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古本屋日誌
中学受験の進学塾、日能研関西の過労死事件のことだ。
3番目の注目点は、この塾の仕事のやり方だ。
1999年の12月に冬期講習の打合会があって、同時に灘特進クラス(灘中を目指す子どもを集めたクラス、西宮や岡本などに設置されている)の生徒を一か所に集めて合同授業が行われた。
酒井もそこに参加していたが、その終了後は通常授業は休講なので、フリーになると思っていた。
このへんの経緯は前にも書いたのだが、日能研関西の仕事の特徴が窺えるので繁を厭わず再び書いてみる。
われわれは、講習の打合会の後は、集まって宴会をしようと、当時部長(マネージャー)であった東、算数の講師であった古田とわしなんだが、酒井も呼ぼうと電話してみた。
彼は自宅に戻っていて、「今洗濯してるところ。この後あこや亭ゆうところで、灘の宴会がある」と言うので、「そんな宴会なんぞ、でやんかてええやろ。こっちいきなはれ」と言ったら
「それなら、東さんの方から上にそう言ってもらいたい」と言う。
わしが東に携帯を渡して「あんたの方から宴会に出んかてええと上にゆうて欲しいゆうてるわ」と告げたら東は代わって「ああ、そうなのか、それやったらな、……」としばらく話をしてそれで終わりになってしまった。
当初俺はこの経緯を誤解していた。宴会なんぞに出るでないまで、一々上の顔色を窺わないといけないのか。
熊野寮自治会の書記長を務め、大学では農学部自治会、闘争委員会(A自、A闘)だったのに、なんて体たらくだろう、と思ったのだ。
俺はショックだったので、その後の3人での宴会でもこの話をすることができなかった。でも、実はそうではないのだ。
日能研関西では、宴会は酒を飲んでくつろぐ場ではなく、次の会議や保護者会、報告会の日程の打ち合わせや、生徒の情報を交換して授業に役立たせる話し合いの場なのだ。
だから酒井も灘の飲み会はそういう業務の一環と捉えていて、東もそれは同じ認識だった。業務な訳だから、それを休むとなると上長の許可がいるわけで、酒井はそれを東に求めたわけだ。(もちろん嫌味を含めて東にはそう言った可能性もあるが、酒井にそういう趣味はない)
飲み会で仕事の話がいろいろ出るのは、忙しいために担当者同士が日頃は連絡を取りづらいためかもしれない。
また真面目な人が多くて、くつろぐ場でも仕事の話をついしてしまうのかもしれない。
それはさておき、宴会では、算数の古田に対して東が「授業がよくない、知っていることを再構成してしっかり子どもに伝えていない。」と言い出し「プロ意識があれば、自ずとうまくなってくるもの。須崎はそうなっている」などと続けたのにも驚いた。
俺は、その当時河合塾と北九州予備校で仕事の大半をしていて、中学受験の日能研の方は単にやっている程度のものだったから、授業など全然大したものではなかった。
対照的に古田は、プロ意識も旺盛で、下のクラスの担当も多かったが、生徒のレベルに合わせて話をしていたし、テキストが合ってないと感じると自分で生徒に合わせたプリントを作って力をつけさせていたから、生徒にも人気があった。
そんなことは、普通に接していたらすぐわかることなのに、日能研関西の部長ともあろう人が、全然わかっていないのはどうしてなのか、不思議としか言いようがない。
要するに古田には「あなたの評価は極端に低いよ、うちには必要とされてないよ」と言ってるわけで、実際彼は次の年度の出講で、自宅からはかなり遠い堺東に入れられ、おまけにその曜日の担当時間数が70分1コマとなった。
通常なら4時間、つまり240分程度は入れられるにも、かかわらずこの提示なわけで、彼は腹を立てて退職したのだが、そりゃそうだろうよ。