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古本屋日誌
2000年の1月に起きた、中学受験の進学塾、日能研関西の過労死事件のことだ。
算数課の課長だった酒井の授業について考えている。
彼は上本町校で算数をメインの先生として担当していたが、中学受験はチームプレーなので、自分の担当の算数だけでなく、国語、理科などその他の教科の授業のことも気にかけて、問題のある先生には指導を行っていた。
国語については、上本町校が出来た1995年から俺が上のクラスを担当していたが、他にも河合塾と北九州予備校で教えていたので、日能研はメインの仕事とは全く考えていなかった。収入の面で重視する必要がなかったからだ。
上本町校では毎晩のように宴会が行われたのだが、ある時理科の久保さん(その後退職して、自分で塾を経営している)が「須崎さんのこと、みんなは悪くいうけど、いろいろ生徒のこともちゃんと見ている思うけどな」と話題にしたことがあるのだが、教室長の藤本、酒井、社会の廣橋など何も言わずに黙っている。
そういう評価だったわけだ。
それで1998年の年末の契約時には当時の小松原景久社長から「君については面倒見がよくない、とみんなから出ているので、来年度の授業を減らすことにした」と言われた。
「あーそれやったら、もうおたくでは仕事はしません、辞めますわ」と申し出た。
社長は「この程度の時間数ではやる意味がないということやね。ちょっと結論は待ってくれ」となって、その後社長から電話があって「時間数は元通りにして増やすから、なんとかそれでやってもらえないか」というので、引き受けることにした。
そのことを酒井に話したら「本当のことを言ってもいい❓」と前置きがあって「それはマルス(わしのこと)の学歴があるから、代表が勿体無いと思ったからなんだ」という。
なるほどそうかもしれないなとは思った。
酒井は管理職としての自負や責任感から上の思惑やらを彼なりに読み取って、自身ありげに語ってくれることがよくあったのだ。
例えば日能研関西は1977年の創立だが、20周年を迎えた1997年に、お祝いで社員旅行がオーストラリアに決まったことがあった。
ところが参加希望者が少なく、社長はお怒りで、各校に何故参加しないのか❓と問いただす掲示が張り出された。
これを見て酒井は「これはね、せっかく代表が会社からたくさん金を出して、日頃の労をねぎらおうと思ってるのに、その真意を汲み取れないとは情けないと言ってるわけだよね」とそれくらいわかってやれよと言いたげな口ぶりだった。
つまり酒井は上の思惑や思いを読み取ることに関しては充分自信を持っていた、と思うのだ。
社長が学歴にこだわりを持っているのが本当なら、酒井なんかとりわけなんの問題もないことになる。俺の件なんかよく知ってるわけだからね。
仕事をある程度休んだり、あれこれ不満を述べても、大丈夫だと考えなかったのだろうか。