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古本屋日誌
小説家の山田稔は今年96なんだが、元気そうでなによりだ。
このところ大阪の編集工房ノアという全国的にはあまりメジャーではない出版社からたくさん本を出してあるのが不思議だった。以前は講談社や河出書房、平凡社などといったところから本が出ていた。
そのあたりについて、2024年にやはりノアから出した『もういいか』の中にヒントとなる話がある。
山田によれば、メジャーな文芸雑誌の編集長が交代して、縁が切れてしまったり、「山田さんはエッセイのほうがいいのではないか」との評価を得たりしていたというのだ。それで、2003年に『新潮』に載ってからご無沙汰となっている。
この本の巻末には『夜の声』という小説が巻末に掲載されているが、一読、感心しない。
レッドパージ後の、京都な共産党シンパの学生の、揺れる心理を描いたものだが、今とは違う世相も感じられないし、就職や院試をためらい、作家になりたいと悶々とする日常もどこかよくある話だ。
しかし、この本の大半を占めるエッセイのような、小説のような日記のような作品は味わい深く感心した。とりわけ亡くなった坪内祐三のことを書いたものはよくできている。
坪内は書評でよくヤマダの著作を取り上げていたのだが、ある時、一乗寺の恵文社でのイベントで山田と会い、その後の二次会ではさしむかいです酌み交わした。
しかし、話は何故か弾むことはなく、山田が「坪内さん、「ぽかん」(山田がつながりのある雑誌だ)に書いてくれませんか」と言ったら、坪内祐三は顔を曇らせた。
山田はその話のあと、彼が若くして亡くなってしまったことを書き、さらに最後に、坪内が山田の『こないだ』という本の書評を『週刊ポスト』に書いた話を続ける。
この本に収めてある『ある祝電』という作品は夭折した人権派弁護士多田謠子を回想したものだ。
坪内祐三は書評の最後を「29年の短い生涯であったればこそ、生の楽しさもまた一段と鮮烈であった。そう思うことで自らを慰めるより仕方ない」、と山田の作品を引用して終わっている。
坪内祐三の人生も同じようなもので、やはり「鮮烈であった」と思うしかないのだろう。