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古本屋日誌

2026-06-18 16:48:00

日能研関西は中学受験の進学塾だが2000年に過労死事件が発生した。

 

 

当時算数課長(リーダーと呼ばれていた)の酒井が50日以上休みが取れず、くも膜下出血を発症して亡くなった。

 

 

そういうでたらめな労務管理をしていた会社だっわけで、これは大きな問題だと思っている。

 

 

それはさておき、1999年の11月末に冬期講習の打合会があって、俺は当時、非常勤講師であったから、この会合に出て、あとはやることもなかったので、酒井の上司に当たる東とかと飲みに行くことにした。

 

 

出来たら、酒井も一緒なら、楽しいので電話してみると、「灘の合同授業が終わって、今自宅で洗濯してる、この後芦屋で担当者が集まって飲み会がある」と言うから、「そんなもんに出やんと、こっちの飲み会にきなはれ。東も今ここにおるから」と言うと「それなら、東さんの方から上にそう言ってもらわないと」と言うので、びっくりした。

 

 

その時は、たかが宴会に出る出ないを、上に自分から言うのは憚られると酒井が考えていると思って、その弱腰に衝撃を受けたのだ。

 

 

彼は学生時代は京都大学の熊野寮の書記長だったし、生意気盛りの人間が、たかが、金儲けに励んでいるに過ぎない会社の上の人間を恐れるなど俺には想像すらできなかったからだ。

 

 

しかし、彼が亡くなって四半世紀をけみして、冷静に振り返ってみたら、宴会といっているが、確かに酒は飲むのだが、話題は生徒の学習状況、学力、さまざまな引き継ぎ事項の伝達などで、実質仕事しているようなものかもしれないと考えるようになった。

 

 

そうすると、酒井が上司の東から、出られない旨、上に報告してほしいと言ったのは、大切な仕事なんだけど、手が離せないから無理ということで、十分納得できることなのかもしれない。

 

 

昨日久しぶりに、当時酒井と並んで算数課長を務めていたSさんに三ノ宮で会い、その辺りのことを聞いてみた。「あの宴会ね、私も出てた気がする。うどんすきとかを食べれる店やった覚えがあるな、でも別に仕事の話なんかしてない。飲むだけ、飲むだけ」と言う。

 

 

そうなのか、そしたらなおのこと、時間を削ってまで付き合ういわれなんかないよな。

 

 

 

そうすると、やはり酒井はちょっと気弱になっていて、上のおぼえを過剰に気にしていた可能性もある。

 

 

また、別の可能性もある。

 

 

酒井は親しかった社会担当のAに「仕事が忙しすぎる。今は受験の時期でしかたないけど、終わってから上にいわなあかん」と漏らしていたと聞いている。

 

 

だから、例えば上が、あれやこれや仕事を振ってきたり、広島に教室を出す件で業務が増えたりするのを快くは思っておらず、直接の上司である東に、ちょっと皮肉めいたことを言おうとしたのではないか、という可能性だ。