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古本屋日誌
昨日は仕事を終えてから、萱島で日能研関西に勤務していた同僚と飲み会。
萱島駅すぐのお好み焼き屋「もず」に5時前に集まり、お好み焼き、焼きそば、ベーコン焼きなんかをあてに生ビール、ハイボール。
日能研関西は中学受験の進学塾で、2000年に過労死事件を引き起こした。
今回はその時算数課のリーダー(課長待遇)であった、Sさんとかとあれこれお話しした。
彼は、京都大学の法学部の出身であり(1979年入学)、特段学生運動に熱を上げて社会生活がお留守になるような人でもないのに、聞いてみたら卒業してしばらく半年くらいブラブラして、小さい塾に就職したというのだ。
その後1991年に、募集があった日能研関西に履歴書を送って3時間の面接を経て採用されたという。
「社長(小松原)から電話かかってきて、初めの勤務開始予定よりだいぶ前から授業することになったわ。週に6日。さらに社長の息子の家庭教師もしてくれ言われて、休みの日に行ってたから週7日仕事してたわ」
京大法学部には『法学論叢』という論文を掲載した機関誌があるのだが、1981年春の新入生歓迎号には当時の学部長だった川又先生の挨拶が掲載されていた。
学部の入学式での挨拶のようなのだが、彼は、法学部で4年で卒業せず、退学したりする学生の実数を上げて「少し多すぎると思うのです」と発言していたのが記憶にある。
つまりある程度バックレる学生は当然出るから、それは構わないけど、多すぎるよねというわけなのだ。
文系の最難関学部とはいうものの、毎年毎年300人以上入学させれば、バカもたくさん来るからということなんだろう。
今なら川又の言うことも十分納得できるけど、その当時は(なんか冷たいことゆうおっさんやな)と感じた。
Sさんはもちろん、ちゃんと卒業してるのだが、不思議な人生だと思うのだ。
ゼミも刑事訴訟法だそうで、ここのゼミ生はたくさん司法試験を受ける。だからそういう世間に前向きな友人の姿を目にしているわけだから、より一層不思議だ。
このSさんに「日能研を辞めよ思たことはないん❓」と聞いたら「それはないな。60なる少し前、どないしょか、思たけど、ちょうどマンションこうたからな。ローンの支払い考えたらな」とのことだった。
そうなのか、2000年に日能研関西で過労死事件が発生して、彼の同僚だった酒井は50日以上休みがなかったことがわかっている、そのあたりのことはどうなのかな。
この塾では2001年の春に労働組合が出来たのだが、組合の結成を決めて意見交換をするために1月末に三ノ宮のカラオケ店に一同集合したことがあった。
そこにSさんもいたのだが「この前、上の会議で(彼は当時管理職だったので経営会議なんかにも出ていた)組合の話が職員の間で出ているということだった。
『しかし、須崎さん(わしのことだよね)は人望がないからうまくいかないだろう』ということになっていたな」と発言していた。その場には40人くらいの職員や講師がいたのだが、笑いも起きなければ、ツッコミ入れる人もいない。
国語の職員のNが「結局誰かが先頭に立ってやらないといけないということになるわけですよね」と話を引き取って、つまり自分が頑張るということなのだ。
これで終わりかなと思ったら、国語のTか、「私はそれなら組合はやれませんよ」と発言して降りるということだったが、同調する人はおらず、そのまま会合は解散となって数日後に会社に対して労働組合の結成を通告することになった。