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古本屋日誌

2026-05-29 19:34:00

別冊太陽の2019年の11月号は「京都が京都である理由」と題して、さまざまな論点から京都の魅力を論じている。

 

 

その中ではチャップリンの研究者である大野裕之の論考が優れている。

 

大野は、京都が町屋(実は、大した歴史を持つものではない)、京料理(実はあじないものだし、高い)、おばんざい(実は、そもそも粗末なおかずであるのに、高級感を演出して売っている)、寺社(実は、元々人気がなく、エロとセットになっていた)舞妓、芸妓(バカの虚栄心をくすぐる装置)などといったイコンを巧みに利用して、観光都市、国際都市として現在の地位を築いたと論じる。

 

 

大野の優れたところは、そういうイコンが実は大した伝統を持つものではなく、観光都市として立脚点を確保するために、近々数十年の間に作られたものだということを指摘している点だ。

 

 

徳川時代から、京都は観光都市であったが、神社仏閣だけでは集客できないので、風俗産業がセットになっていた。

 

 

現に、1990年くらいまでは木屋町通りは普通に歩けないほど呼び込みが行われていたし、五条楽園も健在だった。

 

 

これはある意味潔い感じが俺はしたな。

 

 

寺や庭の価値なんか大したことないと割り切って、それと並び立つ新たな価値観を創生しようとしていたわけだから。

 

 

ところが現在の京都は実に不真面目だし、女々しく、下品だと思う。

 

 

せいぜい、昭和の初期くらいの町屋をカフェにして客を集めているのはまだしも、古い建物を壊して、マンションを建てる際に前の道にこっそり小川を作り、それらしく樹々を移植して古めかしい雰囲気を製造したり、更地に記念館を作ろうとして、わざわざ古い木材を取り寄せて歴史があるように見せかけたりしている。

 

 

それはさておき、京都人は風景の一部を切り取って商品化するのに長けていることも大野は論じている。

 

 

これもその通りで、喧騒の巷から一歩料亭に、禅寺に庭園に足を踏み入れたら、そこは打って変わってそれなりの絵になる風景が提供される。

 

 

ここまでの話は納得できるのだが、続いて大野は、大阪は歴史的なハイクオリティな遺産を使えておらず、お笑いや粉もん、おばさんなどというものを押し出す戦略は愚かしいという。文楽、歌舞伎、由緒といったものを見捨てているというのだ。

 

 

これについてはまったく共感できない。

 

 

大阪はそもそも京都のような観光都市ではない。

 

確かに昨今はインバウンド需要でそういう側面も出ているのだが、元々は東洋のマンチェスターであって、つまりは工業都市なのだ。木津川沿いの巨大な造船所群、堺のコンビナート、桜島の工業地帯、吉野杉を使った製材業、これらが売りだったわけで、稼いだ金を使う巨大なキャバレーがミナミに用意されていた。

 

 

大野の視点は完全に観光都市である京都からのものであり、それを杓子定規に大阪に当てはめようとするものであって、到底賛成できない。