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古本屋日誌
2000年に起きた、中学受験の進学塾、日能研関西の過労死事件だ。算数課の課長だった酒井の授業を考えている。
彼は常々「授業は大半の先生は大したことないし、他と比べても違いなんかない」と言っていた。これは事実ではあるし、酒井は自分の授業には自信を持っていることも間違いないのだが、俺は少し引っかかるところがある。
この言葉に彼の自信ではなく、弱さを見てしまう。授業が上手いとかいっても、誇れるようなことではないというニュアンスを感じてしまうのだ。
彼は1984年に俺と一緒に山科郵便局で配達の仕事をしていたことがある。
熊野寮にはいろんな会社からスポットでバイトの依頼がその頃は来ていた。郵便局の他にも、警備会社、測量会社、藤井大丸なんかからもあった。
寮はたくさんの学生がいるので、緊急に人手が要るとなると、ありがたい飯場なのだ。
われわれは朝から出向いて、職員がテキパキと配達順路に従って並べてくれた郵便の束を受け取って、配達する。
この郵便局は全逓が強くて、さまざまな交渉がわれわれバイトもいる場で行われていた。
冬場は雪が積もって配達もしにくい、しかし管理職の方はなんとか宥めてやって欲しいわけ。双方の思いが衝突して、昼休みの後の勤務時間に、職員が全員集まっているところで組合の幹部が交渉するのだ。
バイトで来ているのは学生が多かったが、社会人もいて、真田さんという40がらみの人は、見るからにしょぼくれていて、痩せていて、背も低く、顔は細長く、色白でねずみ男みたいな感じの人だった。
彼の話では、親と一緒に、郵便局の近所のマンションに住んでいるのだが、親と折り合いがつかず、出ていかなくてはならなくなった、仕方なく安いアパートを探しているということだ。
しかも同時に郵便局の仕事は「雇用期限が切れた」としてなくなってしまった。
その後、山科駅近くの六畳一間の安下宿が見つかり、宿替えする運びとなったのだが、酒井はわざわざ親元のマンションまで出向いて、荷物の搬出を手伝っていた。
俺は宿替えが済んだ後、酒井と新しいアパートを訪ねたのだが、真田さんが言うには「このところ、行きつけのスナックのこれが、俺にほの字なんですわ」とニコニコしている。
帰りに酒井は「大変やね、ああなってしまうと」。自分もああなってしまいかねない、恐ろしいと言いたいのだ。
確かに真田の言ってることはバカバカしいわけで、手だれの商売女の手のひらに乗せられているだけなんだが、仕事がなくなり、頼みの親にも見放されても、さほど気にしているようには見えないところがいいよね。
本人は楽しみを見出してニコニコしてるんだから。
しかし、酒井はあんまりそれは感じ取れておらず、単に悲惨な境遇でしかなく、自分にも降りかかってくる可能性がある問題と思うわけだ。
こういう酒井の弱気、自信のなさは俺にはよくわからない。確かに大学には頭の切れる学生がそれなりにいたが、それは少数であり、大半はわれわれ同様か、それ以下だし別段悲観するほどのことはない。