業に勤しむようになる。
横にかつての彼女(すでに40を超えている姿)がお茶を用意してアシストしてくれる設定だ。主人公は切り離された影を通常の世界に返して、本体の自分は相変わらず夢読みを続けていく。
影の方は田舎の図書館の館長となり、マフィンが美味い喫茶店の店主と今度もまた叶えられない恋に悩む。
最後に本体の方が壁で囲まれた町を出て、影と一体化して、終わる。結局傷は癒えぬままで、元のややこしく、願いも叶わないところに行き着いてしまう。
でも幼い子どもを事故で亡くした親は、「なんであの時気をつけてやらなかったんだろう」と悔やみ続ける。
また、やりかけの事業の行く末が死ぬ時にも心残りだ、とかわれわれは常に心の傷に苛まれる。
それらを回収しようというのが、この小説のテーマのようだ。
今日はかなり久しぶりに甲子園に出向いた。
カープ3連戦の最終戦で、連勝していて、しかも木曜日なのであんまりいいピッチャーが残っていない。
予想通り負け。
9回は3点負けていたが、一点返して、なお、ノーアウト1、2塁のチャンスとなり、5番の佐藤が打席に入り、平凡なレフトフライに倒れた。
これも予想通り。
こいつはことごとくチャンスを潰していて、見ていて不愉快だ。
だいたい9回なんだから送りバントをするべきだろう。そうすれば、1アウト2、3塁になって相手にプレッシャーかけられる。
佐藤はバントすらできないだろうから、岡田は代打を出すべきだったのだ。
そんな当たり前の指揮ができない監督、岡田は無能としかいいようがないよな。
そもそも先発の西を引っ張りすぎだ。
4回の表はファーボールを出してノーアウト満塁にしてしまった。
ここで降板させるべきなのに、岡田はそれができない。
代打の松山にタイムリースリーベースを浴びて逆転されてから、ようやく西を下ろしたんだからあきれるしかない。
2008年の失敗から何にも学んでいない。
矢野も無能な監督だったが、岡田はさらに輪をかけてどうしょうもない指揮官だ。
定年退職後の長〜〜い老後をどう過ごすかは大変重要な問題だ。
金のことはもちろん考えなければならないが、何もやることが思いつかないようでは、だんだん気が滅入ってくるだろう。
趣味が本だという老人にとって、老後の古本屋経営は魅力的な選択肢だ。
自宅やら近所に店を開いてのんびり売るのだ。
京阪神各地に、すでにそういった古本屋がある。
売っている本は、これまで何十年もかかって溜めた自分の蔵書で、場所も自宅の一階を改築して、本棚を並べたシンプルなもの。
立地は町外れの閑静な住宅地で、店の看板も設置しない。
取り立ててSNSなどで宣伝もしないし、ホームページも作らない、通販もやらない。
ひっそりのんびりやることが目的だからだ。
神戸の元町や大阪の天神橋筋のような何軒もの古本屋が集まり、人出もすごいところに店を出してしまうと、直ぐに本が売れてしまい、長く商売を続けられないだろう。
なにせ老後は長〜〜いのだ。少しずつ蔵書を売っていかないと、また仕入れないといけなくなる。そんな面倒なことはやりたくないのだ。
それでもどこからともなく、嗅ぎつけて、同好の士がやってきて、あれやこれや好きな本の話ができるのだ。
この趣味の合う人との交流ができるというのは、老後の楽しみの中で極めて重要なことだ。
学校にせよ、会社にせよ、隣近所にせよ、これまでの人生では、自分と趣味も違えば、好みや趣向も、性格も正反対の人たちと付き合わざるを得なかった。騙し騙し、折り合いをつけてきた、それが人生だと思ってきた。
しかし、考えてみたら、それは実に煩わしいことで、老後にまで持ち越すいわれはないものなのだ。
これまでの価値観からすれば、ちょっとわがままな人物ということになるのだが、それをあえて演じてみるのも悪くはない。