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古本屋日誌

2026-07-11 00:00:00

こないだ書いた福田千鶴の『淀殿』(ミネルヴァ書房)は2007年の初版。

 

実は、俺は2014年に出た福田の『豊臣秀頼』を読んでいて、そのラストに秀頼が落城の翌日、つまり元和元年5月8日、山里曲輪の蔵の中で自刃したのではなく、本丸の千畳敷で切腹した旨書いていた。

 

 

また大手門のすぐ近くにある追手門学院の工事で出土した大柄な侍と馬の骨が秀頼のものではないかとの話にも触れて、その骨が京都のある寺に埋葬されているとの情報もあった。

 

 

これまで、例えば、司馬遼太郎は『城塞』のラストで、いくさに敗れて、皆散り散りとなっているのに、城主がおめおめと生き延びて、蔵の中で息を殺して助命を願うなど、到底信じられないほどの醜態で、信じられないと書いていた。

 

 

確かにその通りで、灰燼に帰した城の中で、最高責任者が命乞いなどバカバカしい。

 

 

だから俺は、この司馬遼太郎の話を覆す新発見を願っていて、2014年の福田の本を読んでようやく一安心したのだ。

 

 

それで、さらに詳しい話を読みたいと思って今回それより少し前の、このミネルヴァの本を読んだのだが、まったく意外な内容で驚いた。

 

 

しかし福田のこの本には、大坂冬の陣の講和内容が外堀の埋め立てだけだったのに、徳川は騙して内堀まで埋めた、と書いてあって、現在の通説とはかけ離れていることに気づいた。

 

 

また、冬の陣のきっかけとなった、例の「国家安康」の方広寺事件に関しても、家康の言いがかりとの説が述べられており、最近明らかになった真実と異なっている。

 

 

ということで、秀頼の死についても、山里曲輪説は覆って、それを福田が2014年に書いたんだと信じたい。